そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

嫌いなことをせずに、生きていく。

youtubeが動画投稿者を募集する広告に「好きなことで、生きていく」というコピーがついています。

それはそれで、ひとつのやり方だと思います。

 

ただ、自分よりも、それを好きなやつが現れてしまった時。

自分が苦行のような気持ちで階段を百段登る隣で、笑顔で三百段登っていくやつが現れた時のことを。

そのことは考えておいた方が良いと思います。

 

自分の場合は、嫌いなことがほとんど出来ないんですよね。

例えば、満員電車。

上京して半年で音を上げました。

 

だから、満員電車に乗らなくていい仕事を探しました。

そしたら、過労死ラインを超えるレベルの残業地獄になりました。

半年超えた所で「もっと工夫して頑張れ」と言われて、投げました。

 

次は満員電車に乗らなくて、なおかつ、残業地獄にならない仕事を探しました。

という感じで、嫌いなことから徹底して逃げ続けて今に至ります。

 

ただ、嫌いなことから逃げる分、他の人と比べた時に「かまやんは我慢できないやつだ」という評価になるのは避けられません。実際、我慢できないし。

だから、他の箇所で「かまやんにしか出来ない仕事だ」と言えるものを増やしました。

 

それらを勉強したり、練習したりするのは、振り返ってみてもそんなに苦にならんかったですね。今もなんやかんやと休日の度に勉強しに行ってます。忙しいですが、嫌ではないです、勉強って楽しい。

なにより、満員電車や残業地獄に比べりゃマシです。

あと、他の人に出来ない仕事なので、重宝されます。

 

嫌いなことをせずに、生きていく。

万人向けとは言いませんが、自分みたいな社会不適合者にはオススメです。

年300回は一人で晩飯食ってる男が本気で薦める、疲れない自炊料理。

(前略)

 

一人暮らしの自炊は疲れる。

食べるのは自分だけ。一人。

CMは言う、映画は言う、ドラマは言う、なんだったら幼稚園児向けの教養番組ですら言う。

「誰かと食べるご飯っておいしい」

 

はい。

昔は、自分もこういう話を見たり聞いたりする度に苛立ったりしていたのですが、最近はもう、ちょっとこう「あ、そういうの自分はいいです」って境地に達しつつあります。

 

あのね、疲れてる時に一番しちゃいけないのは「考える事」なんです。

ろくなこと考えませんから。

 

というわけで、疲れてる時に自分が食ってる料理を紹介しようと思います。

 

まず、材料はこちら。

カット野菜です。

何はなくともコレです。

個人的には、もやしが入ってるやつより、キャベツが入ってるタイプの方が好きです。

最近だと、コンビニでも売ってる所ありますね。あれ、助かるわー。

 

そして、次はコレです。

はい、うどんスープ。

 

最後は、ちょっと頭を使うかもしれません。

何せ、好みのものを選ばなきゃいけませんから。


 

上の二択、どちらでも好きな方を選ばなきゃいけません。大変です。

疲れてる時は本当にコレがしんどい。

なので、あらかじめ、うどんと決めたらうどんばっかり買い込んでおくといいです。

冷凍品なので腐りません。

 

■作り方。

1)鍋に水張って、うどんスープを入れます。

2)カット野菜一袋を鍋に全部入れる。

少食の方は半分だけ入れれば、節約になります。

3)うどんを凍ったまま鍋に入れる。

4)水を一口飲んで、深呼吸をします。

5)自分の体の中に小さなエネルギーの固まりがあるのを想像します。

6)息を静かに吸うと、エネルギー玉はポカポカと温かさを放ちながら、背骨に沿って、頭の上まで昇っていきます。

7)息を静かに吐くと、エネルギー玉は背骨に沿って、ゆっくり腰のあたりまで下りてきます。

8)息を静かに吸い、静かに吐く、を繰り返します。

9)鍋から沸騰した湯がこぼれそうになったら出来上がりです。

 

■食べ方。

自分でカットしなくても、食べやすい大きさの野菜が100円で手に入り、小麦粉を練らなくてもうどんが、だしの取り方を知らなくてもおいしいうどんスープが手に入ることに思いを馳せて、生きていることそのものを感謝しましょう。

