そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

相見積もりで値切るな。

「御社と、違う会社で、同じ要件だして相見積もり取ります」ってのは良い。

その結果、どっちが選ばれても恨みっこなしだ。

 

ただし、要件定義まで付き合わせておいて、定義書を他社に渡して「開発よろしく」ってのは、本当にNGなので、商慣習を知らない若い人は気をつけた方がいい。背中刺されるよ。

 

また、「御社では一千万の見積もりとなってますが、他社は900で出してきてますよ」みたいなのは、本当に最低だけど、これは若い人に限らず、オッサンでもやる。爺さん婆さんでもやる。シロガネーゼでもミラネーゼでもやる。

じゃあ、その『他社』にやってもらえや、と内心思われて流されるのがオチです。

 

あと、大手がよくいう「ベンダー(開発会社)なんて、御社じゃなくてもいくらだっているんだ(だから、奴隷同然でも我慢しろ)」というのは、嘘です。でも、嘘だってことに言ってる本人も気づいてなかったりする。

 

看板だけベンダーって掲げてる企業は多いけど、まっとうに役割と人員揃えて、開発やってる企業、となると、リピート客が多いので新規開拓に手が回らず、知名度はパッとしなかったりする。

 

なので「呼べば出てくる開発会社」ってのは、「呼べば出てくる」程度の技術力しかないし、ITの技術力って、『掛け算』なので、すごい所は同じ人数でとんでもなくすごいことをやってのけるし、ひどい所はいない方がマシ、というレベルだったりする。本当に。

 

自分がいま付き合ってる会社は、けっこういい所ではあるけれど。

偶然知り合わなかったら、ほんと、こんなとこどうやって探すんだよ、というぐらいマイナーです。

 

でも、たぶん、世の中そんなもんだと思う。

これから

「これからどうなるか分からない。分からないけれど、あなたが言っていたから行ってみよう。行ったとしても、その意味は分からないままかもしれないけれど」
という坂本真綾さんの歌があります。

 

年の割に若い、と病院ですら言われる自分ですが、それでも35ともなれば、皺は増えますし、小さな傷の治りにくさに年を感じることが増えました。

また、同世代、先輩方、それどころか後輩たちの中にも「お先に失礼」と鬼籍に入られる方がちらほらと現れ始めて、自分もそろそろ死に様を考えねばな、と思ったりしています。
とはいえ、財産なんてもんはありませんので、遺書を書くほどじゃありませんが。

 

あと、一期一会の解釈がちょっと変わりましたね。

以前は「これで最後」と思って、ちょっとしたことは我慢して笑顔で別れるようにしてたんですけどね。
これだと、しばらくしてから「やっぱりちょっとアレは一言いいたい」とモヤモヤするんですよねえ。

なので、腹が立ったら腹が立った時にサッと怒るようになりました。
さっさと晴らして笑顔で別れるようにした所、素直に「また会える時があればいいな」と思えるようになりました。

 

ただ、怒るというのも、不慣れな方にはずいぶん難しいことで、ちょっと練習しました。癇癪起こすのとは違いますからねえ。

 

35にして改めて思うのは、自分の体、自分の心のままならなさです。
怒りたい時に怒り、笑いたい時に笑い、走りたい時に走り、跳びたい時に跳ぶ。
ただ、それだけのことなんですけどね。これが難しい。


「長生きするぜ!」と決めた所で、長生きできるかどうか分からないようなもんで。
ままならないことを受け入れる、受け止める、というのも、なかなか難しい。

 

なにはともあれ。
2016年を生きて迎えることが出来て、おめでとうございます。
迎えられなかった人たちもおりますが、まあ、控え席から我々の活躍を見といてもらいましょう。

なんなら、投げ銭、おひねりのひとつでも投げてくれるとありがたいんですけどね。
今年も、そんなことを期待して、空を眺めながら歩いていきます。
ひとつ、どうぞよろしくお願いいたします。

FOLLOW ME UP(初回限定盤)(DVD付)

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他人は期待値の斜め下をいく!

年末に珍しく帰省したので、のんびりと「やることねえな」と散歩したりして過ごしています。

テレビなどを見ていると「君の努力はきっと誰かが見ているから」みたいな言説がまことしやかに語られていて、害悪この上ない。


■見てませんから、他人の努力なんて、誰も。

んでね。
こういう話をすると「私見てます!」って人も出てくるんですよ。
「見たことありますよ、UFO!」みたいな勢いで。

それはね、「あなたが見たかった努力」なんですよ。
「自分が見てほしかった努力」ではないんですよ。


■例えばだ!

