そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

地域の役員とかになる年か。


今日、床屋で話してたこと。あくまで床屋談義。
ちなみに理容師は自分と同い年のオッサン。ニコ厨


年食ってくると、地域の付き合いやら大人の義務やらを押し付けられることが多くなる。
自分は今んとこ「家にはいません」ということにして逃げてるけど、店を構えるオッサンはさすがに逃げられないようで、今の時期は毎晩7時ぐらいから9時ぐらいまで秋祭りの奉納の舞を子供らに教える当番をしてるんだそうな。
「1ヶ月もないけどなー」と言ってたけどね。
自分は子供の頃に、オッサン自身がその奉納の舞を踊ってたことを知っている。
あれから10年以上経って、今度は自分が教える番になった、ということだ。


自分とこは田舎の中でも新興住宅地だったので、そういうのがなくて、せいぜい溝掃除やらゴミ拾いやらをするぐらい。
うっかり地域のイベントに参加して、役員とか押し付けられても「来月、ちょっと東京で働いてきますテヘ」みたいな生活をしてるので無理なのよね。
そういうのは世帯主か跡継ぎがすりゃいいと思ってます。
まあ「忙しいから代わりに出ろ」と言われりゃ出ますけどね。その程度。


ちなみに地域のそういう行事ものは出といた方が後々、得です。
若い人は「役員押し付けられるだけじゃん」って嫌がるんだけどね。
あれは「そうでもしないと地域の人と顔なじみにならないでしょ」というものなのよね。
人とのつながりをないがしろにしてると、寂しい老後を送る羽目になる、というのは古今東西同じこと。
「友達と会えばいいじゃん」というのは会いに行ける元気があればこそ、だからねえ。
赤ん坊の公園デビューとかも、ここらへんの話。


というとこで、話題はFF14の壮絶なコケっぷりに移った。


■喜怒哀楽の楽は『許す』ってことじゃねえのかと思った今日この頃。

「しょうがねえやつだなお前は」「えへ、すいやせん」っていうあの感覚。
あれが楽じゃないのかな。だとすると。


自分の周りだけかもしんないけど、自分に対して楽を向ける人ってのが少ない、という気はする。
政治がどんだけ不祥事起こしたり能無しっぷりを見せつけても「しょうがねえな政治家ってのは」とデモもストも起こさないんだから、他人に対しての楽はあるのよね。
でも、自分に向ける楽がすごく少ない。


「このままじゃダメだ!」「もっと上を目指さないと!」と体に無理かけてやってる人がTwitterとか見てるとけっこういる。
業界の事情やら都合ってもんがあるから多少の無理は仕方ないと思うけど、人間、体壊したらどうしようもないからねえ。
金で解決するなら金払えばいいし、頭下げて済むなら下げりゃいい。


他人に向ける楽があるなら、他人の楽も考えてやってみちゃどうなんですかね。
身近にいる人が、自分を見てどう思っているか、どれだけ心配しているか。
まあ、その無理も含めて「しょうがねえやつだな、お前は」って思ってるのかもしんないけどね。