自分が若いころってどうだったかなー、と思いだしてみた。
高校ぐらいの頃に、初めて大阪に一人で行って、大阪駅から降りて、地図を見ながら堂島あたりのイベント会場まで歩いて行った。
たったそれだけで「都会、ちょろいな!」と思った。
大学行く意味なんて最初から分からんかったし、カプコンでゲーム作って秘書連れて大阪で高級車乗り回して、ファミ通の巻頭でロクロを回してる未来像しかなかった。
だから専門学校行って「ゲーム性っていうのは」とか毎日語ってた。
ほんと、あの頃、SNSが無くてよかった。本当によかった。
専門学校で運よく優秀な先輩を捕まえることが出来て、学校の中を世界のすべてにして、毎日楽しめたのは、本当に運が良かった。
教師から体よく頼まれた雑用をこなす待ち時間に、友だちと一緒に缶コーヒーを飲んでる毎日の時間が、高校まででちっとも育たなかった自分の自尊心を育んでくれたと、今なら分かる。
ただ、専門学校には居場所がない人もいた。
そういう人は、同じクラスにもいて、遅刻の常習犯で、学校に来てもつまらなさそうにしていた。
周りの人たちから「学費がもったいない」と怒られてたし、自分も同感だった。
今なら、そのアプローチは違うとわかる。
かけるべき声は、「何もない」だ。
ただ、隣にいて、話し始めるのを待つ。話し始めたらじっと聞く。
うんうん頷いて、具体的なことを深掘りして「それいいね」と心から同意すること。
それが自分の世界を深掘りしてくれると今は分かる。
もったいなかったな、と思う。
話したところで友だちになれなかったかもしれないけど、分かろうともしなかったことが、本当にもったいないと思う。
そんな風に、できなかったことの記憶が自分にはたくさんある。
少しだけ、できたこともあるので、毎朝、太陽向いて歩いていけてるけど。
自分はあまり自分からあれやるこれやると始めるタイプではない。
なので、他人の話を聞きたい。他人の話を通じて、自分の世界を深くしたい。
まあ、酒入ってると説教おじさんになるけど、年のせいなので、勘弁してほしい。
最近はシラフでいるようにしてます。