半年間英会話教室に通って、毎週毎週大量の英単語を覚えて、英文法をむかつく講師にいちいち指摘されながらTOEIC800点を取ったとするじゃないですか。
でも、誰もそんな所見てないんですよ。
せいぜい、講師のオッサンが「まあ、ここまでやれば800点とれるよね普通」みたいな表情で「oh almost!」って言うぐらいですよ!

それでも、まあ、良しとしましょう!
英会話しゃべれるようになったんだから。えらいえらい。たいしたもんだ。田舎のおっかさんも喜んでるよ。東京出身?ああそう、わりいわりい。

それで、会社に「800点とりました」つったら、「ああ、おめでとう。じゃこれよろしく」って通常業務に加えて、英文翻訳の仕事も任されちゃって、残業時間増えるわけですよ。
んで、残業姿を見た女子社員が言うわけ。
「なんか『会社大好き』って感じ? 今時ないわー」って。

ね? こんなのピエール瀧さん(『凶悪』ver.)じゃなくても「ぶち殺すぞオンドラァ!」ってなるじゃないですか。

だから、他人に「努力を見てもらえるかも」なんて期待は、しない方がいいんです。


■他人に見せるための努力ならやめとけ。

そんなの誰も見ないです。

んでも、労力かけたなら見返りほしいじゃないですか。
見返りほしいのに「見てもらえる」っていう見返りなかったら、勝手に「裏切られた!」とか「あいつら性格悪い!」とか思っちゃうでしょ。

でも、それを口にすると「あなたが勝手にやったこと」って更にたたかれるんだよ。
なんだこれ、馬鹿馬鹿しい。
自分の正義を信じてくれる人はいないのか、って思うじゃないですか。

俺がそういう状況になったら、そう思う。百パーそう思う。
そういう時は、誰でもいいから「そうか、つらいな」って酒おごってほしい。なんなら缶コーヒー1本でもいい。労ってもらいたい。

んで、落ち着いたら「結果出して見返そう」って気持ちになりたい。


■動機に純不純はない。

「見返す」なんて言うとマイナスイメージだからよくない、なんて言うけどさ。

そんなもん、結果出てから「あれはよくなかったかもなー」って理想の相手と名古屋コーチンの鍋でもつつきながら反省すればいいだけの話でさ。

まずは結果出さないことには、自分の人生が始まらんじゃないですか。

んで、結果出すには、今までよりもっと効率化する必要があるわけです。
無駄なことは省いて、目的に向かって邁進する。
じゃあ、無駄って何さ、っていうと「周りに見せる努力」だったりするわけです。

努力は自分のものです。他人に分け与える必要はカケラもないです。


■という話は、プラネテスに具体例があります。

 

プラネテス全4巻 完結セット (モーニングKC)

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全4巻です。

未読でしたら、年末年始の休みにどうぞ。

あと、アニメ版全26話もあります。個人的には、こっちの方がテーマが整理整頓されてて分かりやすいと思います。 

 

■それでは。

良いお年を。

嫌なニュースばかりを追いかけてしまう性分ですが、嫌なニュースを知る度に、みんな幸せになればいいのになあ、としみじみ思います。

あ、俺の隣で幸せになってくれる女性はまだ募集中です。

 

嫌いなことをせずに、生きていく。

youtubeが動画投稿者を募集する広告に「好きなことで、生きていく」というコピーがついています。

それはそれで、ひとつのやり方だと思います。

 

ただ、自分よりも、それを好きなやつが現れてしまった時。

自分が苦行のような気持ちで階段を百段登る隣で、笑顔で三百段登っていくやつが現れた時のことを。

そのことは考えておいた方が良いと思います。

 

自分の場合は、嫌いなことがほとんど出来ないんですよね。

例えば、満員電車。

上京して半年で音を上げました。

 

だから、満員電車に乗らなくていい仕事を探しました。

そしたら、過労死ラインを超えるレベルの残業地獄になりました。

半年超えた所で「もっと工夫して頑張れ」と言われて、投げました。

 

