そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

「行き先は?」「未来さ!」だった頃の物語。

映画好きの方がTwitterで「最高!」とコメントしてたので、見てきました。

ネタバレありで感想を書くので、最初に全体的な感想を。

(「続きを読む」ってやつのやり方を知らない)

 

この映画は、欠点をあげればたくさんあるけど、それを差っ引いても、琴線にざっくざく刺さりました。どれぐらい自分の琴線に刺さったかというと、帰りの高速道路の分岐を二回間違えて、「道路作ったやつ、<普段言わないような罵声>」と車の中で叫んだぐらい刺さりました。

今、帰ってきてこれを書いてますが、田舎の閉塞感に押しつぶされそうだった頃の感情を映画に引っ張りだされたまま、キーボードを叩いてます。

 

■あらすじ

公式サイトに動画あるから、それ見て。

 

■とりあえず、兄が最高。

大学中退して、一日中ハッパ吸ってて、音楽に詳しい。

弟である主人公が「バンドを組んだ」といえば、「コピーバンドはやめろ」と助言をし、「MVを撮った」といえば「カメラマンはゴミだが、それ以外はいい」と褒める。

誰も彼も、主人公の両親でさえ、主人公に一切関心を払わないし、主人公の友人たちも音楽を通じてしか主人公に興味を払わない、皆が自分のことで必死になっている世界の中で、兄だけは主人公の話を聞く。

兄自身、未来を閉ざされた経験があり、今もなお閉ざされてる真っ最中で、閉塞感と闘いながら、主人公が抜けだそうとしているのを助ける。

自分のギターを使って、弟が閉じられた世界から飛び出そうとしていることに、激しい嫉妬を覚えながら、それでも「ロンドンに今から?よし送ってやる」と笑顔で送り出す。

最高にかっこいい。

 

■ここからは自分語り。

私もかつて、同じような閉塞感を味わってたことがある。

見渡す限りの日本海、振り向けば、見渡す限りの山。

外へ出る道は細く、その先は誰も知らない。

 

「コンピュータを勉強する? やめとけよ。あんなの相当頭よくないと出来ないぞ」

「パソコンを買う?どこにそんなの売ってるの?」

「詩!? 詩ってあのポエムとかの? 嘘だろ、恥ずかしくないのか」

「ゲームを作る? そんなの仕事になるわけないだろ」

「小説・・・? お前はいったい何がやりたいんだ? だいたいああいうのは賢い人がやるもんだぞ」

 

私が興味をもったものは、ことごとくバカにされた。

いや、私がバカだと思われていた。事実、学校の成績はずっと低空飛行だった。

 

高校1年、詩の全国コンクールで入賞した時、これで世界が開けると思った。

何がどう開けるのかは分からないけれど、世界にも通用する企業の名前がついたコンクールで、二位にあたる賞だった。

『全国で二位』というのは、当時の私にとって、とても誇らしいものだったし、なんなら、総理大臣は無理でも、ナントカ大臣あたりが挨拶しにくるんじゃないかと本気で思ってた。

両親に表彰状を見せた時「へえ、おめでとう。じゃあ、今日はエビを20パック並べて」と言われた。

薄汚れた白いスキーウェアを着て、長靴を履き、表彰状を自慢気に掲げる私は、真冬に氷水のバケツからエビを取り出して、氷の上に並べ直しながら、「もうすぐこの生活も終わる」と考えた。そしたら、エビ係は兄の仕事になる、もうしわけないけど、兄は詩を書けないんだから仕方無い。

当然、そんな生活を終わらなかった。翌月も同じ生活をし、その翌月も、冬が終わり、春がきて、夏が過ぎる頃に、コンクールの募集ポスターが貼られ、私は気づいた。

 

「そうか、一回だけだからマグレだと思われたのかもしれない」

 

もう一度、応募した。そしてまた入賞した。今度は三位だった。

去年の結果も見たけれど、連続入賞は私だけだった。

これでどうだ! と胸を張って、エビを並べた。かじかんで感覚の無くなった指さきを吐く息で暖めながら「エビどうですかー」と声を挙げ、(いつ頃呼ばれるのだろうか)と考えた。

 

また、夏がきて、コンクールのポスターが貼られた時、私は高校3年生だった。

初めて「ダメかもしれない」と思った。

それがよくなかったのかもしれない。高校最後のコンクールは、入賞無しで終わった。

けれど、参加賞として、『コンクールの入賞者だけで組んだバンドが作った楽曲』のカセットテープが送られてきた。

 

