そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

祖父が亡くなったと連絡がきた。

 
入退院が多くなり、実家の方でも「(生業に関わるため)冬になる前に片付いて欲しい」という話がチラホラ出てましたし、自分自身それほど接点が多かったわけでもないので意気消沈しておらず。
ただ、通夜は通夜ですので、粛々と故人を偲んでみようかなー、と思っておる今日このごろです。
 
■祖父は漁師町の網元でした。
 
ああ、網元(あみもと)は漁師連中の大将みたいなもんです。
 
まず家からして、海まで徒歩20秒の位置にありまして、しかも海といっても砂浜ではなく船着場。
自分も祖父の家に行った時には、よく海に向かって走っては、ギリギリで止まろうとして波打ち際にびっしり生えた海藻に滑ってそのまま海へダイブする、ということをしておりました。
 
あの海に落ちた回数は思い返しても、数え切れません。
 
そんな中、祖父はというと、ずぶ濡れで泣きわめく自分を横目に「わっはっは。お前は海が好きだのう」と笑いながら釣竿片手に防波堤の先へ歩いて行く、という人でして。
 
曰く「漁は仕事でするもんで、釣りは趣味でするもんだ」という起きてる間は、大体、酔っ払ってるか海と対決してるか、というTHE海の男でございました。
 
■そう、酒飲みなんですよ。
 
というより、酒、タバコ、博打をこよなく愛する和風バイキングみたいな爺さんで、堅実派の自分や兄は行く度に「酒は? タバコは? 博打は? はぁ、お前らは何が楽しみで生きとるんだ?」と心底呆れられておりまして。
 
「今この時を楽しまずして、将来が楽しいものか」というタイプでございました。
 
■しかし、ガタイは人一倍小さい。
 
かつて、徴兵に引っ張られかけて、身長と体力が足りない、という理由で落とされたそうでございますから、良かったんだか悪かったんだか。
 
「生きていられたんだから良かったんだ」と言ってしまえるのは平和な世に生まれたからであって、当時の世間体や公共の場での扱われ方を調べるに、色々と苦労したんだろうなあ、と思うわけです。
 
■そしてふと自分の姿を見てみれば。
 
背は低いわ、仕事でもパソコン、趣味でもパソコン。
好きなものには仕事でも遊びでも付きあおうとした祖父から、心体ともに性質のようなものを受け継いでしまったのかなあ、と思う通夜でございます。
 
あんまり接点はないと思ったんですけどねえ。
 
故人のシワだらけの手と、シワのできはじめた自分の手を思い比べながら、今日一日を締めたく思います。
 
■今日の猫。
 
あ、しまった。おじいちゃん猫嫌いだ。