伸びた方向が気に入らなくても、つぼみをつけた位置が気に入らなくても、それを無理やり曲げて直そうとしたり、つぼみを摘んじゃいかん。
それもまた、その花なのだ、と愛でること。
そういうのが教育じゃねえかなあ、と思う今日この頃です。
もちろん害を及ぼすようであれば除草剤なりなんなりで枯らさねばなりませんが。
風雨から守り、雑草を抜き、害虫を追い払い、せっせと長い時間、誰からも気付かれることなく、褒められることを期待するでもなく、ただ、世話をする。
その果てに、育てた草木が花を咲かせることもあるでしょうし、実をつけることもあるでしょう。
けれど、その草木は、あなたのことなど覚えてやしない。
それはひどく冷たくて、孤独で、誰もやりたがらない。
だからこそ「自分でなければ」と思えるやり甲斐がある。
誰かに何かを教える時、そういうものだと思ってます。
「若者の○○離れ」の話を読む度に、そのことを考えます。
あなたが育てたとしても、あなたの思い通りになるわけではないのだ。
過去400万年の人の親が、その孤独を誇り高く、あるいは投げやりに迎えてきたんだ。
自分が出涸らしの役立たずになることを恐れていて、教育なんぞ出来るわけがない。
■というわけで、絶賛役立たず中です。
やー、引継ぎ終わっちゃったし。
足りないスキルも周りにサポートしてもらえるよう取り計らっておいたので、あとは本人が愛嬌でどうにかしのぐだろう。
自分の引継ぎだからといって、自分と同じ方法でやる必要はどこにもない。
要は結果が出せるかどうか。
まあ、自分は出せなかったのだから、自分のやり方を真似るのはデメリットこそあれ、メリットなんぞカケラもない。
■よく当たってる気がするけども。
1980年(昭和55年)9月7日生まれ
http://www.message84.com/message/1980.9.1.html
こういうのは、誰にでも当てはまるように書いてある、って言うしなー。
まあ、良いトコだけ読み返しておこう。
■楽しそうだなー。
ニコ動でもYoutubeでも楽しそうにしてる人達にはファンがつくんだそうな。
確かに、楽しそうにしてる人達って、見てるこっちも楽しい気持ちになれそうな気になるもんね。
誰かを楽しませる為に、まず自分が楽しむ。
そういうのもアリだと思う。
■今日の猫。
ドアを大きく開けると、普通に通りすぎるだけなのに、頭一つ分ぐらいの隙間にしておくと、やたら何度も通りたがる。
なんかこう、ローテーブルの上から飛び降りてドヤ顔する幼児っぽい。