次は満員電車に乗らなくて、なおかつ、残業地獄にならない仕事を探しました。

という感じで、嫌いなことから徹底して逃げ続けて今に至ります。

 

ただ、嫌いなことから逃げる分、他の人と比べた時に「かまやんは我慢できないやつだ」という評価になるのは避けられません。実際、我慢できないし。

だから、他の箇所で「かまやんにしか出来ない仕事だ」と言えるものを増やしました。

 

それらを勉強したり、練習したりするのは、振り返ってみてもそんなに苦にならんかったですね。今もなんやかんやと休日の度に勉強しに行ってます。忙しいですが、嫌ではないです、勉強って楽しい。

なにより、満員電車や残業地獄に比べりゃマシです。

あと、他の人に出来ない仕事なので、重宝されます。

 

嫌いなことをせずに、生きていく。

万人向けとは言いませんが、自分みたいな社会不適合者にはオススメです。

年300回は一人で晩飯食ってる男が本気で薦める、疲れない自炊料理。

(前略)

 

一人暮らしの自炊は疲れる。

食べるのは自分だけ。一人。

CMは言う、映画は言う、ドラマは言う、なんだったら幼稚園児向けの教養番組ですら言う。

「誰かと食べるご飯っておいしい」

 

はい。

昔は、自分もこういう話を見たり聞いたりする度に苛立ったりしていたのですが、最近はもう、ちょっとこう「あ、そういうの自分はいいです」って境地に達しつつあります。

 

あのね、疲れてる時に一番しちゃいけないのは「考える事」なんです。

ろくなこと考えませんから。

 

というわけで、疲れてる時に自分が食ってる料理を紹介しようと思います。

 

まず、材料はこちら。

カット野菜です。

何はなくともコレです。

個人的には、もやしが入ってるやつより、キャベツが入ってるタイプの方が好きです。

最近だと、コンビニでも売ってる所ありますね。あれ、助かるわー。

 

そして、次はコレです。

はい、うどんスープ。

 

最後は、ちょっと頭を使うかもしれません。

何せ、好みのものを選ばなきゃいけませんから。


 

上の二択、どちらでも好きな方を選ばなきゃいけません。大変です。

疲れてる時は本当にコレがしんどい。

なので、あらかじめ、うどんと決めたらうどんばっかり買い込んでおくといいです。

冷凍品なので腐りません。

 

■作り方。

1)鍋に水張って、うどんスープを入れます。

2)カット野菜一袋を鍋に全部入れる。

少食の方は半分だけ入れれば、節約になります。

3)うどんを凍ったまま鍋に入れる。

4)水を一口飲んで、深呼吸をします。

5)自分の体の中に小さなエネルギーの固まりがあるのを想像します。

6)息を静かに吸うと、エネルギー玉はポカポカと温かさを放ちながら、背骨に沿って、頭の上まで昇っていきます。

7)息を静かに吐くと、エネルギー玉は背骨に沿って、ゆっくり腰のあたりまで下りてきます。

8)息を静かに吸い、静かに吐く、を繰り返します。

9)鍋から沸騰した湯がこぼれそうになったら出来上がりです。

 

■食べ方。

自分でカットしなくても、食べやすい大きさの野菜が100円で手に入り、小麦粉を練らなくてもうどんが、だしの取り方を知らなくてもおいしいうどんスープが手に入ることに思いを馳せて、生きていることそのものを感謝しましょう。

 

■ストレス発散の仕方。

シャワー浴びてる時など、血行がよくなる時に、憎いあの野郎への罵詈雑言を吐きましょう。一日の内、たった十分でもひたすら罵詈雑言を吐き続けることが出来れば、疲れますが、スカッとします。貯めこむのよくない。

 

■最後に。

みんないきろ。

 

冬ですニベアです。

冬です。乾燥しがちです。

 

そこでニベアです。

ニベアは、量の割に安いので、「どうせ安いんだし」と多めに手にとっちゃうじゃないですか。

 

ニベア クリーム 大缶 169g

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んで、両手べったべたにして、余った分を腕とか脚とか首筋に塗り始めるじゃないですか。

もちろんそれはそれでいいんですけどね。

 

お手持ちの革バッグとか革財布とかないですかね。

あ、人口革は知りませんよ、動物の革のやつです。

つっても、クロコダイル革とかは知らんけど。

普通に牛革ね、牛革。

 

