複数の問題をいっぺんに解決する時は問題を取り巻くすべてを把握しておく必要がある
タイトルで全部書いてしまった。
まあいいか。
宮本茂さんが言ったとされる言葉に
「アイデアというのは 複数の問題を一気に解決するものである」
というのがある。
コレ自体はゲーム好きの間では有名なので説明は省く。
仕事をしていてほかの方から「頑張って考えました」の言葉を添えて出てきたアイデアがびっくりするほど陳腐でイケてないことがある。
「『窓が開けっ放し』という問題に対して、『ちゃんと締める』ルールが守られないため『窓を開けられないようにする』を考えました」みたいな。
必要があるから開けてるんじゃないの?と尋ねると
「でも開けっ放しは困るって色んな人から苦情がきてまして」
いや、あのね。
こういうケースはたまにくる。
もちろん、最終的に『窓を開けられないようにする』になる可能性もあるけど、いったん問題の理解を深めることをオススメしたい。
誰が開けているのか、何のために、頻度は、ほかの代替案はないのか、などなど。
開けっ放しじゃ困る人々にも尋ねる。
「そうだよね、窓なんだから開けっ放しは困るよね」ぐらいの理解度だと知ったかぶりになる可能性がある。念の為に確認する。
大事なものが盗まれる、セキュリティシステムが正常に動かない、実は更衣室として使っている、などなど。
それらの諸条件をすべて把握しておかないと、良いアイデアは生まれない。
んで、『諸条件をすべて把握しておく』のはとても大変で、脳みそが疲れる。
頭の中の想像だけで、将棋をやるようなものだと思っている。
アレを動かしてコッチを動かして、あ、ダメか。じゃあアッチを動かして、コレをアレして。
と頭の中で駒を動かして問題解決を試してみる。
これをしないと良いアイデアは出ないと思ってる。
だから自分は「アイデア出しの会議をする」のが好きではない。
こんなの複数人でやったって気が散るだけなので。
すべてを把握して、解決アイデアを出すのは一人でやるしかない。
アイデアを出した後で、それをたたき台としてみんなでより良くしたり、ひっくり返したりするのは良い。
けれど最初は一人。孤独から始めるものだと思っている。
飼った猫に人間にしてもらえた話
※記録として我が家の猫の最後の姿を覚えているうちに書いておこうと思います。人によってはショックかもしれないです。
飼っていた姉妹猫二人のうち、一人が12月3日朝に亡くなった。
名前をララという。15歳。
今、別室でいつもの寝床に入り、眠ったようにきれいな姿でいる。
思い出と感謝と後悔を記録として書き留めておきたくて、ブログを書く。

■思い出と感謝
引き取った経緯はこのブログの古い記事にある。
2012年1月の記事だ。
さきほどまで読み耽っていたが、当時の自分の感情を思い出してとても懐かしく感じた。あと、あわせて当時の職場への苛立ちも思い出した。なぜ、当時の自分はなんでもかんでもまぜこぜで書いていたのか。
当時の生活がまぜこぜだったからだ。
朝10時から夜24時ぐらいまで平気で働く職場で、終電帰りはザラだった。
そんな中で猫を二人引き取った。ひとりぼっちだと寂しいだろう、という配慮だった。
あと、自分自身、「猫を可愛がる」というのがよくわからなかった。
でも、深夜、自宅に帰ると、お腹をすかせた猫が二人いて、だいたい何かしらイタズラをされていた。フスマが破られていたり、カーテンが傷だらけになっていたり、新品の猫砂がばらまかれていたり。
用意したごはんを食べる二人をみながら、何故、こんなことをするのか、と毎晩考えた。
他人にされたならば「悪ふざけだろう」と関係を切ることもできたが、家族が相手ではそうはいかない。ましてや、人数比でいえば向こうは二人、こっちは一人。多数決的には、自分が引いて考えるしかなかった。
そして、彼女たちにとってそれはイタズラではなく、遊びなのだと結論づけた。
悪意はない。飼い主を困らせてやろう、という気持ちもない。
ただ、そこにオモチャっぽいものがあったから遊んだだけ。
