そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

ヘルプ依頼を本人にさせちゃいけない

結論を先に書くと

「許容量を超える作業に追われているとき、本人からのヘルプを待っていてはいけない。本人にヘルプを出せる余裕がない場合もあるからね」

という話です。

残りのテキストは例示と解説と苦情です。

 

例えば、両手に荷物をいっぱい抱えてる人がいたら、その人は、歯を食いしばって重量を支えてるわけで、「たすけてー!」と声をあげることも出来ないんですよね。

それは周りの人が「あ、やばいぞ、あの人」とヘルプに入る必要があります。

 

コレに対して『いや、「助けて」ぐらい言えるだろう』という意見については、もちろん当てはまる場合もあるのですが、『当てはまらなかった時』を考えると、さっさと周りが助けに入ったほうがいいですよね。

 

「困ったときは、本人が声を挙げるべきだ」みたいな話は、リスク管理の視点からすると『本人が声を挙げられない場合も考慮すべき』となります。

 

んで、これは仕事でも私生活でも似たようなことが言えます。

 

 

『限界ギリギリまでやって、駄目だったら言ってきな』みたいな助言をする上司とかボスって世の中多いんですよね。

少なくないとかじゃなくて、めちゃくちゃ多い。圧倒的。

 

 

でも、限界ギリギリまでやると、人間ってだいたい、法的にギリギリなことまで手を出すんですよね。ギリギリというかアウトなんですけどね。

もちろん、上司やボスは「そこまでしろと言ってない!」て被害者ぶるんですけど、Youの指示はそういう解釈されるんだよ、って話で。

 

 

外野から見て「この人ちょっと不安だな」と思った時点で、観察なり始めたほうがいいですよね。

ほら、ドラマに出てくる『できるボス』も、割とすぐすぐ部下を呼び出して「動きがないか見張れ」みたいなこと言うじゃないですか。

あの危機感を、部下の仕事内容に対しても持ってほしい。

 

ただ、本人が「今はがんばりたい!」みたいなことを思う時期やタイミングもあるので、そういうときは「じゃあ、頑張ろっか」と少し離れて様子みとけばいいです。

 

って話を以前、某企業で話したら、社長さんが「なるほど!では、私も『頑張ろっか』って社員に声かけて回りますね!」って真顔で言い出したので、曖昧に笑って去りました。

それはパワハラっつーんだ。

人生をゲーム感覚にすると、うまくいくのか?

「覆面ビリオネア」という動画を最近見ている。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLgMKK0HeoFAWiK7354ESh6XaE3KGgdC2G

www.youtube.com

 

成り上がりの億万長者(55歳)に名前も経歴も隠してもらって、90日間の期限内に、資金100ドルから、100万ドルの(価値があるとみなされる)事業を作ってもらう。
というゲーム。

『実家が太くないと成功できない』『成功するには生まれつきの条件が必要』みたいな通説に対する反論として、挑戦するらしい。

今4話ぐらいまで見た。(全8話)
見終わってから感想書こうかと思ったけど、途中で書いた方が頭の整理になる、と思ってこれを書いてる。


今のところまでで、
・生活を安定させるための一定資金(千ドル)を稼ぐ。
・アパートを借りる。
・事業の参入業界を決める。
・人を集めてチームを作る。
・事業のスタート時の姿と展開プランを決める。
・開業用の資金(4万ドル)を稼ぐ。
といったところ。

主人公は経営者としては経験豊富なので、このへんの大きな流れには迷いがない。当たり前のように「まずはコレをする」と行動を始める。
行動が早いので、ものすごく多くの選択を迫られるんだけど、それにも即決していく。
期間が90日間と短いから「選択が正しいか」より、いかに「止まらないか」を優先しているのかも。

臆病さをカケラも感じない。バンバン即決して、どんどん失敗する。失敗するんだけど、「次はアレだ」と行動していく。
これは魅力的に映る。

とにかく、行き当たりばったり感がすごい。
「調査」を自分ではあまりしてないように見える。
スマホで調べ物をしていたのは、最初のフェイズ「生活を安定させるため」のあたりぐらいで、事業関係の調査は、全部専門家や他人に任せている。

それは例えば、中小企業開発支援センターの人たちだったり、チームの仲間だったり。
途中、「人を集める」のフェイズで、パソコンで求人広告を出す際におぼつかない手つきだったから、もしかすると、パソコンはそんなに得意じゃないのかも。
自分が得意じゃないと分かってるから、他人に思い切って任せてるのかも。それもすごいことだけど。

