そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

髪の毛切りたいな。

 
そろそろ三ヶ月ほどたつので切りたい。
元々、髪型に変化のない方なので、
切ったとこで「切った。。。?」と疑問系で言われるぐらいなんだけども。
 
自分だとだいぶモッサリしてうっとおしい髪の量になってるので切りたい。
 
どこがいいかな。
 
つっても、大体髪を切るのは平日なので、
会社終わってからだと時間も場所も限られる。
 
うーん、最寄り駅の近くでどっかないかな。
 
と思ったら、あった。
22時まで開いてるらしい。
よし、とりあえず電話してみよう。
 
。。。終了時間が早まってて、すでに終わっていた。残念。
 
明日の夜に予約したから、髪型でも考えておくか。
 
■とはいうものの。
 
「似合う髪型」というのが、さっぱりわからない。
 
だいたい、田舎にいた時も近所の床屋でカットとカラーをしてもらっていて、
「髪なんてうっとおしくなければ良い」という具合だったのだけれども。
 
都会ルールだとそういうわけにもいかないらしく。
「さあ、似合う髪型にしてこい」と言われるわけで。
見慣れた髪型なら、毎朝鏡の前にモデルがいるわけだけれど、
似合う髪型と言われるとハードルが高い。
 
そも、当たり前の話であるが、自分で似合わないと思ったらそんな髪型していないので改めて「似合う髪型に」と言われると、非常に困る。
 
大体、都会によくある「美容院>床屋」という感覚もよくわからない。
自分はどうもあの美容院特有のチャラさというか、軽さが苦手だ。
あたかも「髪の毛切ったら変身できますよー」とかいうあの感じ。
 
その程度で変身できるなら、化粧品が売れるわけがない。
ましてや化粧をしない男子に至っては、言わずもがなである。
 
そこへ行くと、床屋のあの「今日はどうしましょうかね」と、
一応要望は聞くものの、客の話は右から左で、
「じゃあ、いい感じに仕上げておきますね」と
全体的に短くするだけでお代を頂戴しようとするあの図太さは尊敬に値する。
 
そう誰もが知らなくても、床屋のオッサンは知っている。
「髪型変えたって人生変わりゃしない」ということは、
オッサンが身を持って証明しているのだ。
ああ、オッサン。オッサンイズフォーエバー。
 
「髪型を変えれば世界がバラ色に」と美容院は口々に謳うが、
正確に言うなれば「髪型を変えてる最中だけ世界がバラ色に」である。
美容院を一歩出れば、あなたの髪型になんて誰も注目しないし、
ゆるふわでいい気分なのはせいぜい一週間で、
次の週に雨が降れば相変わらずのクセッ毛に
ギギギとブラシを当てる生活が待っているのだ。
 
しかし床屋のオッサンは違う。
床屋という場所はむしろ一番居心地が悪い。
オッサンも目の前の客ではなく、隣にいる馴染みの客と会話を始めるし、
野球が始まれば2ストライクになる度にテレビに釘付けである。
頼むからハサミを下ろしてから見てくれ。
 
だがしかし、床屋を一歩出れば、ああ、頭が軽い。
スッキリサッパリ気持ちがいい。
クセッ毛も全くもってそのままだけれど、それはそれ。
髪の専門家にすら見向きもされないという事実に、
むしろ「クセッ毛のクセが抜けたら物足りねえや」と自己肯定したくなり、
これこそワールドワイドのグローバルなオシャレと言えよう。
(白人世界じゃ髪の毛染めるのはタトゥと同じぐらいアングラなもんらしい)
 
でもまあ、今回ばかりはもう明日の夜予約してしまったので、美容院に行く。
 
だいたい、最近、床屋らしい床屋がまったく見当たらないのよね。