ハサミという存在を知って、ファミコンの電源コードを切ってみた幼児の私と大差ないのだ。どうなるか、やってみたかった。結果、兄のドラゴンクエストのセーブデータは吹き飛び、私は強めに叩かれて怒られた。ハサミは刃先が溶けていた。
それ以来、彼女らの行動は悪意によるものではない、と思うようにした。
どんなに腹がたつことをされようと、それは腹を立てている自分側の都合でしかない。
面白そうとか、良かれと思ってやっている。
多分、世の中の多くの人はそんなふうに他人や他者を感じ取りながら生きているのだ、とそのとき初めて考えた。
誰もが、懸命に楽しみ、懸命に頑張っている。
それが生き物の普遍的な姿なのだ、と思うようになったし、今もそう思っている。
見える世界が違うだけなのだ。
そのおかげで自分は人間になれた気がする。
それまで「なぜ他人は自分程度の努力もできないのか」と強く思っていた。
「この先はIT技術があらゆる仕事で重要になる、と分かっていてなぜ勉強をしないのか。ITじゃないにしても、何かしら本人なりの『重要な勉強』をなぜしないのか。甘えているんじゃないのか」と本気で思っていた。同世代の人間と比べても自分は視野が特に狭かった。
けれど、彼女らと出会って、教わった。
誰もがすでに懸命なのだ。自分が見えないところで懸命に頑張っている。
「何を当たり前のことを」と思われるかもしれないけれど自分はその段階でつまづいていたのだ。つまづいていたことに気づかせてもらえた。
二人には深く感謝している。
いつも鳴き声の大きなララには、とても大事なことを学ばせてもらった。
腹が減れば鳴き、おなかいっぱいになれば鳴く。
「なんでお腹いっぱいなのに鳴くんだよ!」と毎度ツッコミをいれていたけど、食べっぷりの良さに安心していた。
満足である、とアピールされるたびに、自分は「愛し方として間違ってない」と学ぶことができた。
妻のメンタルがやばい時にも、猫たちは助けてくれた。
自分は、ご飯を用意したり、洗濯したり、掃除したりすることはできても、「安心してほしい」という言葉を告げることができなかった。
その代わりに猫たちが妻の前でポテンと横になっていた。しょっちゅうだ。
ポテンと横になって、『撫でられ待ち』の姿勢になる。撫でられると満足げにゴロゴロいう。
妻のメンタルがマシになってきた、ここ2、3年は見かけないから、本当にあのポテンは彼女らなりのメンタルヘルスだったんだろう。
あれは本当に助かった。自分ではどうにもできなかった。
ありがとう。ほんとうにありがとう。
■後悔と最後の姿。
容体は1ヶ月ほど前から怪しかった。
否、1年ぐらい前からうっすら怪しかった。声がでなくなったのだ。
鳴き声もかすれたような音しか鳴らず、声帯が傷んでることは明白だった。
病院に何度か連れて行ったが、詳しいことはわからなかった。
血液検査の数値は悪くないし、レントゲンでも悪いものは見つからなかった。
また、ご飯もよく食べるのでそこまで気にしなかった。
人間だって、阪神タイガースファンのおじさんが怒鳴りすぎで声がガラガラになったりしてるし、あんな感じだろう、と思っていた。
我が家での愛称が「ララおじ」になった。メスなのに。
そして1ヶ月前からご飯を急に食べなくなった。
病院に連れて行ったところ、喉の食道付近にコブのような塊がある、と言われた。
ガンの可能性を捨てきれない、ということで強めの薬ともらって飲ませたところ、少しだけご飯を食べるようになった。
「薬がきくなら、おそらく最悪のケースではないだろう」という診断結果にホッとした。
「患部を生検して、治療方針を確定させましょう。検査は明日か、4日後です。どちらがよいですか」と相談された。
(明日は仕事だし、最悪のケースじゃないんだし)と思って、4日後とした。
この判断が間違っていた。
その後、数日で容体は悪化し、ご飯を食べられないまま、検査日を迎えたが
「体力を失った状態で、鎮静剤を打つとそのまま起きないこともある」と医者に告げられ、検査は中止となり、栄養剤と薬を注射で打ってもらった。
