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そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

「○○すればいいんだから自己責任」という話について。

「働けばいいんだから、生活苦は自己責任」みたいな話を見かける。
働けばお金がもらえる。お金があれば食べ物を買うことも、家政婦を雇うことだって出来る。
つまり、生活苦を解決するには、働けばいい。
なるほど、正しい。。。本当にそうだろうか。

例えば『毎日働く』を『毎日100m歩く』に変えてみたとする。
別に『毎日100まで数える』でも、なんでもいい。
誰でもできそうなことだ。
それをこなせば、お金がもらえて、ご飯もおなか一杯食べることができて、家政婦が家事をまるっとやってくれる。
素晴らしい世の中だなあ。。。さて、本当だろうか。

100m歩くのが困難な人はどうすればいいだろうか。
怪我や病気、老人や幼児など客観的な条件を除いても、「とにかく歩くのが嫌で嫌でたまらない」という人はいる。
そんな人にとって『100m歩く』は苦痛でしかない。
100まで数えるのだって一緒だ。「数字にトラウマがある」という人は、文系学生には多いと聞く。(笑うところ)

結論を言うと「ソレしか方法が無い時、ソレは楽でもなんでもない」ということだ。
『100m歩くか、100まで数えるか、どちらか選ぶことが出来る』なら、少しマシだ。
『選べる選択は1億通り!どれを選んでもいいよ』なら、もっとマシだ。

福祉事務所に行け。

以前、生活苦の人にそう助言をしたことがある。
返答は「怖いから行かない」だった。
その人にとって、福祉事務所で「ちゃんとした格好して、ちゃんとした人生送ってそうなスタッフ」と会話をせねばならない、というのは、自分の悪いところを見せ付けられているようで、死にたくなるんだそうな。

難しい話だ。


■病院に行け。

というのも、同じ話だ。
見るからに疲れてる人がいて、言動が怪しい。
「仕事休め」「病院行け」「飲みに行こう」

でも、それが相手にとって「最も選びたくない選択」であることもある。
とても、めんどくさい話だ。

■でもさー。

神でもない人ごときの身分で、同じ人を救おうなんていうんだからさー。
基本的には、すっごく面倒で、大変なことだと思うのよね。

人じゃないけど、うちの猫たちも未だに懐かないもんなあ。

と、まとまりないまま、終わる。