某「絶望したー」を連呼する漫画は面白いので、全巻買ってます。
でも、個人的に、というか、自分と友人の間では「絶望なんて無いよな」という事で議論はすでに終わってます。
絶望ってのは「望みを無くす」事なので、もともと望みを持ってたんじゃねえか。
そんな高望みしちゃいけねえよ、と。
社会の底辺に生まれたからにゃ、社会の底辺さまよって、誰にも名前を覚えられる事もなく、誰にも知られる事もなく。
道端で倒れて死んで、その隣を「愛は地球を救う」と言ってる人たちが笑顔で歩いていくんですよ。
ネット上ではよく「モテたい、でもモテない」って人がワイワイ言ってますけど、あんなの悩むだけナンセンスですよ。
「人口としては男女比がつりあってるから俺にも彼女が出来るはずだ」とかね。
「幸せな結婚が出来るはずだ」とかね。
「願えばかなう」とかね。
ナンセンスすぎますよ。
昆虫を見てくださいよ。
成虫になるまでに死んだ虫がどんだけいるか。
成虫になったとしても、つがいを作れずに死ぬ虫がどれだけいるか。
そりゃ悩んでる人からすれば「どうせ異性でも俺みたいに余ってるやついるんだろ! そいつ俺とくっつけよ!」って思ったりするんでしょうけどね。
個体はさておき、種全体の本能としては、劣等種を除外したいんですよ。
頭がいいわけじゃない。何か全体に特別な貢献するわけでもない。
運動能力が高いわけでもない。むしろ悪い方だ。
しんどい事はイヤだ。楽して生きたい。誰かが全部用意してくれたらいいのに。
そんな事を考える個体が種全体にとって必要ですか。必要ないでしょ。
だったら、そんな個体の遺伝子なんて誰も欲しがらないんですよ。
セミのように鳴くだけ鳴いて、一人でポトリと地面に落ちて死んでろ、って話ですよ。
ね? 絶望なんてないでしょ。
いい相方も、いい職場も、いい環境も、いい家族も。
つかめるのは、ほんの一握りの人たちだけです。
そういうものなので、悩むのはさておき、そんな事で気分をクサクサさせるってのはもったいないですよ。
金出せば買えるものは、金を出せば買えますし。
自分が楽しいと思えるものは、自分が楽しいじゃないですか。
手に入るもので、楽しめばいいんですよ。
手に入れる方法をあーだこーだと考えるのは楽しいですけど、手に入らないからって気分悪くしてちゃ、時間がもったいないですよ。