食事が取れないので、連日、病院に通っていたが、医者側から「このまま注射を打ち続けていてもよくない」と喘息で使うような吸入器を渡された。
これなら、今の強い薬を打った状態からでも、プラスして効果が期待できる、と。
吸入器と薬であわせて1万5千円。
12月2日夜に「金のかかるオンナやで」と妻と二人で笑った。
まだ大丈夫だと思っていた。
今朝12月3日朝、嫌がるララの体をおさえながら吸入器を顔に当てたところひどく嫌がった。今までになく強く嫌がった。顔に何かが当たるのが嫌だったんだと思う。
数年振りに手を引っ掻かれた。さすがに無理かー、と諦めたところ、ララの様子がおかしくなった。
呼吸をするのに大きく口をあけて力一杯、息を吸っていた。
人間がプールに長く沈んだ状態から、水面にあがった時にするゼハーって感じの呼吸。
そんな呼吸を繰り返しながら、キャットタワーを這うように上り、いつものハンモックにたどり着いた。でも、ハンモックの上でのたうち回っていた。
あ、終わりがきた、と思った。唐突だったけど、わかった。
長らく不安に思っていた日がきた、と思った。
妻も「なにごと?」と見に来た。
ララは体を震わせながら苦しそうに大きく呼吸を繰り返していた。
最後である覚悟を決めて、二人で病院にいく支度を手短にしていたらドスンと落ちる音がした。
ララだった。
そのあとは、二人で呼びかけていたけれど、呼吸の回数が少なくなり、やがて動かなくなった。
自分は仕事を急遽休んだ。
頭はろくに動かなかったので、ルーチンワークを見つけて指先を動かすようにしていた。
現実感はなかった。
夕方になり、ビビのご飯を用意しようとして、涙が出た。
「今日はララ、少しでも食べるかな」と心配しなくていいことにホッとしつつ、考えなくていいことがとても悲しかった。
心配したかった。
お金だってたくさんかかったけど、新しい仕事を考えていた。
屋内猫の平均寿命的に20歳までは難しくても、あと数年、お金がかかる生活を続ける覚悟は決めていた。
15歳は早すぎる。
愚にもつかない後悔ばかりが頭をぐるぐる巡る。
姉妹二人が揃うことはもう無いのだ。
それが今は悲しい。

ほたるの墓を、かなしい、と思うようになった
10年以上前に、ほたるの墓が嫌いな理由を書いたんだけども
そこから気持ちの変化があったので書いておく
作品としては露悪的で作り手の自己満足を感じるのでやっぱり好きじゃないんだけども
かなしい
と考えるようになった
今でいえば中学生の男子が幼稚園児と一緒に家出して死んじゃう、っていう物語でね
それで死んじゃう社会ってどうなんだろうな、と
若気の至りが許されないのってどうなんだろう、と
先日「コンビニで幼い兄弟がおにぎり二つを買おうとして、お金が足りなくて一つを諦めて帰っていく姿を見たから、買ったおにぎりを渡してファミレスに連れて行き、警察に連絡した」という話を見かけた
今ならありえそうだな、と思う
お金に困ってる人は現代でもいるけど、助ける人もいる
天国じゃないけど地獄でもない
今でも清太と節子のような子どもはいるだろうけど
それを助ける人もいたりいなかったりするんだろう
だとすればいい年した大人としては
そういったのを見かけた際はなるべく助ける方向に回ろう
「野菜泥棒め」と子どもを殴る人がいたら代わりに代金を払おう
そうじゃないと悲しい世の中になっちゃうもんなあ
などと思うようになりました
成長か老化かわかんないけど
CMは製品やサービスのイメージアップにつながったほうがいいよね、という話
ホットペッパーグルメのCMを見て
「こういうの良いよね」と思ったので補足しつつ紹介します
どちらも人気アニメを取り入れつつ、アニメを知らない人が見ても成立するように作れていて、芸が細かい、と感じた
ちびまる子ちゃんの動画は「年配の男性と、幼子」に見える
どういう事情で高そうな寿司屋にいるか分からないのだけど、寿司を食べる子を嬉しそうに見ながら、おかわりの要求に男性が穏やかに肯定する
「大人ならではの幸せ」を感じる
ナルトの動画はパッと見、よくわからない。
