そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

今週のお題「私の『芸術の秋』」それもきっとすてきな歌ですよ。

 
こないだ、中国語の先生に『栄光の架け橋』(ゆず)の歌詞について解説を求められた。
良い歌ですね、と言うと「日本の歌は昔(10年ぐらい前)の歌の方がいいです」と返された。
 
「最近の歌は、愛してる・好きってすぐに言うから良くないです」
そうですか、と自分は笑って流しました。
 
■自分にとって歌詞と言われて思い出すのは、槇原敬之だ。
 
小学校のころ、彼の歌う『どんなときも』に心を打たれて、彼こそが最高だ、と思った。
いつかは自分も歌詞が作れるようになれたらいいなあ、と思って、とにかく歌詞を暗唱して、写し書きした。
(コピー機すら一般家庭にはない時代だったのよ)
 
アルバム4枚分、気に入った歌を聞いては歌い、読んでは書き写した。
中学に入る頃には、すっかり学校の勉強に飽きていたので、授業中に自分オリジナルの歌詞を書き始めた。
 
最初こそ、彼の影響丸出しの劣化コピーみたいなものだったけれど、だんだん少しずつ「彼が書かなさそうなもの」を考えながら書くようになった。
 
彼が喜びそうで、なおかつ、彼が書かなさそうなもの。
そんなことを思いながら、書いた。
 
世間一般的に、こう言うのが正しいのかどうかは分からない。
当時の自分は、彼の作る歌のすべてに恋をしていた。
 
■だけど、彼はゲイで、麻薬をやっていた。
 
知ったときは高校生のとき。
同級生たちが「ゲェー」と気持ち悪がるのを見ながら、じっと黙っていた。
その中には「おまえ、槇原好きだったよな」と、からかってくる連中もいた。
 
腹が立ったけど、怒ったら負けだと思った。
好きな人が法を犯したのだ。
自分が法に罰せられることはないけれど、同様に罪を背負おうと、勝手に思い込んだ。
 
自分は歌手でもないし、そもそも社会人ですらなかった。
だけど、彼が辛いのなら、その辛さをじっと見続けようと思った。
 
傍観しつづけること。
それが自分の出来る愛情表現なんだ、と思ったし、今でも思っている。
 
■今になって自分で小説を書くようになったけど。
 
まだその辛さは分からない。
でも、自分が平気だからといって、辛いと感じる人のことを無視する気にはなれない。
 
きっと、何かを書いたり作ったりして、世の中に発表するということは大変なことなんだ。
 
自分が気に入らない歌であったとしても、その歌に心を重ねる人はいる。
 
■歌の良さは歌だけじゃない。
 
すべての芸術はボールを投げる人と、それを受け取る人がいて、初めて成立します。
 
聞いた時間、そのときの景色、一緒にいた人、発した声、交わした言葉、そのときに感じたすべての気持ち。
それらをすべてひっくるめて『歌』なんです。
 
文字が発明されるよりも、もっともっと前、古代の「あー」とか「うー」とか言ってた時代から、歌はそうやって人々の思い出の保存媒体として残ってきました。
 
その多くはもう失われてしまったけれど、失われたからといって、価値がなくなったわけじゃない。
 
流行りの歌も、流行らなかった歌も、売れた歌も売れなかった歌も。
日本語としてきれいな歌も、率直な歌も。
激しい歌も、優しい歌も、ふざけた歌も。
みんなが覚えている歌も、自分ぐらいしか覚えてなさそうな歌も。
 
それもこれも、きっとすてきな歌なんですよ。