そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

小説と脚本の違いを知ったよ。合ってるかどうか知らんけど。

知らぬことは知らぬとせよ、それ即ち知れる事なり。
とは言ったものですが、壁にぶちあたり、突破する方法をあーでもないこーでもないと考え続けた挙句に、ちょっと休憩するかと積ん読していた本をパラパラめくって「これじゃないか!」となる事が多々あるのが世の常でして。
そこから考えるに、知らん事を「知らんかった」と認識出来るというのは、知った時だったりするんじゃあるまいか、と思う今日この頃です。


■小説と脚本って違うんだぜ。
そんなの猿でも知ってらぁ! ごめんね、自分は知りませんでしたよ!
いや、もちろん脚本がト書きと柱とセリフで形成されて、小説は文ばかり、みたいな見た目の違いじゃないですよ。
小説というのは心の動きを表現するものなんですね。
例えば、恋愛小説などであれば、乙女がその想いを秘めた胸の内を400文字×10ページぐらいかけてツラツラと語りだしても問題ない、というか、そういうのがウケたりするわけです。
ところがどっこい脚本でコレをやると「モノローグ長すぎ!」となるわけです。
似た様な「彼に夢中なの!」を脚本で示すのであれば、女性が朝の番組で彼を連想させるキーワードが出た途端に画面を凝視してしまうだとか、駅で定期入れを取り出して先日彼にそれを手渡された事を思い出してしまうだとか、職場や学校で無意識の内に彼の名前をノートに書いていたりだとか、夜中に彼に送るメールを書いては消し、書いては消しを繰り返して、結局出さず、眠りについてみれば彼の夢を見る。とかとか。
そういう行動を見せて「彼に夢中!」を示すわけです。


漫画は脚本タイプです。モノローグが10ページ続けば「セリフ多っ!」とボツにされるのがオチです。
だから、コマの中でキャラクターを動かして、セリフやモノローグで軽く補助して表現する。それが漫画じゃないかな、と思います。
んで、自分は漫画が好きなので「ぼくのかんがえたまんが」を想像して、それを文章化する、という作業をしてたんですね。
これがまあ、面白くない。スッカスカ。
場面の説明ばかりが増えるので「この主人公何も考えてないんじゃない?」みたいなスッカスカの内容になりました。ホントに。
脚本を土台にして、小説を書くとこうなるのかー、という悪い見本でした。


小説は気持ちをそのまま、脚本は映像を通して気持ちを伝える。
そういう事なのかなあ、と今は思っています。