もし、諦めなければ、私がその一人に選ばれていたのだろうか、と考えた。

きっとそうなのだろう。

選ばれたメンバーが通っている学校は、全て首都圏だったけれど、偶然なのだろう。

呼んでさえもらえれば、お金なんていらなかったし、親も家族もいつだって捨てる覚悟は出来ていた。けれど、呼ばれなかった。

 

■私は掛け値なしにバカだった。

 

なぜ、バカだったのか。

『呼ばれる』のを待ってたからだ。

なぜ、誰にも期待できない環境で育ちながら、見たこともない人に期待をしたのか。

 

■あんな兄が欲しかったけど、いなかった。

 

「パソコン? 古いのでよかったら探してくるよ。勉強は分からない所があったら聞きにくるといい」

「詩か。良し悪しは分からんが、書いてて楽しいなら、良いことだ」

「ゲームを作りたいのか。いい時代に生まれたな。今ならタダで環境作れるぞ」

「小説? 言っとくが私は小説にはちょっとうるさいぞ。でも、けなしたりしないから書けたり、書くのに迷ったら言いに来い」

 

だから、代わりに自分が言うようにしてる。

そして、自分もまだ諦めたわけではない。

 

■そう簡単に「おじさんも昔は」なんて話にしてたまるか。

 

そんな風に思わされた映画でした。

 

唐揚げ串が硬かった。

近所のスーパーは23時で閉まる。

なので23時を越えて帰宅した時は、駅前のコンビニに行くしかない。

とはいえ、夜も遅いし、ガッツリ食べるわけにもいかない。

 

野菜サラダと、唐揚げ串を買った。

家に帰って、野菜サラダを皿に盛り、ドレッシングをかけて、唐揚げ串を串から外して盛った。

唐揚げサラダだ。

 

さっそく唐揚げを一口、かじってみると硬かった。

肉が、じゃない。

衣が、だ。

油で揚げたあと、コンビニ店頭のホットケースでさんざん温められて水分が飛び、カラッカラになった硬さだ。

おいしくない。

疲れてるし、明日もきついし、寝る前にやらなきゃいけないことだってある。

なのに、おいしくない。

 

それで、嫌になった。

 

夜遅くまで仕事してるのはいい。別に嫌いじゃないから。

勉強してんのだって、休日が潰れるのだって、まあ構わん。どうせ2,3年の話だし。

 

でも、だ!

何が悲しくて、35歳にもなって、カッサカサのカッパカパの味気もない唐揚げ串を食わねばならんのだ!!

そんなもん廃棄しろよ!

マクドを見習え、マクドを!!

 

あー、腹がたつ!!

 

というわけで、深夜になってもカッパカパの唐揚げ串を食わなくても済む街に引っ越します。

具体的な場所や日程は書きませんが、そのうち、気づいたら引っ越ししてます。

 

ふふふ、次は君の住む町にいくかもしれない!(ドーン)

 

そういや、こんな感じのホラー漫画ってなくなっちゃいましたね。

血液型占いもスピリチュアルもなくならないのになあ。

 

魅力あるコンテンツだけが廃れていく(ただの趣味)

 

クルンボルツさんのやつ。

人生は運よりも、運の運用方法に大きく左右される - 分裂勘違い君劇場の別館

クルンボルツ先生が「いつ運が転がりこんでくるか分からんのだから、キャリアプランなんて無駄だ、幸せのために全てを捨てる覚悟を持て」という説を唱えてるので、興味あればどうぞ。

2016/07/03 10:00


 とコメントで書いた説は、この本のことです。

その幸運は偶然ではないんです!

その幸運は偶然ではないんです!

