そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

帰って来ました。

 
帰って玄関あけた途端、猫たちがたたーっとふすまの向こうへと逃げていき。
 
あれ? え? なんでふすま開いてんの?
と思いつつ、台所の被害を確認したら。。。新品の猫砂(7L)が辺り一面に飛び散っていて、ガクッと疲れた。
 
つっかえ棒+重しで封をしてたんだけど、お手伝いさんが掃除の最中に重しを動かしてしまったそうな。
 
説明してなかった自分も悪いので、お互いに以後気をつけよう、という話で。
 
■つっかえ棒じゃ限界があるよな。
 
とはいえ「開け放して自由に行き来できるように」とかは却下。
脱走リスクが恐ろしすぎる。
 
扉にちょいと工作して、鍵をつける、というのは最終手段にしたいので、とりあえずマグネット+スチールシートで猫の力じゃ扉を開かなくしてみよう、と思うなど。
 
■田舎でどう過ごしていたか。
 
自分が高校ぐらいまでは、インターネットもなかったので、日課として本屋に通っていた。
買う予定の本は、すでに新刊予定一覧表でチェックして入荷予定にしてもらってるんだけど、それ以外の新人作家のデビュー作とか、ゲーム雑誌や漫画雑誌の創刊号とかそういうのを狙って、毎日通っていた。
 
チェック漏れ、というか、町に二軒しかない本屋に入荷されない雑誌に掲載されてるような漫画はそもそもチェックしようがない。だから片道560円の電車代を払って大きな町まで出かけたりもした。大きな町に行くついでに安い中古ゲームもたくさん買った。
 
それ以外にお金は全然使わなかった。
学生同士の恋愛なんて、軽蔑すらしていた。
今思い返しても、不毛な青春を送ったなあ、と思うけれど、今あの時に戻ったとしても、やっぱり本とゲームを漁るだろう。
それしかやることがなかったからなー。
 
■本とゲーム。
 
漫画でも小説でも、よく「子どもの頃から、読んでくれる友人がいて」といった作家の話がある。
田舎じゃ、そんな奇特な人はおらず、今のように同人文化も遠い大都会の話だった。
(今はあるみたいです。若い子同士で交流してるみたいで楽しそう)
 
自分がオタクになったのは、それが好きだったからじゃない。
都会よりはるかに少ない選択肢の中で、それ以外に興味を持てなかったからだ。
ほかに比べればマシ。
自分にとって本とゲームはそんなものだった。
 
だからいまだに「好きか?」と聞かれると答えに詰まる。
 
■多分、自分の中の「好き」はハードルが高い気がする。
 
軽トラにハネられて「ちっ、肋骨2,3本持っていかれたか」と言いながらも、漫画を読むのをやめない、みたいな。
 
命と秤にかけて、そっちを選ぶのなら「好き」認定。
 
ちなみに人に対する「好き」も同じような感じです。
愛が、重い!