 

■ストレス発散の仕方。

シャワー浴びてる時など、血行がよくなる時に、憎いあの野郎への罵詈雑言を吐きましょう。一日の内、たった十分でもひたすら罵詈雑言を吐き続けることが出来れば、疲れますが、スカッとします。貯めこむのよくない。

 

■最後に。

みんないきろ。

 

冬ですニベアです。

冬です。乾燥しがちです。

 

そこでニベアです。

ニベアは、量の割に安いので、「どうせ安いんだし」と多めに手にとっちゃうじゃないですか。

 

ニベア クリーム 大缶 169g

ニベア クリーム 大缶 169g

 

 

んで、両手べったべたにして、余った分を腕とか脚とか首筋に塗り始めるじゃないですか。

もちろんそれはそれでいいんですけどね。

 

お手持ちの革バッグとか革財布とかないですかね。

あ、人口革は知りませんよ、動物の革のやつです。

つっても、クロコダイル革とかは知らんけど。

普通に牛革ね、牛革。

 

これは牛串。

 

これが牛革。

ヌメ革きなり 成牛タンロー2.0mm厚/A4サイズ(210x297mm)

ヌメ革きなり 成牛タンロー2.0mm厚/A4サイズ(210x297mm)

 

 

 

その牛革に塗るといいです。ニベアを。

 

多分ね、日頃「気に入ってるんだけど、最近シワが目立ってきたな」とか思ってる所で、ニベアを塗ると笑えますよ。

ツルーン!てなりますから。

 

新品同様とか言うと嘘くさいですけど、これはもう、やってもらうのが手っ取り早いです。

君自身の目で確かめて欲しい!ですよ。

自信の付け方。

自分もそうであったけれど、得意なことをして、お金を稼ぐ。

あるいは、得意なことをして人様の役に立つ。

 

そういう時って、むやみやたらと「誰かの役に立ちたい」などと思う。

つまり、意識としては「誰の役にも立てていない」と思っている。

 

じゃあ、苦手なことをすればいいのか。

ブラック企業に入って、ニッコリ笑顔で「よろこんでー!」と月100時間残業すればいいのか。

 

そういうわけではない。

 

■『普通』だと自分が思ってることに挑戦することだ。

 

例えば「普通は挨拶をするものだ」と思うなら、挨拶をすればいい。

挨拶が無理でも、会釈するとかでもいい。

会釈が無理なら、挨拶すべき相手と会いそうな時に、道を変えたりせず、そのまま、会うようにするとか。

何か、挨拶につながることをすればいい。

 

自分の場合、これが「走ること」だった。

自分は脚があまり良くなくて、中学の頃ぐらいから長距離が走れなかった。

1km走れば、脚が悲鳴をあげる。

古い例えで言えば、ドラマ「ひとつ屋根の下」のラストで、ちい兄ちゃんが痛む脚を引きずりながら走る、っていうか歩くシーンがある。

あのちい兄ちゃんみたいになる、といえば知ってる人にはわかりやすいだろう。

 

だから、自分は一生走れないし、「走らなきゃ死ぬ」という場面になれば、誰よりも先に死ぬ。欠陥品だけれど、ほかに異常はないんだから文句を言うのは、お門違いだ。欠陥品なりに生きていこう。そう思っていた。

(ちなみに新しい土地に住む度にそこの病院に行き「異常はない」と診断されては、誰にも直せないのか、と失望した)

 

でも、そうではなかった。

 

ジムに通って、最初は脚への負担が少ない水泳をやっていたのだけれど、色々あってサイクリングマシンでペダルを漕いでる最中に「ペダルはいくら漕いでも脚が痛くならない」ということに気づいた。

 

そこで、ランニングマシンで走ってみて、走り方をトレーナーの人(元マラソン選手)に見てもらったら、「ちょっと走り方が重いですね」と言われた。

説明を聞いてみると、脚への負担がかかりやすい走り方をしている、ということだった。

 

