そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

心に少女を飼うヒゲ男子。

昨日の作品を読んだ方から、タイトルのような二つ名をいただきました。
なんでだろうなあ。少女監禁とか危ないイメージしか湧かない。
いや、そういう趣味はないです。念の為。
あと、あまり慢心せず、コツコツやっていきます。


今更「天才若手新星が文壇に現る!」みたいな扱いは望んでません。っていうかそんな悪目立ちしたくない。
普通でいいんですよ、普通で。
派手に、店のグレード気にせずレストランに入ったりね、そういう事はしてみたいけど多分、性格的に出来ない自信がある。
大戸屋でよくね?」て店の前で言っちゃうと思う。
根っからの労働者階級ですんで、貴族様の暮らしは無理ですわ。


■個性の話。

「個性は、いつ、どの瞬間に生まれるのか」って疑問に対する回答を少し思いついた。


個性はインプットの瞬間に生まれる。アウトプットじゃない。
映画や漫画、景色でもコーヒーを飲み終わったカップでもなんでもいい。
何かに触れる時に何に注意しているか。
それが大事なんだと思う。


同じ映画を見ても、自分と漫画家じゃ注意する場所が全然違う。
いつぞや、ディズニー制作の実写映画を見たら、CG合成が下手すぎて楽しめなかった事がある。
一緒に見た友人に聞いたら「それは気にならんかったけど、お子様向けの話やったな」と返ってきた。


また違う友人と、同じ音楽を聞いた時、友人が「ボーカルはともかく、ギターがいい」と褒めた。
自分はギターには何も思わなかったけど、歌い手の声がいいと思っていた。
そういう差が個人個人にある。


何も分からない時は、やたら刺激を求めたがる。
刺激の強いものに触れて、大きな感動をすれば、それがいいインプットになると思うからだ。
でも、それじゃ長続きしない。刺激には慣れるし、飽きもくる。
強い刺激に飽きた人は、妙に悟った風に振舞うけれど、それはただ感動の薄い人になっただけだ。


一本の枝につぼみがついて花が咲く。それだけで泣くほど感動する人もいる。
そういう人が、つぼみに花が咲かせる程度の表現力を持ったならば、強烈な個性となる。
最近はそう思う。