 

 

日本で「キャリア」といえば、未だに「エリートクラス」を意味する言葉ですが、アメリカでは元々の「career(経歴)」という意味で、『(誰かの)子ども』から始まる社会における役割を指します。

日本でも中学生が地域の仕事を体験学習するように、若い内から『将来の自分の役割』を意識するように教育する「キャリア教育」が進められています。

 

『将来なりたいものを見つけ、それに向けて、計画を立てて、一歩ずつ着実に向かう』

 

日本の親御さんが、子どもに期待する理想像のひとつがコレです。

 

じゃあ、例えば「高校在学中だけど、彼氏とセックスしたら子どもができちゃった」と娘が言ったらどうなるんでしょう。

あるいは「大学に行かずにEXILEに入る予定だったけど、4,5年経っても、EXILEのオーディションに受からない」と息子が言い出せばどうなるでしょう。

 

ほかにもこんなのがあります。

・30までに結婚する予定だったけど、できてない

・20までに恋人を作る予定だったけど、できてない

・25までに年収500超える以下同文

・50までに貯金以下同文

 

プラン通りに行かないことなんて山ほどある。

 

それに対し、キャリア教育を、長年研究してきたクルンボルツさんは「もしや計画立てても意味がないのでは」と仮説を打ち出し、実際に、「今の人生に満足している人」たちにインタビューをして回りました。

その結果が、紹介した本に記されています。

 

18歳で思い描いた10年後の姿にたどり着ける人は滅多にいません。

けれど、辿りつけなかった人たちが不幸せとは限らない。

 

アンパンマンの歌にもあります。

「君は何が幸せ? 何をして喜ぶ?」

そんなもん、『それ』が目の前にくるまで、誰も分かりません。

iPhoneを触るまで、誰一人としてiPhoneの便利さに気づかなかったように。

 

そのiPhoneに、幸せの予感を感じたのなら、翌日が仕事であっても、アップルストアの徹夜列に並んだ方がいい。

そういう話です。

ビッグウェーブには乗った方がいい。

例え、自分以外の人にビッグウェーブが見えてなかったとしても、自分に見えているなら、それはビッグウェーブなんです。

 

ただ、モヒカンにするのはお薦めしないです。会議室に入る時につっかえると思うので。

ふわふわ系とガチガチ系。

メンタルヘルスの授業にて、講師の方が理論を説明する時に「この理論はフワフワ系なので、企業ウケはしません。あっちの方がガチガチ系なのでウケがいいです。フワフワ系はもっと時間に余裕のある時向けですね、場面によって使い分けてください」みたいな説明をしてまして。

その表現がしっくりくるので、面白い表現をするものだ、と感心してます。

 

んで、人に何かを伝えるお仕事の内、フワフワ系の最たるものである『小説家』を選んでしまった若者たちの物語がこちらになります。 

 

■小説の神様

小説の神様 (講談社タイガ)

小説の神様 (講談社タイガ)

 

売れない作家が、売れっ子作家と出会って、なんやかんやする、という話です。

作品中、ずっと語られているのは「何のために小説を書くのか」ということ。

お金?チヤホヤ?勝敗?誰かのため?自分のため?

 

自分も、遠回り中ですが作家志望(一応)なので、「何のために」ということを読んでいて考えさせられました。

自分の場合は、そもそも、自分の生活に満足がいってない(現在進行形)ので、「何度でもやり直せるはず」と願ってますし、思ってます。

 

ただ、じゃあ、実際に、自分の書いた小説を読んで「そうだね、やり直せるね!」と非行少年が更生(って言い方嫌いですが)したり、50半ばのオッサンが「天文学やりたかった」つって大学に入るか、っていうと、そんなことはまずないわけです。

この辺の現実に及ぼす影響力がゆるいことを指してフワフワ系と自分は呼んでます。

そして、「小説の神様」の主人公もそのことを指摘します。

「だから書く意味なんてない!売れない、読まれない小説に存在意義はない」と。

 

■じゃあ、小説ってどういうものなんだ? 本当に無意味なのか?

という辺りが「小説の神様」の肝の部分です。

興味出たら、ぜひどうぞ。

 

■ここからは自分の話。

自分も、今は小説を書いてないです。

なぜ、書いてないのか。

『無責任』だと思ったからです。

 

以前、某作家さんから、こんな話を聞きました。

「作家志望の人にプロ作家が『諦めなければ夢は叶う』とか『書きたいものを書き続ければいつかは』なんて言うのは、無責任だ。それでたくさんの人が夢に潰された」

 

「好きなことなら続ければいい」なんてことを他人に軽々しく言えるのは、好きなことに対して才能があったからだ。でも、世の中の人のほとんどの人には、才能がない。才能がなくても好きなものにしがみついて、苦しみながら書いてる、と。

 

