Twitterをやっていると、たまにお産の現場に関するツイートが舞い込んでくる。
大抵は壮絶なもので、男の自分としては「ヒャア」とキャンタマ縮み上がる思いがするんだけど、お母様方は「あるある!」と言いたげに和気あいあいとしている。
●以下、彼女もいない32歳おっさんの戯言。
立ち会い出産なんて、誰が考えたんや。
(下世話なことを心配すると、セックスレスとかになったりしないんだろうか)
よく「お産に立ち会うことで父親としての自覚をー」という話があるけれど、はっきりいって意味がない。というのも、夫が父親の自覚を持つのは「子供に初めて接した時」だからだ。
そういう研究結果は、国内国外問わず、割とあちこちから出てる。
(国立情報学研究所のレポートURLを貼ろうと思ったら、メンテ中だった)
その子供が血まみれだろうと、産湯に浸かってツヤツヤになった後だろうと、極端な話、生まれて五年後だろうと、あまり関係はない。
父親の心の動きとしてはまず「本当に俺の子?」という疑問を抱く。
といっても妻の不貞を疑う意味ではなく「セックスしたら子供が生まれた」という現象に対する疑問である。
(まあ、不貞を疑う場合もあるんだろうけど、さておく)
んで、子供を見たり、あるいは接していく間に「この子は俺しか頼る相手がいないのだ」という事実を知り「分かった。俺の子と認めて一生かけて育てようじゃないか!」と覚悟を決める。これが父親の自覚だそうな。
なので出産に立ち会わなくても父親の自覚は生まれるのです。
それをしなかったから、父親の自覚が生まれなかった、ということはまずありえないです。
(立ち会い出産をしなかった歴史の方が長いですから)
あと「立ち会い出産は、夫婦の関係を良好に保つ」という話もある。
知らない人だらけのお産の現場で、妻を勇気づけられるのは夫しかいない! と。なるほど。
ただ、それも疑問がある。
それ、別に夫じゃなくても、他の例えば妻の母親とか姉妹とかでもいいんじゃない?
女性の生理現象に詳しくない夫に頼るしかない、というのは、その時点で「猫の手も借りたい」状態に陥っているので、状況としては大変マズい。圧倒的な人手不足である。
いや、それでもついてきてくれた夫に感謝、妻に感謝、お互いに感謝で相思相愛、未来永劫お幸せに! という気持ちは分からんでもないけれど。
運営システムとして考えた場合、夫の立ち会い出産って、やっぱりいらなくね? と思う今日この頃だったりします。
■そんなひとでなしな自分ですが一応、また応募しました。
新人賞に。
でも、正直、昔よりも更に狭き門(出版不況的な意味で)になった文芸とかに自分程度が食い込める気がしない。
まあ、自分で言うとカッコ悪いんだろうなあ、と思いつつ書くと。
もっとこう、キャッチーでポップで売れそうな作品を書いて、なおかつ美少女、とかそういう作家じゃないと今の時代デビューできないんじゃなかろうか、と思わなくもない。
「ポスト綿矢●さ」みたいな。
けど神輿に担がれるのは嫌だなあ。
■というわけで。
今夜も走ってきます。
■今日の猫。
ぐーすか寝てたら、髪の毛を毛づくろいされるわ、足に爪立てられるわで、なんでこんなに懐かれてるんだろう、と思ったら、餌をあげてなかった。
すまん。