けれど、泣きながら「先生」と呼びかけることで、教師と生徒、師匠と弟子といった関係性が見えてくる
また、質問に対して、呼びかけられた側は何も答えず静かにラーメンを食べる
答えないことが答えになっていて、とても良い
「まわりでつらい目にあっている人がいるなら食事に連れて行ってみては」というサービスの宣伝になっている
どちらも外食をおすすめする宣伝であり、ホットペッパーグルメの「ごはん、いこっ」というキャッチコピーと動画内容が一致している
ああ、これは良い広告、と思った
以下、ぼやき
ネット上での動画広告も増えてきた
見ていて「これでサービスのイメージよくなるかな」と首を傾げることが増えた
もっというと「広告自体は話題になるかもだけどサービスと関係ないのでは」みたいな広告を見かけることが増えた
SNS系の動画広告は特にそれが顕著だ
『ターゲットに喜んでもらえればそれ以外は知らない』という開き直りに近いものを感じる
しかし、ごく個人の立場に立って考えると
「自分が使っているサービスなのに、広告がそれを考えて作られていない」
というのは無視されているようで悲しいし、腹も立つ
これは「見なければ済む」問題ではあるんだけど
SNS広告って話題になれば目に入ってきてしまうんですよね
回覧しやすいようにSNSに動画を貼って、さらに専用サイトまで作っておいて
「見なければいいんですよ」というのは言い訳としては結構キツイ気がする
とはいえ誰にでも優しい広告というのは、毒にも薬にもならないことが多いので
今回のホットペッパーグルメのCMはうまいなあ、と感心したわけです
ぼやきおわり
高校生の漫画読むと改めて、母校ひどかったな、と感じる話
知人におすすめされて阿賀沢紅茶作品を2本読みました。
1本は今も連載中で、人気の「正反対な君と僕」です。
「空気を読む女子」と「孤独を好む男子」のギャップある恋愛を中心に描きながら
いろんな生徒が出てきては、それぞれが正反対の人と出会って、
ギャップのある人間関係を構築していく物語です。
あまり内側で考え込む展開が少なくて、明るくコメディ多めで話が転がるところが少年漫画っぽいな、と感じました。
あと、恋愛漫画と思って読むと、定番の「勘違い・すれちがい」による物語のひっぱりがほとんどなくて、だいたい1話2話でサクッと終わるので読後感がとても軽いです。
登場人物全員が賢い。
私立の進学校なんだろうな、と読みながら思いましたが、私立の進学校に行ったことないので適当です。
個人的なお気に入りはサトちゃんです。
真顔で塩ツッコミをするところがとても気に入っています。
この作品の中で「タイラ」と「アズマ」という人気の二人組が出てくるんですが
作品に寄せられたコメントで
『この二人が気に入った人は「氷の城壁」を読むのオススメ』とあったので
氷の城壁も大人買いしました。
こちらは、先程の作品と比べるとかなり少女向けの恋愛漫画です。
登場人物のほぼ全員に、小中学校で何かしらショッキングなライフイベントがあり、
高校生になった今もその影響から抜け出せない、なんなら影響下にあることすら自覚がない、という所から物語が始まります。
なので、お互いの勘違いやすれ違い、思い込みなどによって恋路を迂回しまくります。
この作者の特徴なのか、最近の少女漫画がそうなのか、は不勉強なのでよくわかっていませんが
いわゆる「陽キャ・陰キャ」や「クラスカースト」などのカテゴライズした後に
本人と実際に接して『相手もまたただの人間なのだ』と気づく展開がよくあるように思いました。
とはいえ、ワンパターンでもなくて、ちゃんとそこにギャップを持たせてくるので、飽きがきにくい仕掛けになっています。
「ただのいいやつ」も出てこないし「ただの嫌な奴」も出てこない。
登場人物のほぼ全員に、弱さがあり強みがあり、良いとこも悪いとこもある。
だからこそ、お互いにリスペクトできる。
あ、うそ。一応、邪悪の権化みたいなキャラいたわ。
あいつひどい目にあえばいい。
ただ1点、コメントで「もう完結してるから、読み切れる」とあったので
全13巻かと思って読んでたら13巻の最後に