さて。

だとしたら、自分が小説に込めている「何度でもやり直せる」という気持ちは、無責任なのではなかろうか。

やり方も指示せず、方法も示唆せず、ヒントも出さず、ただ、声だけ大きくして「やり直せる!」と言って、誰がそれを信じるのだろうか。

また、それを信じた人が、本当に報われるのだろうか。

 

そう思ったら、足りない所が見えました。

自分には「何度でもやり直せる」と言い続けるだけの体力も、覚悟も、ノウハウも、けこう色んなものが足りてなかったです。

 

なので、今は勉強をしています。

 

■一種の自助グループ

自分もあまり人に誇れる経歴などはございませんし、日陰か日向かで言えば、日陰の人間です。

 

でも、日陰は日陰で楽しく生きていけるんだぜー、ということを体現できたら、その時は無責任じゃないものを伝えられるのでは、と思ってます。

 

まー、「書けない言い訳」かもしれませんが。

 

■あと、アレだ。

小説について、話し合える相手がいなくなったのもデカイ。

だから「小説の神様」の環境は、ほんと羨ましい。

ラノベかよ!

人間書けてないぞ!

 

挨拶の意味とキャッチボールの話。

「コミュニケーションの7割は見た目で決まる」という話があります。


似た話で「9割で決まる」「10割決まる」なんて話もありますが、基本的には同じ話で、欧米の研究などでも実証されてたりします。
数値の差は、単に『見た目』という言葉の定義の問題です。
(10割はトバシ過ぎだと思いますが)


■では、見た目が良ければ良いのでしょうか。

そうでもないです。

美女はナンパなどされるでしょうから分かりませんが、少なくともイケメンはイケメンというだけでは良い対人関係にはなりません。

むしろ悪い印象をもたれる危険すらあります。


■なぜ? 悪い印象をもたれるのか。

持論ですが、人間は他人に対して基本的に悪しき感情しか持ちません。
平たく言えば「こいつは味方か?」という疑いの目しか持っていません。

なぜなら、それが知性だからです。

殴られたことのある動物は、他者から殴られることを警戒します。
「こいつは殴らないぞ」と確認して初めて警戒を解きます。
逆に言えば「殴らない」と確認するまでは、ずっと警戒してます。

■じゃあ、どうすればいいのか。

「敵ではない」と発信することです。

具体的に言えば、挨拶をする。
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」

アメリカなど多民族国家に行って、町をぶらつくと分かりますが、気さくに現地の方に「Hi」と挨拶をされます。
あれは、別にアジア人が好きだから、というわけではなく、単に「怪しいやつかどうか」を日常的に確認してるんです。

だから「ハイ」と返せば、笑顔を向けてくれます。


■「ただしイケメンに限る」なのでは?

繰り返しになりますが、大事なのは「敵ではない」と示すことです。

キャッチボールに例えて説明します。

容姿が整っている、派手である、学歴がある、金持ち、なんか目立つ、というのは『ボールが大きい』というだけの話です。

他人よりも持ってるボールが大きいんですから、そりゃ脅威です。
勢いよくぶつけられたら何が起きるか分かりません。

だから、優しく軽く「投げ渡す」というのが大事になります。これが挨拶です。
もし、それをしなければ「大きいボールを持っている。怖い。何かとんでもないことをするのでは。あるいは、ボールが大きいことを自慢しているのでは」と警戒されます。

またボールが小さくても、ぶつけられたら怖いですから、やっぱり「投げ渡す」が必要になります。


■ボールの受け渡しって、それだけで楽しいですよ。

幼児にボールを渡すと、投げてきます。
そのボールを受け取って、また渡すと、非常に喜びます。
この喜びって、原始的なものだと思ってます。


■ボールが返ってこなかったら?

無視されたら?
困った顔されたら?
反対に不審者だと思われたら?

ズバリ言うと、回数を重ねることです。
筋トレと同じく、やってると慣れてきて、余計な強張りが抜けます。

ただ、最初の内は、見知らぬ子どもや若い女性は避けて、店員さんや年配の方など距離感の線引きがされている人にした方が難易度は低めです。

若い女性はナンパ対策でしょうし、子どもは「知らない人は不審者」というルールで生活してるので仕方ないです。


■なによりも大切なこと。

「自分はコミュ症だし」
「家族関係がアレでちゃんと成長しなかったし」
「だから、生き苦しくても仕方ない。」

そんなことはないです。

そんなことは決してないです。

大事なことなのd(

ここでいう「ちゃんと成長」とは、『心理的発達課題が未達成』という風に表現したりします。
「赤ちゃんは泣く。泣くと親が顔を見に来る。そこで人としての基本的な信頼を覚える」ってやつです。

