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そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

どうやって自己肯定感をアゲアゲするのか。

自己肯定感について解説してる記事を見かけました。
コメントに「だから、どうやってあげるんだよ」とついてたので、自分なりのやり方をつらつらと書いてみます。


■自分をほめる、って難しい。

「さあ、自分を褒めましょう! 生きてておめでとう、自分! ハッピーバースエブリデイ自分!」

なんかのコントか?ってなりませんか。
私はなります。

「一生懸命頑張った私にご褒美を」というキャッチコピーがそこら中にあふれてますが、それですら「で、結果だしてんの?」と冷笑で迎えられる世間様です。

謙遜が美徳とされる日本で、自分を褒めるの、って『世間の波に逆らうこと』なので、かなり難しいんです。


■なので、他人を褒めよう。

「今日は残業をがんばったんですね。投げ出さない姿勢、私はすごいと思います」
「上司に嫌なことを言われても、言い返さずに我慢されたんですね。私はすごいと思います」
「恋人に理不尽に怒られても、優しく振舞った許したんですね。私はすごいと思います」
「友だちに裏切られたのに、許そうとして悩まれてるんですね。私はすごいと思います」
「そんなに辛い体験に耐えて、今日まで生きてこられたんですね。私はすごいと思います」

他人を褒めるポイントはたくさんあります。


■褒められない、という人もいる。

「いやいや、その程度のこと、○○の方がきついし、大したことじゃないよ」という意見もあると思います。

ところで例えばですけど、野口英世石田三成。どっちが苦労したんでしょうか。

数々の差別を受けて心労からアル中になりながらも医療を続けた野口英世と、忠義を尽くして奔走したのに周りに理解されず罪人として処刑された石田三成

どっちも苦労してますよね。

私とウサインボルトさんが、絵を描いたらどっちが多く疲れるでしょうか。
比べられないですよね。

苦労はその人のものなので、誰かと比べる必要はないんです。


■他人褒めたらどうなんの?

他人の文句を言ってしまった後で「あー、これ、自分にも当てはまるな」と自己嫌悪に陥ったことないでしょうか。

ちょっと抽象的な表現をしますが『意思』は『言葉』になった時点で、意思から切り離された存在になるので、客観的にそれを見ることが出来ます。

寝る前に書いたポエムを朝になって見ると破り捨てたくなるアレです。
書いてる間は『意思』なんです。
書き終わってしばらく経つと『言葉』として客観的に映るようになります。

なので、他人を褒めることは「○○をするのはすごいことだ」と自分で基準を定めることになります。
ということは、自分も「○○」をすれば、自分自身をすごいと認めることになります。


■ただし、誉め言葉は本心から。

うわっつらだけ撫でたような褒め方はダメです。
「部長、ナイスショット!」みたいなのはやめましょう。

エヴァの話をするとですね。
最初の方で、操縦がうまくできなくて、結果的にエヴァが暴走して敵を倒して、何の達成感も得られず、しょんぼりしてたシンジ君に、ミサトさんが高台から街を見せて「あなたが守った街よ。誇りを持ちなさい」って言うシーンがあるじゃないですか。

人は、何かを守りながら生きている生き物です。

それは家族かもしれないし、会社かもしれないし、友人かもしれないです。
本人は「自分の生活を守っているだけ」と思っているかもしれませんが、それは同時に、他人の社会生活を守ることにも繋がっています。

誰かが一日生きることは、他の誰かを一日守っているのです。

「あなたが守った社会よ。誇りを持ちなさい」と言ってみませんか。



■それでも難しいと言う方へ。

この記事をここまで読んだのは、あなた自身のためでしょうか。
それとも誰かのためでしょうか。
なんとなく好奇心でしょうか。

誰かのため、と答えたあなたは、思いやりのある方です。
自分のため、と答えたあなたは、向上心のある方です。
好奇心を答えたあなたは、勉強意欲のある方です。

みなさん、素晴らしい!


といったオチをつけた私もまた、素晴らしい。てへへ。