ただ、これらの決断の早さや、他人の調査に全幅の信頼を置く心境の、ベースとなってるのは、「本来は億万長者だから」という立場のおかげだと思う。そのおかげで、客観的に今の自分をゲームの駒として見れる。

『AかBか、外したら、今後60日間は狭い車で寝る羽目になります』みたいな選択だったら、この人ももっと悩むんじゃないかな。
みたいな意地悪を思った。

裏を返せば「自分をプレイヤーではなく、ゲームの駒だと思って」行動をすれば、人生うまくいくかも、って話でもある。
(それができれば苦労は存在しない)


今の所、書きたいことは以上です。
見終わったらまた書くかも。

人が死なないゲームやりたいね

というわけで、スタデューバレー遊んでる。

 

難易度ゆるゆるの栽培や牧畜やりながら、村人と仲良くなって結婚して、子ども産んで、みたいなゲーム。

大きな特徴としては、同性婚が普通にある点。

 

システム的には、単に主人公の性別に構わずイベント発生させてるだけだろうけど、『性別によらず同じ反応をする』てのは、フェミニズム的には理想だよな、と思ったりする。

船乗りウィリーの依頼で船をタダで直してあげたのに、乗るたびに船賃を取られるのが釈然としない。

けど、淡々としながらも積み木を一つずつ重ねていく感じがとてもメンタルに良い。

 

ファイナルファンタジー16は途中でやめてしまった。

アクションは面白いんだけどね。

なにかあると味方がすぐに血を吐きながら「まだ戦える!」みたいなこと言う。

でもプレイヤーの自分としては、死んでほしくないわけですよ。

主人公は、主人公特性で絶対死なないマンなので、全部主人公に任せてほしいけど「あなただけに背負わせはしない!」とか言うし。

もう、どうしたらいいのー(小さな丸窓から嘆いてエンド)

 

同じく、人が死にそうな漫画としてドリフターズの新刊が出ました。

歴史に名を残す戦士や軍師を集めて、紅白戦やったらどっちが勝つか、みたいな物語。

みんな、死ぬことを恐れない。

すぐ殺すし、首を狙うし、同じことをされることを覚悟してる。

でも、誰も死んでない。

主人公以外は割と死に場所を選んでるところがあって、全然死んでない。

なお、雑兵はばんばん死ぬ。

強い人が「しねー!」て叫ぶだけで軍団がふっとぶ。(誇張表現)

楽しい。

死に方を選ぶ姿は、そのまま生き方を選ぶ姿でもある。

勝ち負けによらず、死に方を選べる物語は希望がある。

 

あと、全然関係ない話するけど、

恵比寿駅(東京)て、自販機多いくせになんでゴミ箱ないの?治安の悪い街だな。

 

その点スタデューバレー村は、ゴミ箱をあさるライナス君が「俺はワイルドなんだ」とか言うときもあれば、「クリスマスに混ざりたいが俺は歓迎されない」とか不安定で、こいつにスパゲティを食わせたいんですが、いいですかね!みたいな気持ちになる。だが、同居はしないぞ。

 

さてアイスクリーム買って帰ろう。

久々に都会らしい都会に行って少し疲れた。

おや酢味噌。

夏なので短歌はじめました

久しぶりに更新。

 

短歌はじめました。

以前より「何かテキストやりたい」とは思っていたんだけど、書き切るまではいかなくて、更新日付から数ヶ月ぐらい経ってからファイルをそっとアーカイブする、という繰り返しで。

 

先日、ラジオ聴いてたら、七夕で「中年の願い事って、つまんねえな」という話が流れてきて、ほんとそれ。

我が身を振り返ってみても、毎日ご飯食べて仕事して平穏無事に過ごせればそれが何よりだよな、とか思っちゃっている。

願いといっても「どっか旅行にいけたら行きたい(でも移動が面倒)」とか「何か美味しいものを食べたい(でも肩が凝るのは嫌だ)」とか()で条件がつく。

この()こそが「オジサンになると話が長い」の長い部分ではなかろうか。

 