『走ると脚が痛む。だから走れない』という自分がずっと抱えていた話は、なんのことはなく、ただの走り方の問題だった。

でも、中学や高校で体育の先生に見てもらっていたはずだけど、そんな指摘はされたことがなかった。多分、そこまで走り方に詳しい先生ではなかったからだろう。

 

それから思い切って、2km程度のマラソン大会にも出て最後まできちんと走りぬいた。

 

自分は欠陥品ではないかもしれない、と思えた瞬間だった。

それ以来、自分は、今まで「仕方ない」と思ってきたことを、片っ端から「直せるのではないか」と疑うようになり、最近は、休日がその関係でほとんど潰れている。

 

平日は遅くまで仕事があるし、休日は平日よりも早起きして予定を消化している。

でも、たぶん、35年の人生の中で、今が一番、胸を張って生きている。

 

 ■ということだったんだ、とウメハラさんの本を読んで思った。

自分はこの方、とても好きなんですよ。

勝ち続けるからすごい、というよりは、勝つための努力をし続けられるからすごい、という感じ。そういう意味で言えば、宮本武蔵っぽいなと思います。

あと、タイムリーにこんな記事もありました。

ここで言われてる「背筋を伸ばす」が、きっと『普通のこと』なんですよね。ちょっとこの女性の方は存じあげないのですが、この記事だけで、すごい方だな、と思いました。

gendai.ismedia.jp

 

ボールはコントロールできない。

サッカー漫画「俺たちのフィールド」で印象に残っているシーン。

 

それは主人公に課せられた「砂浜でラグビーボールを蹴ってゴールしてみろ」という特訓です。

下が砂だからボールは思ったより跳ねない。

地面につけないように、とボールを蹴ってもラグビーボールだからどこに飛ぶか予想ができない。

 

「これじゃコントロールできない。丸いボールでやらせてくれよ」と主人公が頼むのですが、「それじゃ意味がない」とすげなく却下されます。

 

けれど、持ち前の体力と才能もあり、朝から晩までひたすらボールを蹴っては追いかけるのを続けた結果、主人公はいつの間にか、ボールを体の前から離さないコントロールを身につけていました。

「違ったんだ。ボールをコントロールするんじゃなく、飛んだボールに体が追いつくよう、体をコントロールするんだ」

サッカーの試合中に目の前の相手がどう行動するかを全て読むのは不可能だし、コケたりして相手自身も予想していない結果になるかもしれない。

そんな時でも、ボールを失わないためには、最初から『ボールコントロール』を諦めること。

 

という話がありまして。

子どもの頃に読んで以来、この話は色んなことに応用できるのでは、とずっと心に残ってました。

 

■そして、クルンボルツ博士の話に。

その幸運は偶然ではないんです!

その幸運は偶然ではないんです!

 

運命論者のスピリチュアルっぽいタイトルなので、すげーうさんくさいですが。

帯の「もうキャリアプランはいらない」の方が、本書の内容を示してる気がします。

 

※「」カッコ内は、自分の解釈です。

 

クルンボルツさんは、もともとキャリアプランニングに通じた博士でして、けっこうなベテラン先生です。

その先生が、長年研究してたどり着いた成果が「偶然の前には、いくら計画練っても無駄じゃね?」という話で、もともとは「28歳で、18歳の時に志望していた職業についている人は2%未満」という統計からスタートしてるそうです。

 

例えば、「ハーバードを目指して勉強してたけど、なんか違う気がする」という場合。

周りは「目標と定めたのだから、ハーバードを目指しなさい」とプレッシャーをかけてくるでしょうし、自分自身でもそう思うかもしれない。

「でも、それ、なんか違う、って思った時点でもうハーバードには、あなたの幸福は無いのだから、目指す必要はないんです」

という感じの内容です。

 

じゃあ、目標は設定しない方がいいのか。何もしない方がいいのか。

「そんなことはありません。『ハーバード』という目標を失った時に、思いついたことはありませんか。それをやりましょう。まずは行動を起こしましょう。行動を続けながら、アンテナ感度を高くして、次の目標と出会いましょう」

という、行き当たりばったりにも思える話です。

 

