そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

田舎と都会の「文化」のあり方

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「東京は家が狭くてモノが置けない。モノに付随する文化を家の中に置けないよね」

と解釈した。概ね同意である。

 

とはいえ、田舎だから家の中に文化があるかといえば、さにあらず。

 

・田舎の場合、当人あるいは家族が文化に関心を持つ必要があるよ。

・都会の場合、関心なくても多少は目に入るよ。

・都会で暮らして目に入った文化を仕入れて、田舎で継承していくのは良いかも。

・でも継承者も都会で暮らして、外から文化を吸収したほうが持続性あるよ。

 

という話をしたい。

 

 

例えば映画ひとつにしても

最近は動画配信サービスが当たり前になっていて

日本全国どこからでも膨大な量の映画が楽しめるようになった。

 

でも映画に興味ない人は見ない。

触れることはできるし、いつでもそこにあるのにスルーする。

 

最近よく聞くのは「子どもに見せたいアニメ」の話題だ。

親自身が子どもの頃に見て感動した作品を、我が子にも見せたい、あわよくばファンになってもらいたい、という話なのだけど、これも親自身が『感動した作品がある=文化を知っている』ことが前提となっている。

 

私自身の両親はアニメも映画も美術も関心がない人たちだったので、似たようなことはできないだろう。

 

ただ、中学生の頃を思い返して見ると、そういう文化がある家庭なのだろう、と推測できる同級生は何人かいた。たいてい、親が教師だったり、医者だったりと賢そうな家庭だった。

 

『代々、地元育ちで地元で生きてます』みたいな家庭は私と同じく、そういった芸術や文化に関心がなかった。酒タバコ車ギャンブル色恋が最大の娯楽である。

私もそちらの価値観に染まった方が、わかりやすく幸せだったかも、と考えることはある。なにせSNSのない世界である。

 

しかし私はもうサブカルを知ってしまったし、東京で暮らしているし、悠々自適な暮らしをしている。もう戻れないし、あまり戻りたくもない。

この状況で田舎に戻れば、家の中にモノにまつわる文化を置きたがるだろう。

外にないからだ。

 

都会は狭くてモノが置けないが、外に行けばいくらでも触れることができる。

また文化の継承という面を考えると、継承者は家の中にあるもので満足することなく、外にあるものを探しにいったほうが持続可能性が上がるんじゃなかろうか。

 

みたいなことを思った。