そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

夢というものについてつらつらと書く。

 
オチを決めないまま書く。つまりいつも通りだ。
 
「小説でメシ食っていきたい」
 
そう言うと、漫画家さんや作家さんは「ずっと食っていけるかどうかは運もあるからねー」とサラリと流してくれる。
 
そうでない人達。
例えば、プログラマや営業事務、いわゆるサラリーマン、OLさんと言われる人達は「やりたいことがあっていいですね」とか言う。
 
大体、そんな印象。
 
ただ、自分としては別に小説で食ってくこと自体は大したことだとは思っていない。
実際、そうなるには大変だろうし苦労もするんだろうなあ、とは思うけど、なんというかサラリーマンの人が昇進を目指したり、OLさんが『ミスのない仕事』を目指すようなものと似たようなものだと思っている。
 
というのも、小説を書くのは、人生で二度目になるからだ。
 
一度目は学生の頃に書いた。
どうにかこうにか書き上げた短編は、それはもう見るも無残に面白くなくて、かなり絶望した。
貧相な語彙、ありきたりの展開、粗末な描写、魅力のないキャラクター等々。
それこそ書いた自分自身で全否定できるぐらいひどかった。
 
だから投げた。
 
その次にプログラムの会社へ入り、面白い仕事をバリバリできる人間になろうと思った。
けど、同じ会社で10年やってる上司の姿を見て「そんな仕事をしているようには全く見えない」と思ったので、あっさり辞めた。
 
化粧品メーカーでバリバリやろうと思ったこともある。
ケンカしてクビになったけど。
 
うどんを食べる為だけに四国へ行ってみたいと思ったこともある。
これはあっさりかなった。
 
やりたいこと、思いついたこと。
色々あったし、いろいろかなったし、いろいろダメだった。
女性関係はダメだったことがほとんど。
 
んで、今は再び小説。
気まぐれで書いた作品を「面白い!」と言ってくれる人がいたので。
まあ、需要があるなら食える可能性もゼロではない。
食えたらラッキー。食えなきゃ自分一人が野垂れ死ぬだけですし。
 
人生一度きりならやりたいことをやった方がいい。
 
このやりたいことを『夢』と呼ぶのであれば、夢は何度諦めてもいいし、何度挑戦してもいいし、他の夢を探すのだって自由だ。
 
失敗したって、たかが夢だ。
自分の夢を追うのにつかれたら、他の人の夢を眺めるのもいいだろう。
 
ギターがダメならベース、ベースがダメならドラム、それもダメならボーカル、ボーカルもダメなら作曲家、作曲家がダメなら作詞、作詞もダメならプロデューサー、マネージャー、ライブハウスのオーナー、音楽ショップの店員などなど。
 
形を変えたってなんだっていいじゃないの。
 
やりたいこととできること。
できないと分かったからこそ、やりたいことが出てくることもある。
 
手に入らない絵の具を嘆いてもキャンバスは白いままだ。
今ある絵の具で描けばいい。
途中でモチーフを変えたって全然OK。塗りつぶすのもアリだ。
 
そして未完成で絵の具が尽きたとしても嘆くことはない。
深呼吸ひとつしてサインを入れりゃ、それも立派な作品だ。
胸を張って飾ればいいじゃないの。
 
『みんな』からバカにされたって気にすることはない。
カラスがカーと鳴くように『みんな』というのは他人をバカにする生き物なんだ。
気にするこたぁない。
 
長い人生、そのうち「いい絵だな」と言ってくれる人が出てくるさ。
 
若いころの拙い絵なんてのは改めて見ると死にたくなるもんだけれど。
ま、そこは全員共通なんだから、苦めのエスプレッソで飲み流そうじゃないか。