「行き当たりばったりにも見えるかもしれませんが、何より肝心なのは、幸せになる手段を先入観や過去の労力や年月で限定しない、ということです。昨日から続けてきていたとしても、常にスタートは今です」

 

じゃあ、キャリアプランって本当に不要なのか。

「2%に入る自信があるならどうぞ」

 

といった感じの解釈を自分はしました。

 

 

■これ「ボールをコントロールするな」の話と似てるよなー。

 

例えば、明日、戦争が始まってしまったら。

例えば、明日、株価が大暴落したら。

例えば、明日、恋人が浮気していることに気づいてしまったら。

例えば、明日、海外に移住することが決まってしまったら。

 

そんなこと、考えても仕方ありません。

追いかけているボールが、自分にとってどうなのか。

追いかけていること自体が、幸せであること。

それが大切、ってことなんですかねえ。

 

まだ渦中。

好きな声優さんが亡くなったショックは、日が経つにつれて薄れていく、、、わけでもなく。

まだまだ全然濃いまま残ってるんですけども。

 

それでも、ほかの声優さん達が番組やブログで、それぞれ思い思いのお別れを告げていくのを見て、この人たちの方が辛いんだよなあ、と他人ごとのように思ったりしているわけで。

 

そういうのを見たり聞いたり読んだりする度に、心が少し軽くなっていく感じがします。

 

そうかー、告別式ってこういうことのためにあるのかー。

と、これまた他人ごとのように思ったりしています。

いやまあ、最初から他人ごとじゃねえか、と言われればそれはそうなんですが。

 

反面。

 

入院した方は、術後の経過が思わしくなく。

あがったりさがったりを繰り返してるそうです。

 

気が気じゃない。

また、状態をお知らせしてくださる方が、まあ、説明が下手な方で。

LINEで教えてくれるんですけど「今朝、お腹が痛いって言って」と送ってきたあと、30分ぐらい放置されたりするわけですよ。

 

なに!? お腹が痛いからなんなの!?

現在は安静にしてるのか、今すぐ飛んでいった方がいいのか。

どっちなんだよー!!!

 

とヤキモキさせられっぱなしで。

 

こういう時、メールの方がいいな、と思います。

 

さすがに「結果を先に」って言ったけども。

 

自分の余裕のなさに、自己嫌悪に陥る金曜です。

週末は学校の実技試験があるや。がんばろう。

 

生きてるってなんだろ。

生きてるってなーに?

と歌うコントが昔あった。

 

最近、身近な人に不幸があり、一命は取り留めたものの、長いリハビリが必要な状態になってしまっていて。

手術をして安静にしていたほんの一週間ほどで、全身の筋肉はリセットされてしまって、声帯は震えないし、腕は持ち上がらないし、足首はひょこりと小さく動くだけ。

ベッドサイドに座ることも出来ず、車いすに乗るのも看護師さんが三人がかり。

 

そんな状態になってしまった人を見た。

ほんのこないだまで、元気よく働いて、大きな声で騒いで、こちらが話そうとしても、勢い良く話し始めてかき消してしまうようなパワフルな人だった。

 

痛々しいとかは、あまり思わないし、可哀想に、というのともちょっと違う。

ただ、自分にもこんな日がいつか来るのだろうな、とぼんやり思った。

そして、その時、自分の周りには看護師さんしかいないのだろうな、とも。

 

 

そうしてぼんやりしてる内に、好きな声優さんが亡くなった。

やはりとても明るい方で、「可愛い」と評価されると照れて「けなしてください!話が続かないので!」と返す感じの楽しい方だと思っていたし、プライベートでもやはり楽しい方だった、と身近な人たちのブログで生前の人となりがつづってあった。

 

その方が誕生日会の様子を書き残したブログには「私は、私に生まれて幸せです。」と書いてあった。

 

亡くなった方にこう書くのも変だけれど、とても羨ましいと思った。

知名度とかそういうのではなく、誕生日にそう思えることが羨ましいと思った。

 

自分は一度も、そんなふうに思ったことはない。

 

生きてるってなんだろ。

生きてるってなーに。

 

そんなことをここ数日考えています。