この発達課題は、その年代以降であっても達成可能であることが、多くの事例で証明されています。赤ちゃんじゃなくても、基本的信頼は覚えられます。
(昔は「○才までに覚えなかったら、もうダメだピョン」って説が有効だったそうですが、ロクなこと言わねえな、って感想です)

ただ、それには努力や頑張りなど、たいていの人間が「明日からやるよ」と言いたくなることがセットでついてきます。
断ってもついてきます、ポテトとは違うんです。
いや、ポテトも断ったらついてきませんが。
カリカリも好きですが、ヘナヘナも好きです)


なので、「今日は頑張れそうだなー」という時にやってみるのはどうでしょうか。

 

 

 

めでたしめでたしにならない話。

 


パワハラやセクハラ、いやがらせ、残業強制(しかも無料)、理不尽な解雇などなど。

「社会に参加する」ということと「働くこと」というのは、全然イコールではないのですが、なぜかイコール扱いされてる日本において、この種の問題はめちゃくちゃ多いです。

 

■どうすればパワハラを避けられるのか。

 

とその前に、パワハラについて調べてみましょう。

 

■どのぐらい多いのか。

これってパワハラ?なくそう、職場のパワーハラスメント:政府広報オンライン

厚生労働省の労働局に寄せられた「いじめ・嫌がらせ」に関する相談件数は、平成14年度時点では約6,600件でしたが、10年後にはその7倍近い約46,000件にまで達しています。

現在もうなぎのぼり中です。

 

■どういった割合で発生しているのか。

パワーハラスメントを受けたことがあると回答した者は回答者全体の25.3%、パワーハラスメントを見たり、相談を受けたことがあると回答した者は回答者全体の28.2%、

 

おおよそ4人に1人がパワハラ被害者です。

ただ、重要なのは、そのあと「それを見たことがある」と答えてる人も、また4人に1人なのです。

 

■この割合、怪しい。

例えば、生徒が百人いる学校で「4人に1人がテストで満点を取った」という事態になった場合、「テストで満点を取った人を見たことがある」という率は、ほぼ100%に近くなると思います。

 

ところが、パワハラのケースではそうなっていません。

これは「パワハラを受けたり、見聞きするには、特定の条件がある」ということになります。

可能性として「パワハラが起きてるのは、特定の条件を満たす会社だけでは?」と自分は疑っています。

「その条件を満たした会社で働いている、または取引している人」が4人に1人いるのではないかな、と考えています(統計は勉強中なので、自信ないです)

 

■結局、パワハラを受けないようにするにはどうすればいいの?

「その条件を満たした会社」の「その条件」がなんであるかによります。

 

まず、「その上司がたまたまパワハラをする人であった」という場合。

そのまた上司、あるいは人事、あるいは経営者(取締役役員、社長など)に相談しましょう。

「その上司」が会社から見てもよろしくない、と判断された場合は、それなりの処分や注意が行くかと思います。

一度でパワハラが止まるかどうかは別として。

(一度で止まらない場合は、二度三度と相談する必要があります)

 

次に「会社全体がパワハラをする会社であった」という場合。

オラオラ系ワンマン社長とチンピラ子分たち

エネルギッシュな文化を持つ会社に多いです。

こういう企業では、パワハラを上司や人事に相談すると「なぜ、それを直接本人に伝えないんだ?」「その上司の言っていることは正しい。頑張れないあなたがどうかしてる」「あなたが仕事をきちんとすれば防げるのでは?」「そもそも告げ口なんて卑怯だ」などなど、相談した人が致命的な精神ダメージを負うようなことを言ってくることが多々あります。

逃げて!いますぐ逃げて!

 

■戦う方法はないの?

あります。


ただし、戦った所で得なことはないです。

長い長い交渉合戦、裁判合戦のあとで、損害賠償を勝ち取っても、負った精神ダメージに比べれば、微々たるものです。

熱湯を頭からぶっかけられてヤケドしまくった後で「ただのお湯で良かったね。コーヒーだったら染み抜きが大変だったよ」と言われるようなもんです。

 

また、働いている自身の名前が有名になると転職に不利に働いたりすることもあります。全般的にメリットは少なく、デメリットは多いです。

客観的には「得ないから、さっさと辞めて次いこう」です。

 

■戦うことに意味はないの?

