古代ローマでも、三国志でも、信長の野望でも、第二次大戦でも、集団同士の戦いを見る度に思うことがある。
先頭には立ちたくない。
だって、すぐ殺されるじゃないですか。
圧倒的な力の差があって、こちらが勝つと分かりきってても、相手が最後の力を振り絞って、抵抗してくるかもしれない。その時はやっぱり先頭の人たちは殺されるんです。
自分は臆病なので、どうにか立ちまわって先頭に立たなくていいようにすると思います。カリスマを持つリーダーがいたとするなら、その人と仲良くなって「俺が隣にいてやるよ」と助けるようなフリをしながら、最後部でリーダーの隣に立つと思います。
じゃあ、兵隊全員が自分のように、リーダーの隣に立とうとすればどうなるのか。
先頭に立つ兵隊はいなくなり、チームはまとまりを欠いて、負けてしまいます。負けた時には、リーダーが首を差し出すのが通例なので、その隣に自分の首も並ぶことでしょう。
それじゃ困るわけです、自分が。
先頭には命知らずの戦士に立っててほしいし、弓のうまい人は後ろから敵を狙い撃ちしてほしいし、炊事班にはうまいメシを作ってほしい。
そのために必要なのは、「安心して死ねる=戦える」という報酬制度です。
その制度もなくして、「リーダーは命知らずの戦士を望んでる。さあ、最前線に立って盾と槍を構えるのだ!」なんて言ったって、「じゃあ、お前が先頭に立て」と返されるのがオチです。
「いや、俺はリーダー目線で考えられるから一番最初に死ぬのはまずい」なんて、腰の引けたことを言ってしまえば、敵よりも先に味方に殺されます。
リーダー目線なんてなくていい。
「安心して死ねる=戦える」かどうかだけを考えて、そうでない時は、チャンスを待って、逃げた方がいいです。