短くスパっとね。

「スカイダイビングで、都庁に着地してみたい!」

とか、そういう願いがトンとなくなった。

「分相応が幸せ」といえば聞こえが良いけれど、つまらないことを願う大人になってしまった。

新しいことへの挑戦とか、とんとしなくなった。

 

というわけで、短歌です。

 

入門本みたいなのに「短歌はリアルタイムなことを書くのには向いてない。リアルタイムは、目や耳でそのまま感じたり、カメラで撮ったほうがいい。その出来事をあとで思い出そうとして、消え掛かっている記憶だけど残しておきたいことなんかを詩として短歌にするといい」と書いてあった。

これならインプット材料は思い出だから私でも書ける。

 

短歌なら、スキマ時間で完成する。

俳句より入門のハードルが低い。

 

作った短歌は後で読み返したり、なんなら作ってる最中でも「イマイチだな」と思うことは多いけど、いったん作る練習中。

「1日1時間」を続ける自分なりのコツみたいなもの

結論を先に書くと「リトマス紙のようなすぐ分かる効果計測を毎日やること」です。

自分の場合、前屈をすると床に手がつかない。

けど、1日分の運動をしたあとで、前屈をやると床に手がつく。

このビフォー&アフターを毎日体感すると、続きやすくなります。

 

結論は書いた。

ここからは、余談。

 

なんやかんやで「1日1時間」の運動が、1年ぐらい続いてる。

 

去年の今頃は、1時間かかるコースを散歩してた。

今は、家の中で、一人でヨガみたいな体操やってる。

一応、毎日続いてる。

 

もともと、我慢強い方ではないと思う。

効果が感じられないとすぐにやめる方です。

なので、効果を毎日感じられるようにした。

(これはヨガの先生が「体の変化を感じて」と毎回、何度も言ってたことで気がついた)

 

さらに余談。

 

人は、目標があるから力をつけるのではなくて、力を行使したいから目標を作る。

という説がある。

 

赤ん坊は、外からの刺激を受け取るだけの状態から、手足が動かせるようになると喜ぶ。さらに、手足を使って物を落としたり転がせるようになると、さらに喜ぶ。

「環境に変化を加える」という本能的な快楽がそこにある。

 

反対に「環境に変化を加えられない」と分かると退屈を感じる。

「やっても無駄だ!」と感情的な反発が起きる。心には逆らえない。

 

「1日1時間」を行なっても「変化を感じられない」なら、続けることはとても厳しい。

変化を感じられないのに続けられるとしたら、それは宗教かセルフネグレクトなのではないか。

例えば、何かしらの罪悪感に対して贖罪としてやっているとか。

 

さらにさらに余談。

 

ダイエットの「毎日体重を測ってモチベーションアップ!」は完全に嘘です。

3桁の人はともかく、2桁の人の体重はそんなに変化しないので、毎日みても変わらないです。苦痛です。

機械的に毎月測るとかなら良いと思います。それを見て一喜一憂しないのが重要)

 

それよりは「スポーツジムに会いたい人がいる」とか「散歩コースに巣作りをする燕を見つけた」とか、毎日少しずつ変化するものを見つけた方が良い。

 

今年の目標「猫背解消」した、、、?

解消とまではいかないが、マシになった。

やったことは、下記4点。

・整体通った。

・ヨガやった。

・枕を変えた。

・机を変えた。

・EMS毎日やってる。

 

肩こりなど体の歪みを生む習慣を減らして、運動習慣を加えて、EMSで刺激いれてるよ。

いわゆる『特別なことは何もしてない』です。

以下、具体的に書く。

 

■整体通った。

整骨院の方です、健康保険が効くやつ。

振り返ってみると、ここが起点だったな、と思う。

「体やばいですね」だけではなく、具体的にどこが悪くて、どう影響してるのかを説明してもらえたのが良かった。

 

「ゾンビ」状態から、最初の3ヶ月ぐらいで「瀕死」ぐらいまで戻してもらえた。

ただ、さらに3ヶ月通っても「瀕死」だったのと施術内容が毎回ほぼ同じになってたので、新しく何か追加せねば、とヨガに手を出した。

その後、さらに3ヶ月たって「ヨガだけで十分だな」と思ったので、通うのをやめた。

通算すると9ヶ月ぐらい、週2で通ってた。

 