あります。


まず、「その問題を避けなかった」という意識は、当人にとってとても価値のある経験になります。精神論ですけどね。

例えば、中学高校で、スポーツ系の部活をしていた人は多いと思います。

スポーツの多くは他者との競争です。そして競争である以上、敗者は確実に存在しますし、少なくとも、大会の優勝者以外は全員、敗北の挫折を味わっています。

けれど、学校を卒業して「あれは良い経験だった」「あの経験が背中を支えてくれた」というコメントをする方は大勢います。

 

このへん、(推薦を除く)有名大学合格率と部活経験者の比率とかを出してくんないかな、と思ったりするんですが、どうなんでしょうか、教育関係の方。

 

■戦った挙句に負けて、メンタル病んでどうしようもなくなったら?

まずは心療内科へ。

 

心療内科を選ぶ時は「変に有名なとこ」は避けるのが基本です。

医者もそうですし、カウンセラーもそうですけど、基本的に「必要なければ一生会う必要のない仕事」です。

「感謝が欲しくてやってるわけじゃない!」という方々が日夜、働いている業界です。

 

なので、「やたらテレビに出て先生扱いされてコメントしてる」とか「公式サイトで先生の名前が妙に目立つ」などなどは、避ける方が吉です。

じゃあ、無名ならいいのか、というと、、、本当にハズレだから誰も行かない、ということもあるので、難しい所です。

 

■お前は何もせえへんのかい。

お、お薦め映画ぐらいなら紹介しますよ。

 

■なによりも。

 

まず、あなたが無事に生き残ってください。無理ダメ、絶対。

社会的正義やなんのかんのは、それからです。

 

争っちゃダメ。

潰すなら、一方的に安全な立場から、周到に準備して狙い撃ちしてください。

 

デッドプールいいやつじゃないか。

映画見てきた。

 

原作は読んでないし、このキャラクー自体、映画で初めて知りました。

英語圏だと「異色のヒーロー」として人気だそうで、英語の先生は大ファンだそうです。(「日本だけ公開が遅い!」と怒るぐらいに)

 

webで大量に流れてくる前情報から、知った知識は「お金のためならなんでもやる」「強い」「ジョーク大好き」ぐらいです。

 

なので、自分の中のイメージは、ヤミ金ウシジマくんか、ダーク・シュナイダーか、って感じだったんですよ。

闇金ウシジマくん 1 (ビッグコミックス)

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BASTARD!!―暗黒の破壊神 完全版 (Vol.2)

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でも、デッドプールはどちらとも違って、意外と真面目なやつでした。

なんか聞いてたのと違うなー、と思ったけど、ファン目線だとまた違うんだろうか。

 

いつもダサいコロッサスがいつも以上にダサすぎて最高でした。

こいつだけ冷戦時代生きてんじゃねえの?って感じで。

マーベル レジェンド Marvel Legends 6インチ #05 コロッサス
 

いや、キャラクターとしては嫌いじゃないですよ。60年代からタイムスリップしてきたのか、って感じの衣装だけど。 

 

■あと、ズートピアも見たよ。

The Art of Zootopia

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公開時期も終わりかけなので、吹き替え版しかなかった。

仕方なく、吹き替え版見たら、エンディングテーマがShakiraさんでした。

Shakira

Shakira

 

そしてスタッフロールで知らされる、英語版ガゼルの声優がShakiraさんという事実!

あああ! 知ってたら字幕版見たよ!

Shakiraさんの歌声の合間に入る、吹き替え版ガゼルの日本人声。

椅子から一歩も動けなくなってました。

場内が明るくなった時に、周りの客席から「よかったね」「泣いた」って声が聞こえてきたけど、自分も泣けました。違う意味で。

 

仕方無いので、ブルーレイ買います。

遠いなチキショウ。

 

Netflix便利ね。

入ってます。

料理のドキュメント番組が面白いので、英語音声、英語字幕で勉強がてら見てます。

 

ロスアンゼルスの日本料理店で働く、日本人女性シェフとかの話がけっこう泣ける。

日本にいたら、女性板前なんて認めてもらえないからアメリカに来て、料理を頑張って、芸術のような会席料理を作ってるんだそうな。なにそれ、映画化しようぜ。