※記録として我が家の猫の最後の姿を覚えているうちに書いておこうと思います。人によってはショックかもしれないです。
飼っていた姉妹猫二人のうち、一人が12月3日朝に亡くなった。
名前をララという。15歳。
今、別室でいつもの寝床に入り、眠ったようにきれいな姿でいる。
思い出と感謝と後悔を記録として書き留めておきたくて、ブログを書く。

■思い出と感謝
引き取った経緯はこのブログの古い記事にある。
2012年1月の記事だ。
新しい家ぞk、あれ? おーい。 - そらを自由に飛びたいな
さきほどまで読み耽っていたが、当時の自分の感情を思い出してとても懐かしく感じた。あと、あわせて当時の職場への苛立ちも思い出した。なぜ、当時の自分はなんでもかんでもまぜこぜで書いていたのか。
当時の生活がまぜこぜだったからだ。
朝10時から夜24時ぐらいまで平気で働く職場で、終電帰りはザラだった。
そんな中で猫を二人引き取った。ひとりぼっちだと寂しいだろう、という配慮だった。
あと、自分自身、「猫を可愛がる」というのがよくわからなかった。
でも、深夜、自宅に帰ると、お腹をすかせた猫が二人いて、だいたい何かしらイタズラをされていた。フスマが破られていたり、カーテンが傷だらけになっていたり、新品の猫砂がばらまかれていたり。
用意したごはんを食べる二人をみながら、何故、こんなことをするのか、と毎晩考えた。
他人にされたならば「悪ふざけだろう」と関係を切ることもできたが、家族が相手ではそうはいかない。ましてや、人数比でいえば向こうは二人、こっちは一人。多数決的には、自分が引いて考えるしかなかった。
そして、彼女たちにとってそれはイタズラではなく、遊びなのだと結論づけた。
悪意はない。飼い主を困らせてやろう、という気持ちもない。
ただ、そこにオモチャっぽいものがあったから遊んだだけ。
ハサミという存在を知って、ファミコンの電源コードを切ってみた幼児の私と大差ないのだ。どうなるか、やってみたかった。結果、兄のドラゴンクエストのセーブデータは吹き飛び、私は強めに叩かれて怒られた。ハサミは刃先が溶けていた。
それ以来、彼女らの行動は悪意によるものではない、と思うようにした。
どんなに腹がたつことをされようと、それは腹を立てている自分側の都合でしかない。
面白そうとか、良かれと思ってやっている。
多分、世の中の多くの人はそんなふうに他人や他者を感じ取りながら生きているのだ、とそのとき初めて考えた。
誰もが、懸命に楽しみ、懸命に頑張っている。
それが生き物の普遍的な姿なのだ、と思うようになったし、今もそう思っている。
見える世界が違うだけなのだ。
そのおかげで自分は人間になれた気がする。
それまで「なぜ他人は自分程度の努力もできないのか」と強く思っていた。
「この先はIT技術があらゆる仕事で重要になる、と分かっていてなぜ勉強をしないのか。ITじゃないにしても、何かしら本人なりの『重要な勉強』をなぜしないのか。甘えているんじゃないのか」と本気で思っていた。同世代の人間と比べても自分は視野が特に狭かった。
けれど、彼女らと出会って、教わった。
誰もがすでに懸命なのだ。自分が見えないところで懸命に頑張っている。
「何を当たり前のことを」と思われるかもしれないけれど自分はその段階でつまづいていたのだ。つまづいていたことに気づかせてもらえた。
二人には深く感謝している。
いつも鳴き声の大きなララには、とても大事なことを学ばせてもらった。
腹が減れば鳴き、おなかいっぱいになれば鳴く。
「なんでお腹いっぱいなのに鳴くんだよ!」と毎度ツッコミをいれていたけど、食べっぷりの良さに安心していた。
満足である、とアピールされるたびに、自分は「愛し方として間違ってない」と学ぶことができた。
妻のメンタルがやばい時にも、猫たちは助けてくれた。
自分は、ご飯を用意したり、洗濯したり、掃除したりすることはできても、「安心してほしい」という言葉を告げることができなかった。
その代わりに猫たちが妻の前でポテンと横になっていた。しょっちゅうだ。
