「人は忘れる生き物」という言葉がよく使われる。
どんなに嬉しいことも悲しいことも、時間が経てば「そんなこともあったっけ?」と忘れてしまったり、感動が薄れてしまったりすることを指す。
■「忘れる」とは。
辞書によって表現は様々だけれど、おおざっぱに言ってしまえば、
「思い出せなくなる」ことを言う。
■しかし、「思い出せない」は、2種類ある。
・知っている『はず』なのに言葉として出てこない。
・瑣末なことだったので、記憶として留めていない。
どちらであるかは、本人にも分からない。
なにせ忘れてることだ。
■前者と後者を混同することがある。
例えばの話。
結婚をしたパートナーがいたとして。
そのパートナーが3日前に怒っていた、とする。
しかし、何に怒っていたのか思い出せない。
神前で『一生添い遂げます』と誓った相手のことだ。
『当然』話はきちんと聞いていただろうし、知っている『はず』なのだ。
となると、思い出せないだけである、と思い込む。
しかし、これが嘘であることは大いにある。
■人がとるコミュニケーションの9割は嘘だと言う。
そういう調査をした人がいるらしい。
愛想や世辞まで含めると、という話らしいけれど。
人が記憶に基いて会話をするのなら、その内容の9割は嘘にもとづいている。
嘘の記憶から、嘘の会話を始め、嘘の記憶を嘘で更新していく。
そんなことを毎年、毎日、毎時繰り返していれば、嘘の割合は限りなく100%に近くなりそうなものだけれど、そうはならないらしい。
不思議なものだ。
■だから、他人の、また自分の思い出話を信用しない。
それが、事実かどうかは、本人にも分からないからだ。
『世界が嘘でまみれていても、自分だけは真実を追い求める』
では、その真実が嘘でない、という根拠はなんだろう。
「それを嘘だと認識していないだけ」という話ではないのかな。
とはいえ、嘘だった、としても、それに何か不都合なことがあるのだろうか。
嘘でもいいんじゃないだろうか。
ただ、嘘である、と認識したまま信じるのは、とてもつらい。
もし、そういう人がいるのなら、もっと自分を大事にした方がいい、とだけアドバイスしておきます。