えらく中二っぽいタイトルですが。
先日、ソーシャルワーカーのセミナーに参加してきました。
どんなもんか興味があったもので。
ソーシャルワーカーというのは、私もあまり詳しく知らないのですが、「生活全般について手助けする人」のような意味合いで、例えば持病を持った方、シングルマザー、外国人、自殺志願者といった誰かの助けを求めている人をどうにかする、というボランティアのような人たちのことのようです。
ただ、「ボランティアのような人」と表現してしまうと、かなり語弊がありまして。
本来であればセーフティネットに関わる話なので、行政の問題なんですよね。でも「行政がー」と言ってても自殺者数は減らない。せめて自分たちでやれることを、ということでソーシャルワーカーになるそうです。
現状は、お金については、持ち出しや寄付金で賄ってる所も多いようですが、今日のソーシャルワーカーは若い人が多いせいか「なんとしてでもこれを収益に転じてビジネス化していきます!『ボランティア』で終わらせてなるものか!」といった空気が濃かったです。
ほかの参加者とも何人か話をしたんですけど、まず、根っこに「他人を助ける力がほしい」というのがあるようです。
身近で悩んでいる人がいるなら助けたい。助けられる自分でありたい。そのための力や技術がほしい。
他人を助けることで、社会に貢献したい。そんな気持ちがあるようでした。
■さて、話変わって。
ここ十年ほど自己啓発が盛んです。
「○○力」や「○○する力」といったタイトルの本は毎月のように発売されてますし、セルフブランディングやら、ホニャララカタカナオンパレードみたいな横文字もたくさん見かけます。
いくつかセミナーも見学させてもらいましたけど、なんというか「本当の力をきちんと表現しましょう」といった内容が大半でした。
力を持ってるのが前提で、あとはそれを表現すればいい。
「あなたたちは誤解されてるだけなんですよ」といった内容が多かったです。
もちろん、中には本当に誤解されていて、本来の技術力を発揮することで伸びていく人もいますけどね。大半の人はそうじゃありません。
でも、何かしら無力感や伝わらない悔しさを感じていて「何か力を!」と求めているのは、ソーシャルワーカーのそれと大差ないんですよね。
■それって、何のための力ですか?
「一日五分で幸せになれる瞑想法」や「発言する力」を知れば、自分は幸せになれるかもしれないけど、家族のうつ病は治らないわけです。
じゃあ、具体的にどうすんの?看病するにしてもその人手は?金は?世間体は?といった問題が山積みになって出てくるわけで。
自分がやりたいことや目指したい方向と、その勉強って合ってますかね。
先日参加した自己啓発セミナーと比較してそんなことを思いました。