ポテンと横になって、『撫でられ待ち』の姿勢になる。撫でられると満足げにゴロゴロいう。
妻のメンタルがマシになってきた、ここ2、3年は見かけないから、本当にあのポテンは彼女らなりのメンタルヘルスだったんだろう。
あれは本当に助かった。自分ではどうにもできなかった。
ありがとう。ほんとうにありがとう。
■後悔と最後の姿。
容体は1ヶ月ほど前から怪しかった。
否、1年ぐらい前からうっすら怪しかった。声がでなくなったのだ。
鳴き声もかすれたような音しか鳴らず、声帯が傷んでることは明白だった。
病院に何度か連れて行ったが、詳しいことはわからなかった。
血液検査の数値は悪くないし、レントゲンでも悪いものは見つからなかった。
また、ご飯もよく食べるのでそこまで気にしなかった。
人間だって、阪神タイガースファンのおじさんが怒鳴りすぎで声がガラガラになったりしてるし、あんな感じだろう、と思っていた。
我が家での愛称が「ララおじ」になった。メスなのに。
そして1ヶ月前からご飯を急に食べなくなった。
病院に連れて行ったところ、喉の食道付近にコブのような塊がある、と言われた。
ガンの可能性を捨てきれない、ということで強めの薬ともらって飲ませたところ、少しだけご飯を食べるようになった。
「薬がきくなら、おそらく最悪のケースではないだろう」という診断結果にホッとした。
「患部を生検して、治療方針を確定させましょう。検査は明日か、4日後です。どちらがよいですか」と相談された。
(明日は仕事だし、最悪のケースじゃないんだし)と思って、4日後とした。
この判断が間違っていた。
その後、数日で容体は悪化し、ご飯を食べられないまま、検査日を迎えたが
「体力を失った状態で、鎮静剤を打つとそのまま起きないこともある」と医者に告げられ、検査は中止となり、栄養剤と薬を注射で打ってもらった。
食事が取れないので、連日、病院に通っていたが、医者側から「このまま注射を打ち続けていてもよくない」と喘息で使うような吸入器を渡された。
これなら、今の強い薬を打った状態からでも、プラスして効果が期待できる、と。
吸入器と薬であわせて1万5千円。
12月2日夜に「金のかかるオンナやで」と妻と二人で笑った。
まだ大丈夫だと思っていた。
今朝12月3日朝、嫌がるララの体をおさえながら吸入器を顔に当てたところひどく嫌がった。今までになく強く嫌がった。顔に何かが当たるのが嫌だったんだと思う。
数年振りに手を引っ掻かれた。さすがに無理かー、と諦めたところ、ララの様子がおかしくなった。
呼吸をするのに大きく口をあけて力一杯、息を吸っていた。
人間がプールに長く沈んだ状態から、水面にあがった時にするゼハーって感じの呼吸。
そんな呼吸を繰り返しながら、キャットタワーを這うように上り、いつものハンモックにたどり着いた。でも、ハンモックの上でのたうち回っていた。
あ、終わりがきた、と思った。唐突だったけど、わかった。
長らく不安に思っていた日がきた、と思った。
妻も「なにごと?」と見に来た。
ララは体を震わせながら苦しそうに大きく呼吸を繰り返していた。
最後である覚悟を決めて、二人で病院にいく支度を手短にしていたらドスンと落ちる音がした。
ララだった。
そのあとは、二人で呼びかけていたけれど、呼吸の回数が少なくなり、やがて動かなくなった。
自分は仕事を急遽休んだ。
頭はろくに動かなかったので、ルーチンワークを見つけて指先を動かすようにしていた。
現実感はなかった。
夕方になり、ビビのご飯を用意しようとして、涙が出た。
「今日はララ、少しでも食べるかな」と心配しなくていいことにホッとしつつ、考えなくていいことがとても悲しかった。
心配したかった。
お金だってたくさんかかったけど、新しい仕事を考えていた。
屋内猫の平均寿命的に20歳までは難しくても、あと数年、お金がかかる生活を続ける覚悟は決めていた。
15歳は早すぎる。
愚にもつかない後悔ばかりが頭をぐるぐる巡る。
姉妹二人が揃うことはもう無いのだ。
それが今は悲しい。
