そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

蛍の墓が嫌な理由。


あんまり嫌な理由とか、書かない方がいいんだろうけど、ちょっと気づいたので。
あ、一応、言っておくとネタバレあります。見てない人は逃げてー。









あの映画って、最後は死ぬんよね。
戦時中にドロップスなんて高級菓子食ってた裕福な家に育った兄と妹が、親戚の家で、ちょっとした嫌がらせにあって、家出して、ほら穴で暮らして、でもやっぱりダメで結局、二人とも死んじゃう。


「こんな悲しい事があったんですよ」というのは分かるんだけどね。


なんていうか、戦争以前の問題で「そうじゃないだろう」って言いたくなる。
なんで二人が死んだかっていうと、生活力が無かったから。
他人の畑から作物を盗んだり、親の遺産をアテにしたり、とやってる事が本当に子供。


家出した親戚の家に戻って「生意気言ってごめんなさい」と言えば、さすがに見捨てられはしなかったでしょうに。
(実際、最初から文句言いながらも、二人のご飯の世話してたし)


こういう言い方は、どうかとは思うんだけど、自分の少ない語彙では他に見当たらない。
『自業自得』ってやつじゃないの?


だから、この映画を盾に「だから戦争はよくないんですよ」と言われても、納得できない。
そうだ。だから、この映画じゃ納得できないんだ。



あと、この二人に生きるモチベーションが全く見当たらない。
せめて、節子が死んだ時点で、清太は間違いに気づかなきゃいけなかったんじゃないかな。
一緒になって死んでちゃダメだろう。


もし、自分がシナリオを書くなら、ラストは製菓工場で働く大人になった清太のシーンで終わらせる。言葉なんていらん。
飴を作る機械を、汗だくになりながら清太が操作してる。
音は工場とセミの音。一度、機械から離れて飴の出来を確かめて、清太は歯を食いしばって機械のレバーを引く。
これでいいんじゃねえかな。


これでこそコピーである「4歳と14歳で、生きようと思った」につながるんじゃねえかな、と思う。


だって、死んだら楽ですよ。
「自分は死んでもいいや」って思ってるやつの死なんて、何のメッセージ性もないですよ。


戦争が悲惨、と言われるのは「皆、死にたくない」というのが前提としてあるからでしょうに。
生きなきゃいけない、生きたいからこそ、その権利を奪う戦争が恐ろしいんでしょう。


この子供二人は、生きる事を諦めたんですよ。
どんなに辛くても生きる、という選択肢を投げ出して、あっさり死ぬ方向に行っちゃった。


節子には、自分の意思なんてものは無かったから、しょうがないとしても。
節子を死なせた責任を、清太は取らずに死んじゃった。


これを反戦映画とするのは、自分は反対。
結局、負けると薄々気づいてたのに戦争始めた当時のお偉いさん達と変わらんのよ。
んで、戦争終わって焼け野原の国を見た時に「いち抜けます」って彼らは真っ先に死んじゃったわけでしょう?
無責任な話だよ。まったく。


後片付けまで、きちんとやっていけ。
やってる事は、女とSEXして妊娠させて、怖くなって逃げてく男と一緒でしょう。


だから、自分はこの映画が嫌い。


あー、中学ぐらいの頃から、なんか嫌いだったんだけど、ようやく自分の言葉で言えた。
スッキリした。


気分悪くなった人がいたら、ごめんなさい。