そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

経済は知識ないからなあ。

 
経済やら政治関連の記事で、いい話を読むと「おお、すげえ」と思うんだけど、自分には書けないし、多分それは自分の役目じゃない気がするので「おお、すげえ」と思うだけにしておく。
 
頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20110407001402
 

そんな俺たちがさ、避難所で、CMでアイドルや俳優を見てさ、
「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、
ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。

 
「頑張る」や「復興」というのは、ある種の思想であり、宗教だ。
「みんなでがんばれば、家が建つ。生活が楽になる」と信じられるのは、そういう環境があっての話だ。
 
食べ物のない地域では、泥棒や殺人、婦女暴行ですらも認められる社会が存在している。
それを「野蛮」と言えるのは、森や川があり、山に獲物や果物がある環境にいるからだ。
畑も作れず、食べ物もなく、今日の水ですら困る社会で生き抜くには『強くある』事が大前提となる。
 
では、この記事を書いた人のお兄さんにも「お前が弱いからダメなんだ。強くなれ」と言えばいいのか? まさか。
本人でさえ死から逃れるのに必死だったはずなのに、他人を置き去りにしてきたことを悔やむような「弱いやつ」がそのベクトルで強くなれるはずがない。
 
その弱さを認める、受け止める、そういう社会を再び取り戻さなきゃいけないんだ。
それが「復興」であり、最前線でその弱さと向きあう人間に対する「頑張ろう」なんだ。
 
だから、その弱さは、そこにあっていい。
そうすれば、その弱さを基準とした社会が作られていく。
強くなくちゃ生きていけない社会しか作れないなんてのは、文明としちゃ三流だ。
 
寒い時には体を寄せ合って暖め合うだろ?
ネズミだってネコだって犬だって、もちろん人間だってそうする。
寒い時は誰かと一緒にじっと我慢するしかないんだ。
それでいい。
被災者は「死なないこと」が今一番の仕事だ。
 
まあ、自分は仕事を通じて、今日は仙台の奥さんに商品発送の手配をしたよ。
「今日やっと家に帰ってきたんです」だってさ。
それで、最初に頼むものが生活必需品でもない嗜好品だ、っつーんだからおかしな話だよ。
「家の中もグッチャグチャでもう何もしたくないんですけど、紅茶が飲みたくて」だってさ。
たくましいよね。
 
なんて思ってたら、九州のおじいさんから「水道水が飲めないから注文キャンセルだ」って連絡があったりしてね。
まったく面白いもんだよ。
 
どっちも人間。どっちも日本に住む人だ。
いろんな人がいるし、いろんな人がいていい。
他人の幸せを願うものがいれば、不幸を願うものがいたっていい。
 
自分はそう思うよ。
まあ、とりあえず、明日も仕事に行くよ。
今んとこそれしかできないからね。