どこぞの居酒屋チェーンの店長が、
「休みたい人には休みをあげますが、僕は休みません。週休2日もらって『いらない人間』になるか、休まずに『必要な人』になるか、です」
みたいなことを発言していた。
話の内容は、どこを取っても褒められるものではないし、本人が良かれと思って発言してることも、電波な人が「ハルマゲドンが人類の幸福には必要なんです!」と言ってるレベルでしかないので、さておく。
■『必要とされたい欲』というのは繭みたいなもんだ。
別に悪いことをしてるわけじゃない。
必要な人として扱われれば、とても居心地がよくて、気分もいい。
多少の無理だって、更なる快感への助走としか思えない。
ヒトが抱えた先天的な欠陥のひとつだと自分は認識してるんだけども、
この『必要』を欲してしまう心は誰もが持っている。
好きな人に「いらない」と言われれば傷ついてしまう。
そういう風にヒトは出来ている。
だが、好きな人、というのは赤の他人だ。
自分じゃコントロールできないから、いつかどこかのタイミングで、誰もが必ず傷ついてしまう。
そういう風に今んトコ出来ている。
必要とされる限り、つまり繭の中にいる限り、将来は安泰だ。
だが、その繭は、自分ではなく、他人の都合である日、急に何の前触れもなく、力任せに引き裂かれて、弱々しい生身をさらしてしまうことになる。
形があればまだマシ。繭の中で液状化の真っ最中だったかもしれない。
■だから、人は宗教を作った。
まず、「神様があなたをいつでも必要としてるし、見てるからね。いいね?」と最低限のキャッチャー・イン・ザ・ライを設置したわけだ。
やったね、これでライ麦畑から転げ落ちる人はいなくなる。
■ところが、日本にはそういうのがない。
仏様も神様もご先祖様も世間様もお天道様も。
人間が一方的に祀るばかりで、彼らに必要とされてる、なんて感じたことはないだろう。
(墓参りの掃除ぐらいか)
だから、すぐ他人に依存するし、世間様に依存する。
でも、他人は神様じゃないので「いらない」と割とすぐに言う。無視だって割と簡単にしてしまう。
そうなると、ライ麦畑から転げ落ちた人をキャッチする人がいなくなるから、電車と相撲取りたくなっちゃうわけだ。
平たく言えば、『道徳』がない。
「大和魂と武士道があります!」って時代でも無くなったからねえ。
■じゃあ、どうしようか。
うーん、手っ取り早かった『神様に拝む』って手段を捨てちゃったんだから、ほかのこと考えなきゃね。
美少女キャラクターでも拝んでみようか。
受け入れてくれることはないけど、拒絶もないからねえ。
ちょっと肌色の多い神様だと思えば、そういうもんだと思えるかもね。
なんにせよ、自分で拝む相手を考えていかなきゃいけないわけだ。
この世でヒトとして生きていくならね。
■ちなみに、自分の場合は。
学習に依存してます。
昨日より、少しでも知識が増えていけば、そのうち、うまくいくだろう。
これのデメリットは、頭でっかちになりやすい、って所です。
メリットは、単純に金が儲かる。なんちゃって。