そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

たまに気が向いて。

 
日曜の池袋とかに一人で出かけると、改札出る前から帰りたくなるね。
人多すぎる。
 
人が多いと、駅近くのジュンク堂まで行くのですら億劫で、距離を感じてしまう。
でもまあ、欲しい本は見つけたし、漫画のジャケ買いも出来たので良しとしとこう。
 
しかし、日に日に、都会生活から浮いていくなあ。
 
■丁寧な仕事する人。
 
自分のした仕事で誰かに迷惑をかけることを極端に嫌う人がいる。
 
そういう人は自分のイージーミスを決して許さない。
他人のミスは「そういうこともあるよ」と許しつつも、自分は念入りに確認する。
 
1000本のボールペンを作ったとして。
普通はその中から20本程度、無作為に抜き出してテストをして、クリアすれば1000本のチェックをしたと見なして、納品する。
まあ、納品時に1000本よりも多めに入れとけば、例え、不良品が少しばかり混じっていても誰も文句言わない。
そういう人情の上に世の中の多くの検品が成り立っているし、実際、効率的だ。
 
ところが、そういう気質の人は違う。
1000本きちんとテストをした上で、なおかつ多めに入れるのだ。
手間はかかるし、手間=コストなので、つまりお金がかかる。
更に多めに入れるとなると、会社としては大損となる。
 
だから、上司は怒る。
「そんなに丁寧にする必要はないのだ」と。
 
さて、怒られてこういうタイプの人はどうするか。
20本をテストする時間で、1000本をテストする為の方法を模索しだす。
もう、とにかく、何がなんでも自分の場からミスを出したくないのだ。
 
「もし、新品のボールペンで書こうとした時にインクが出なかったせいで、誰かの人生が破滅してしまったとしたら」
とかなんとか、すごいことを考えるのだ。
 
だから、その方法を模索して、模索して、模索して。
どうしても方法が見つからない時には、そのことに罪の意識を感じるのだ。
罪の意識を感じるから、今度はその動機を求める。
「生活する為だから、仕方ないんだ。こんな不況の世の中だし、仕事に不平不満を持ってるのなんて自分だけではないし、世の中正しいことだけで回っているわけではない」
と自分に嘘をつき始める。
 
でも、それは嘘だし、ましてや自分に対しての嘘なので、割とあっさりバレる。
排水口の蓋を閉じた水槽のように、水を貯め続けて、ある日、一滴の雫が落ちた弾みで、こぼれてしまう。
 
この国にはかつて『無罪を証明する為の割腹自殺を推奨した』という歴史があったのだ。
身の潔白の為には、死すら恐れない。
 
江戸を見た外国人は「なんと綺麗な国だ」と驚いたし、今でもやはり外国人がくると日本のきれい好きに驚く、というか「異常だろ」とドン引きする。潔癖症の国なのだ。
多少の汚れを許容する効率主義も結構だが、血や土というものはそう簡単に変わりはしない。
 
乗客に日本人はいませんでした
 
有名人の自殺未遂はトップニュースになるのに、
今日の列車を止めた人の事は新聞にすら載らない。
 
その違いはなんなんでしょうなあ。