これは牛串。

 

これが牛革。

ヌメ革きなり 成牛タンロー2.0mm厚/A4サイズ(210x297mm)

ヌメ革きなり 成牛タンロー2.0mm厚/A4サイズ(210x297mm)

 

 

 

その牛革に塗るといいです。ニベアを。

 

多分ね、日頃「気に入ってるんだけど、最近シワが目立ってきたな」とか思ってる所で、ニベアを塗ると笑えますよ。

ツルーン!てなりますから。

 

新品同様とか言うと嘘くさいですけど、これはもう、やってもらうのが手っ取り早いです。

君自身の目で確かめて欲しい!ですよ。

自信の付け方。

自分もそうであったけれど、得意なことをして、お金を稼ぐ。

あるいは、得意なことをして人様の役に立つ。

 

そういう時って、むやみやたらと「誰かの役に立ちたい」などと思う。

つまり、意識としては「誰の役にも立てていない」と思っている。

 

じゃあ、苦手なことをすればいいのか。

ブラック企業に入って、ニッコリ笑顔で「よろこんでー!」と月100時間残業すればいいのか。

 

そういうわけではない。

 

■『普通』だと自分が思ってることに挑戦することだ。

 

例えば「普通は挨拶をするものだ」と思うなら、挨拶をすればいい。

挨拶が無理でも、会釈するとかでもいい。

会釈が無理なら、挨拶すべき相手と会いそうな時に、道を変えたりせず、そのまま、会うようにするとか。

何か、挨拶につながることをすればいい。

 

自分の場合、これが「走ること」だった。

自分は脚があまり良くなくて、中学の頃ぐらいから長距離が走れなかった。

1km走れば、脚が悲鳴をあげる。

古い例えで言えば、ドラマ「ひとつ屋根の下」のラストで、ちい兄ちゃんが痛む脚を引きずりながら走る、っていうか歩くシーンがある。

あのちい兄ちゃんみたいになる、といえば知ってる人にはわかりやすいだろう。

 

だから、自分は一生走れないし、「走らなきゃ死ぬ」という場面になれば、誰よりも先に死ぬ。欠陥品だけれど、ほかに異常はないんだから文句を言うのは、お門違いだ。欠陥品なりに生きていこう。そう思っていた。

(ちなみに新しい土地に住む度にそこの病院に行き「異常はない」と診断されては、誰にも直せないのか、と失望した)

 

でも、そうではなかった。

 

ジムに通って、最初は脚への負担が少ない水泳をやっていたのだけれど、色々あってサイクリングマシンでペダルを漕いでる最中に「ペダルはいくら漕いでも脚が痛くならない」ということに気づいた。

 

そこで、ランニングマシンで走ってみて、走り方をトレーナーの人(元マラソン選手)に見てもらったら、「ちょっと走り方が重いですね」と言われた。

説明を聞いてみると、脚への負担がかかりやすい走り方をしている、ということだった。

 

『走ると脚が痛む。だから走れない』という自分がずっと抱えていた話は、なんのことはなく、ただの走り方の問題だった。

でも、中学や高校で体育の先生に見てもらっていたはずだけど、そんな指摘はされたことがなかった。多分、そこまで走り方に詳しい先生ではなかったからだろう。

 

それから思い切って、2km程度のマラソン大会にも出て最後まできちんと走りぬいた。

 

自分は欠陥品ではないかもしれない、と思えた瞬間だった。

それ以来、自分は、今まで「仕方ない」と思ってきたことを、片っ端から「直せるのではないか」と疑うようになり、最近は、休日がその関係でほとんど潰れている。

 

平日は遅くまで仕事があるし、休日は平日よりも早起きして予定を消化している。

でも、たぶん、35年の人生の中で、今が一番、胸を張って生きている。

 

 ■ということだったんだ、とウメハラさんの本を読んで思った。

自分はこの方、とても好きなんですよ。

勝ち続けるからすごい、というよりは、勝つための努力をし続けられるからすごい、という感じ。そういう意味で言えば、宮本武蔵っぽいなと思います。

あと、タイムリーにこんな記事もありました。

ここで言われてる「背筋を伸ばす」が、きっと『普通のこと』なんですよね。ちょっとこの女性の方は存じあげないのですが、この記事だけで、すごい方だな、と思いました。

gendai.ismedia.jp