こういう話には、無条件に同情してしまう、というパターンがある。
それは「自分より強い人がいない」ということ。
■かつての自分がそうだった。
中学高校と詩を作ることにハマった。
言葉の面白さ、日本語の美しさと奇妙さ。
別に学問としてやってたわけじゃなく、
楽しいから楽しいままに作ってた。
けど、「たくさん作ったねえ」以上の言葉は誰からももらえなかった。
■田舎に芸術はいらない。
必要なのは、都会に行く為の勉強。
あるいは、地元で生きていくための処世術。
歌も踊りも音楽も、言葉も小説も、絵も漫画も、ゲームも映画も演劇も。
なにひとつとして、田舎には必要無かった。
■人工の大自然。
朝、山沿いの道を通学のために歩けば、森の匂いがした。
雨とは違う、朝の水の匂い、植物が発する青い色のついた香り。
吸い込むだけで肺まで透き通ってしまいそうな澄んだ空気。
管理された自然が、そこにはあった。
山も川も海も、森も水もタヌキも魚もカエルもいたのに。
「田舎だからなんもない」と言われてた。
あなたたちには見えないのか、これが!それが!
どうやら見えないようだった。
■このへんは思春期特有のアレだ。
今なら、見てるものが違うだけ、と分かる。
それぞれにそれぞれが大事だと思うものを見てるだけ。
自分はたまたまボンボンの末っ子として育ったので、ひとよりも景色を眺める余裕があっただけだ。
今なら「そうだね、なんもないね」と返せる。
反論したところで、意味がないし、その人が幸せなら、それが何よりだから。
■でも、だ。
今でも、「自分ほど、これに打ち込んでいる人が周りにいない」という人を見かけると、少し悲しくなる。
砂浜から投げた石が、予定通りに放物線を描いて、ただ海面へと落ち、沈んでいく。
何かを期待していたはずなのに、それがなんなのかすら分からないさみしさ。
そういうのは、今でも分かるんだよなあ。
。。。と、酒に酔ったことにして書いておく。