こないだの養老孟司さんの「人間科学」で読んで、膝を打った話がありまして。
大陸であれば陸続きで異文化が入ってくるから、その異文化と自分とこの文化との境目。
「ここからこっちは、そちらとは全く違うルールでやりますからね」
というのが『社会』だそうで。
日本の場合、島国なので、そんなもんはない。
大きな共同体の中に小さな共同体があり、さらに小さな共同体がある。
それらの共同体は入れ子関係になってるので、共通のルールがあり、さらにそれぞれの共同体ごとに細かいルールがある。
それは『社会』ではなく『世間』だ。
という話でした。
昔から「そんなの社会に出た時に通用しない」とか「社会人としてダメ」みたいなことを言われるたびに、そんなん海外出たら分からん、とか、都会限定の話でしょ、と思ってたんだけども。
『社会』を『世間』と入れ替えると、しっくりきた。
「そんなの世間じゃ通用しない」
それなら分かる。ローカルルールということだ。
とはいえ。
「社会じゃー」と言う人は、ローカルルールである認識は無いんだろうけどね。
■とりあえず。
酒のんで通りで大声出したりわめいたり、潰れてベンチで寝てる人って、だいたいスーツ着てるんだけど、そういうのは『社会の常識』的にどうなんですかね。
テレビとかだとナレーションとかで「お父さん、お疲れ様です」みたいなコメントが入るけど、疲れてるのなんて、それこそ『疲れてるのはみんな一緒だ!』よねえ。
なーんか、スーツ着てる、てだけで傍若無人が許されるのって、日本のローカルルールな気がするわー。
だから、スーツは着るのもあんまり好きじゃない。