『最終巻14巻は2025年発売予定』とあってずっこけた。
仕方ないので、14巻相当の話だけをLINE漫画で少しずつ読んでます。
いや、もう買っちゃっても全然いいんだけども。
毎月、漫画に数万円支払ってて全く気にしてないのに
無料漫画アプリにお金を払いたくない気持ちってなんなんでしょうね。
以上です。
田舎と都会の「文化」のあり方
記事を
「東京は家が狭くてモノが置けない。モノに付随する文化を家の中に置けないよね」
と解釈した。概ね同意である。
とはいえ、田舎だから家の中に文化があるかといえば、さにあらず。
・田舎の場合、当人あるいは家族が文化に関心を持つ必要があるよ。
・都会の場合、関心なくても多少は目に入るよ。
・都会で暮らして目に入った文化を仕入れて、田舎で継承していくのは良いかも。
・でも継承者も都会で暮らして、外から文化を吸収したほうが持続性あるよ。
という話をしたい。
例えば映画ひとつにしても
最近は動画配信サービスが当たり前になっていて
日本全国どこからでも膨大な量の映画が楽しめるようになった。
でも映画に興味ない人は見ない。
触れることはできるし、いつでもそこにあるのにスルーする。
最近よく聞くのは「子どもに見せたいアニメ」の話題だ。
親自身が子どもの頃に見て感動した作品を、我が子にも見せたい、あわよくばファンになってもらいたい、という話なのだけど、これも親自身が『感動した作品がある=文化を知っている』ことが前提となっている。
私自身の両親はアニメも映画も美術も関心がない人たちだったので、似たようなことはできないだろう。
ただ、中学生の頃を思い返して見ると、そういう文化がある家庭なのだろう、と推測できる同級生は何人かいた。たいてい、親が教師だったり、医者だったりと賢そうな家庭だった。
『代々、地元育ちで地元で生きてます』みたいな家庭は私と同じく、そういった芸術や文化に関心がなかった。酒タバコ車ギャンブル色恋が最大の娯楽である。
私もそちらの価値観に染まった方が、わかりやすく幸せだったかも、と考えることはある。なにせSNSのない世界である。
しかし私はもうサブカルを知ってしまったし、東京で暮らしているし、悠々自適な暮らしをしている。もう戻れないし、あまり戻りたくもない。
この状況で田舎に戻れば、家の中にモノにまつわる文化を置きたがるだろう。
外にないからだ。
都会は狭くてモノが置けないが、外に行けばいくらでも触れることができる。
また文化の継承という面を考えると、継承者は家の中にあるもので満足することなく、外にあるものを探しにいったほうが持続可能性が上がるんじゃなかろうか。
みたいなことを思った。
不安を煽るものから距離をおく
歴史をさかのぼってもさかのぼらなくても
人類史は争いばかりである
争いは当事者じゃなくても
その火種がこっちに飛び火しないかと不安になる
そうして人は危ないことから距離をおく
しかし距離をおいている人を追いかけてきて
「まだ危ないよー!どうなるかわかんないよー!」
と煽る存在がある
これは特定個人であることもあるけど
そういう仕組みで動いてる組織なんかもそう
「都会の夜は危ないからね」と助言する老婆は善意で言っている
「東京都で事件が発生しました」と告げるテレビ番組は使命感で言っている
よかれと思って言っている
でもそういう助言自体が不安になる
疲れている時なんかはとくに
今日か明日
あるいは一年後にのっぴきならない状況になるのか
ならないのだとしたら
いったん距離をおいてみる
少し離れて
自分よりドタバタする人たちを眺めれば
少し落ち着く
落ち着いたらまた戻ればよい
心の旅行みたいなものだ
そんなときにちょうどいいのが物語である
物語は心をここじゃないどこかへ連れて行ってくれる
小説でも映画でも漫画でもドラマでもなんでもいい
物語を作るのもいい
5・7・5の文字に季語を加えれば物語になる
丸を描いて丸の中に3つの点を打てばキャラクターの顔になる
そのキャラクターはどういう人だろうか
心の旅行を楽しもう
いつか戻ってくるために。

