住所を持たない「路上生活者」を指す言葉として。
最初は「浮浪者」、次はカタカナにしてマイルド表現にした「ホームレス」。
次は若者文化と印象つけたかった「ネカフェ難民」で、今はそこからも追い出されて、元の「浮浪者」に戻ったかと思いきや、貸倉庫などに住んでいたりする。
自分が路上生活者を初めて見たのは、30年ほど前の沖縄の国際通りだったと記憶している。当時は怖いもの知らずの小学生で、家族旅行中、夜が早い家族が寝静まってから、宿をこっそり抜け出して、賑やかな通りを散歩した。
そこで見た。
木に持たれるように座り、包帯で巻かれた両足を投げ出していた。が、片足がなかった。薄汚れていて、ただでさえ、そこら中を虫が這い回る那覇の繁華街の隅っこで、座ってうつむいていた。
空き缶がそのそばに置いてあり、「あ、これが」と気づいた。
お金をいれたかどうかは覚えていないけれど、当時の自分はムテキでサイキョーだったので、きっとそんな慈悲はもっていなかったと思う。
見たことへのショックを隠して、なにげないフリをして、前を通り過ぎて、数分もしない内に、もと来た道を戻って宿に帰った。
それが自分が初めて見た路上生活者だった。
『怖い』と感じた。
■たぶん、みんな分からなくて不安なのだと思う。
不安を見たくないから蓋をする。
蓋をした結果、路上から路上生活者は消えて、身分証を求められるネカフェからも消えて、大半の人が利用しないであろうコンテナや貸倉庫でひっそり暮らしていると聞く。
■不安を見たくないから、という理由でもう一つ思い出した。
派遣社員だ。
不景気が色濃くなってきた頃、社員を使い潰したくなくて、派遣社員という『望んでその職を選んだ人』を雇って、使い潰した。
社員を使い潰すと、労災になるし、後味も悪い。
でも、派遣社員は使い潰すと、見えないどこかに行ってくれる。
不安がない。
改めて、今の日本って分断がすごいな、と感じる。
「マンションの隣の人が何してるかしらない」て言葉は、30年ほど前にはすでにあった。
自分なども、あまり家族以外に他人と関わりを持ってない。
分断の極みみたいな生活を送っているけれど、自分が過ごしやすくて選んだ。
苦に感じていないし、むしろ楽な生活だな、と思う。
けれど、もしかすると「選ばされた」のかもしんないな、とたまに自分の頭を疑ってみている。
以前、派遣社員で使い潰されようとしてた頃も、自覚としては「働きまくる俺かっこいい」ぐらいに思っていたので。
つながっていた何かが離れたなら、寂しさを感じるだろうけど。
最初からつながっていなければ、何も感じない。
そういう社会で生きてるんだな。
まとまらないけど、もう眠いので寝ます。