そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

ドアを開けようとする猫の徒労と人類ガチャ。

暗めの話を書く。

 

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我が家では、猫は夜間、専用の部屋(猫部屋)で寝てもらっている。

我が家の猫の朝は早い。早すぎる。

なので、人の安眠のために、部屋に閉じ込めている。

 

毎朝、猫部屋から、ドアをひっかくガリガリという音がする。

それでドアを傷つけられると、安くない修繕費を支払う羽目になるので、防護用にプラ板を貼っている。

なので、正確にはガリガリではなくカスカスという爪が滑る音がしている。

 

んで、その音がしようとしまいと、自分は起床アラームまで寝てる。

起床アラームのあと、起きて開けている。

つまり『猫部屋のドアが開く』のは起床アラームが鳴るからだ。

 

でも、猫視点で見れば「プラ板をひっかき続けるとドアが開く」ので、毎朝、ひっかき続けてるのだろう。

メタ的に言えば、無駄だ。

けれど、ひっかき続けるので人に「ああ、開けてほしいのだな」とは伝わっている。

 

 

こんな感じの無駄を、多分、人類もたくさんしているのだろう。

例えば、世の中にはすごいことを達成した人が少なからずいる。

1万人に1人とか、10万人に1人とかそういう割合で。

 

そういう人と、自分に何の違いがあるのか、を考える。

才能、努力、環境、様々な要素で違う。

じゃあ、自分には、才能、努力、環境は何も整ってないのか、と言えば、そうでもない。

だとすると、結局のところは運だ。

自分の体力や環境の中で、できる限りの努力をして、あとは運を天に任せる。

そういう生き方をしていくしかない。

 

1日24時間のうち、23時間を寝て過ごさねばいけない人もいるだろう。

文字を読み続けると頭痛がする、という人もいる。

その中で、その人なりに、一日一日を精一杯生きていく。

その結果、1万人に1人とか10万人に1人の割合で「すごいことを達成する人」が出る。

 

これはもうガチャだ。

SSR(スーパースペシャルレア)がすごくて、C(コモン)はすごくない」という話とは別の話として、「SSRが出るまでガチャをし続ける凄さ」の話がある。

 

 

人類全体のハードルとして「もっと長生き」「もっと健康に」といった壁がある。

その壁を突破するのが、誰であろうと、誰かが突破すれば、それ以後は人類全体に恩恵がある。

そのための、ガチャ券が、一人ひとりの人生なのではないか。

だとすれば、SSRではない自分の人生もまた、いつかSSRを出すために必要なことなのかもしれない。

 

 

もちろん、この考えも含めて『結果的にドアが開いただけで、君がひっかいてる行為は全部無駄ですよ』ということもありうる。

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先日、どなたかの投稿で「推し活なんてのは、本来、自分の家族に向けるべき愛情を、他人に取られてるだけだ」みたいな話を見かけた。

 

そういう見方もできるかもしれないけれど、自分としては、推し活だろうと、自分磨きだろうと、すべての努力は『結果的にドアが開く』につながってるんじゃなかろうか、と思ってる。

 

いや、「信じていたい」のかも。