そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

平時ぐらいは「黙れ」禁止令。

正月明けて、仕事が始まりました。

まあ、暇です。いや、仕事はぼちぼちあるけど、どこもかしこも、まだお屠蘇気分というやつのようです。

開発初期から要求してたデータに音沙汰がなく、平穏無事にぷちデスマーチを超えてリリースを迎え、保守期間も波に乗ってきた、こんな時期に「今すぐ対応お願いします!」とデータがやってきて新米ディレクターがチケットの優先度をMAXにしたので、こっそり下げた。対応はするが、通常進行で充分だ。酔っぱらいの戯言に付き合う必要はない。

 

水滸伝の続編である楊令伝を読んでる。

楊令伝 1 玄旗の章

楊令伝 1 玄旗の章

 

水滸伝自体は完全なフィクションだ。

水滸伝梁山泊に集まった英雄や無頼漢が「宋を倒すのだ!」と言ってる『宋』は中国の宋朝で、日本史にもちょっと出てくる。けれど、梁山泊の存在自体がフィクションなので、日本史で例えれば幕末に清河八郎が集めた浪士組が新選組にならずに、浪士組のままでそこらへんの城を奪い取って江戸幕府と戦う、みたいな話だ。いや、浪士組は実在するからちょっと違うか。

まあ、それはいい。

水滸伝はおそらく原作に習ってフィクション要素のみ、としたのだろうけど、続編である楊令伝は北方謙三さんのオリジナルなので、実在の宋にいた人物や敵国がわらわら出てくる。自分は実のところ、そんなことは全く知らず、何気なく宋史を読んでた時に宋の滅び方と、そこに関わった人物を知ってしまい、まだ物語を中盤までしか読んでいないのに、ものすごいネタバレを見てしまって結構ショックを受けている。

まさかあの国とあの人が。。。

さて、楊令伝は戦ばっかりの内容である。戦好きにはたまらない、「レッドクリフに恋愛要素なんかいるものか」と思ってた人は読んだほうがいい、という作品である。出てくるのが軍人ばかりなので、言うことがいちいち理不尽で面白い。部下に意見を尋ねておいて「小賢しい」「黙れ」「もう一度同じことを言えば斬る」のオンパレードで、正義はどこにあるんだ、と言いたくなってしまう。もちろんそんなものはどこにもない。滅ぶか、滅ぼされるかである。

そこがいい。細かいことを考えずに読めるのは娯楽小説としては最高だ。

 

さて。

「性犯罪者かもしれない人をテレビに出すな」という話を読んだ。

元はお笑い芸人で、性犯罪で逮捕され、起訴されかかったけど示談で済ませた、という人だ。「性犯罪者を見るだけで冷静でいられなくなる」という人の話なので、気持ちとしては分かる。そして、その人に対して「では、前科者に普通の生活は与えられないのか。それこそ差別ではないか」という意見が集まったのも分かる。

どちらも意見としては合っていて、ただ、ボタンを掛け違えてるだけだ。

「怖い」という人にとって、前科者がどうなろうと知ったことではないだろうけど、自分の知らないどこかで暮らすのなら、わざわざ追いかけまわしたりもしないだろう。そもそも関わりたくないのだ。けれど、テレビに出る、というのは向こうから関わってくる、ということだ。テレビに出演するようになれば、テレビ局が宣伝を打つ。それはテレビCMかもしれないし、電車の中吊り広告かもしれない。ことは『テレビを見なければ良い』という問題ではない。テレビに出演すれば、自然とそうなるのだ。

だから、出てくる前に問うている。「『かもしれない』で出てくるな」と。もちろん、黒であれば出てきてほしくないだろうし、テレビ局だって大手を振ってお出迎えということはしないだろう。白であるなら、そう判断された経緯を、あるいは自身が白と信じることを語れ、ということだ。

あと、前科者に普通の生活を、というのは、法を犯す閾値が他人より低いのだから、むしろ、積極的に普通の生活を与えないと、再犯してしまう可能性は高くなる。正直者がバカを見る、という図式にはなってしまうけれど、まあ、そのへんはある程度は仕方がない。仕方がない、としてほどほどに溜まった澱を吐き出しながら、朝日と共に胸を張って生きていくしかないのだ。そうでなければ、嫌悪するソレと同じモノになってしまうのだから。

心に寒風が吹いても、マフラーを巻く家族や恋人同士に祝福を。やせ我慢結構。墓前で俯く愚は犯さない方がいい。

黙れ、と言う前に、相手の立場になってみれば、少しは分かるかもしれないだろう。

 

それでも言いたくなったら、こっそり言えばいい。誰もいない喫煙所で、こっそり聞くぐらいのことはする。タバコだって付きあおうじゃないか。