と思ってる。
というか、本読む時も人の話聞く時も基本的に「発信する」という前提で受け取る。
だから、急に振られても説明がそれなりに出来るのだろうなあ、と思う。
平たく言えば、ばら撒きたいのだ。
やる気を見せてくれる人には特にばら撒きたい。
状況によってはタダでもいいぐらいだ。
反面、やる気のない人にばら撒くのは、とてもめんどくさい。
もう表情全体で「なんで、自分がそんな話聞かなあかんのー」という顔をしている。
こっちだって嫌だ。
仕事だから一応、理解するまで教えるけどさ。
■基本的に勉強って誰でも出来て、誰でも得が出来るものだと思う。
のです。
例えば「スキルをアップさせると、更に追加の仕事がきて余計に大変になる」なんて話を聞く。
じゃあ、それ「出来ます」て言わなきゃいいだけじゃねえの?
出来ようが出来まいが「あなたがこなすしかありません」って仕事が出てくることは長い人生往々にしてある。
そういう時のリスク回避はどうすんの?
誰かが代わりにやってくれるまで待つの?
やってくんなかったら?
それによって身内の誰かが悲しい目に会うとしたら?
少なくとも自分はそういう風に考えるので、興味のあることは片っ端から覚えるし、目にしたシステムは隙あらばいじりまくって、その構造を勉強する。
興味がなくてもとりあえず触れてみる。触れたこともないのに興味を持つなんて無理だからなー。
仕事のためじゃない。
いつか来る『誰かを守らねばならない時』にヤムチャになりたくないだけだ。
■あと自分がエラソーなのは。
単に自分が悪いと思う要素を出来るだけ排除しながら生きてるからです。
「俺は悪くないもん」と言えることがエラソーの秘訣。
(ダメなオッサンだー)
『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやっても動かない』
じゃあ、それ俺悪くないじゃん。みたいな。
■今日の猫。
夜遅くに帰宅すると、餌クレー、と鳴きまくる。
けど、夜、要望通りの時間にメシをやると、間違いなく朝は明け方から、餌クレーと鳴きまくる。
『聖人も朝飯と夕飯を食わねば腹が鳴る』
とは言うけれど、うちの猫はもう少し我慢を覚えた方がいい。
(無茶を言うな)