ボンベ背負ってウエットスーツを着て泳ぐ。
ウェットスーツは浮き輪みたいなものなので、浮力がある。
浮力によって体全体が持ち上げられ、
ボンベを背負ってる分、沈む。
合わさると、胸のあたりが圧迫される。
■そして、呼吸はシュノーケル。
細い管を通じて吸うので、吸うのに少しだけ力がいる。
一度や二度では感じないけれど、続けていると、肺の奥に疲れが溜まっていく。
レギュレーターをくわえれば、ボンベ内の圧力により空気が押し出されてくるので、吸うのは比較的楽にはなる。
でも、ボンベの残りが少なくなれば、圧力も弱まるので、空気を吸いださねばならなくなる。これもまたキツイ。
■続けられなくはない。
体力は充分だし、筋肉だって余力は全然ある。
でも、普段できていたことに、ほんの少しの負荷がかかる、というのはストレスになる。そのストレスがずっと続く。
今はそのストレスに慣れる練習をしている。
■けれど、もし。
練習もなしに、「はい、本番!命がけだよ!」とポンと投げ出されたら、どうなるだろう。
耐えられるだろうか。
「周りのみんなは耐えている」というだけで、耐えられるだろうか。
こないだも書いたけど、自分は肺活量が低い。
「『みんな』とは違うんだよ!」と思わずに、頑張れるだろうか。
幼児を蹴っ飛ばす母親の映像を見て、そんなことを思った。
きっとあのお母さんも、肺の奥の方がへとへとに疲れて切ってるんじゃないだろうか。
吸っても吸っても、スッキリしない。
深呼吸をしようにも酸素が足りない感覚になってるんじゃないだろうか。
海に潜る時には、必ず『バディ』という相方と一緒に潜る。
けれど、一緒にパニックになって流されて死んでしまうことも少なくはない。
相方がいたってそんなもんだ。
だから、インストラクターや、プロにお金を払って案内や注意事項の徹底などを頼む。
一人で潜る海なんて、さぞキツイだろうなあ。
いつか、あの母親が海面にあがって、ぷはあっと思い切り、思う存分、息を吸って、草原の上で昼寝ができますように。
その時は、信頼できるバディとなったお子さんと一緒に。
そんなことを願うぐらいしかできない。
ので、とりあえず、明日も筋トレして走ります。
強くあらねば。