■ヨガ通った。

通うことより、自分にあったヨガを探すのが大変だった。

特に「男性一人で、運動強度低めでやってる少人数のヨガ教室」となると、ほとんど見当たらなくて困った。

まず、少人数の時点で「女性専用」であることが多くて、「男性も歓迎」を見つけても「ただし、体の柔らかさが女性並であること前提」だったりして、実質1カ所しか見つからなかった。

自分が通ったのは、健康運動に近いやつ。横浜あたりの公園で年配の方達が太極拳とかやってるような、ああいうイメージ。のスタジオ版。

運動強度は低めだったけど、ちょうど良かったし、それで毎日の日課も組み立てた。

月額固定の通い放題だったので、週4ぐらい通ってた。

ただ、7ヶ月目ぐらいでスタジオが閉鎖となり、通えなくなった。残念。

今も、毎日40分ぐらいヨガやってる。

 

■枕を変えた。

「あなたの寝姿にあわせてオーダーメイド」みたいな2万円ぐらいの枕を使ってたんだけども。

あってない気がして、無印で4千円ぐらいのやつを買って使ってみたら、毎日辛くなってた肩周りがマシになった。

これも「自分の肩の高さならこれが合うはず」と考えて買えたので、整体様様です。

 

■机変えた。

厳密には変えてない。

仕事用の机は、以前から使ってた電動で昇降するやつなんだけど、立った時の高さにあわせて、それ以外変える必要がなくなった。

8時間ぐらい立ったまま仕事ができる体力がついた。

これにより、「座った時の正しい姿勢」とかガン無視できるようになった。

ずっと立ってるからな!

 

■EMS毎日やってる。

これも整体でやってもらってたのを真似た。

楽天で、ランキング上位の1万円ちょっとのEMSマシンを買って、肩と腰に毎日使ってる。

30分ぐらい横になって、びくんびくん跳ねてる。

たまに強くやりすぎて、翌日に揉み返しが発生したりするけど、弱めにやればそれも直るので、EMS万歳。

教えてくれた整体万歳である。

 

そんな感じで、肩と背中と腰がかなりマシになった。

 

余談だけど、先日、ワールドカップサッカーで、30代後半のベテランプレイヤーが倒されたあとで、腹筋だけで起き上がってるの見て「あの体いいなあ」とぼやいたりしてた。

「民俗学の旅」を読んだ。

先日、千葉の国立民族学博物館に行った時に、抜粋されていたワンフレーズに惹かれてこの本を購入した。のだけど、どんなフレーズかは忘れた。

(撮影禁止エリアだったので、書名だけメモって売店で購入した)

 

日本の民俗学に大きな影響を与えた宮本さんの自叙伝です。

研究ばかりではなく、百姓やったり、役人をしたり教師をしたり、と生活の合間に研究を進めた人で、「すごい学者ってこういう人もいるのか」と驚きを感じた。

 

太平洋戦争の戦前や戦中の暮らしぶりも描かれているので、好きな人にはオススメできます。『ラジオから流れる玉音放送を前に、日本中の国民が膝をついた』とか教科書の嘘ですからね。

(私は、生前、祖父母からそのへんの話は聞いた)

 

感想はここまで。

 

私自身が初めて行ったフィールドワークっぽいことを思い出したので書く。

といっても、当時は「フィールドワーク」という言葉は知らず、『現地の人から土地の古い話を聞くの楽しい』ぐらいの認識だった。

 

宮古島にいった時。

着替えを洗濯するために訪ねたコインランドリーで、オーナーであるご年配の女性と話をする機会に恵まれた。

 

女性は(宮古島より小さな)多良間島の出身で、若い頃に、漁師の男性に見初められて、大漁旗を掲げた漁船で迎えに来られたそうな。

「今の人に言ってもわからないかもしれんけど」と付け足しつつ、嬉しそうに語っていたのを覚えている。

その後、結婚して男性の住む宮古島で共に暮らし、真水の調達すらままならない厳しい環境の中で暮らし、便利になっていく宮古島を見てきた、といった話をしてくれた。

旦那さんは老いてお亡くなりになり、女性は昼間のクリーニング屋でのんびりして、客を捕まえては話し相手になってもらってるらしい。

「また、おいでよ」と言っていたので、その後、島に滞在中、2、3回覗いたのだけど、あいにく留守だった。(無人のコインランドリーで留守も何もないんだけど)

 

また、宮古島を一人でぶらりと訪れたいな。

今なら、あの頃よりもっとちゃんと話を聞けると思う。