そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

カラオケがちょっと滑った。

 
新作のプロットを駅前のカフェでねりねり。
一区切りついた所で、昼飯かなー、と思ったけど、急にカラオケ屋が見えたので、入りました。
 
1時間。
 
いつも同じ様なロックばっかりじゃなー、と思ったので、違うものを、と明るいポップなやつを歌ってみたんだけど、あんまりしっくりこなかった。
 
うーん、叫びすぎの吐き気をこらえながらサンボマスター歌ってる方が疲れは溜まるけどストレス発散には良い気がする。
 
■「日本人に乗客はいませんでした」に関するアレやコレ。
 
『「乗客に日本人はいませんでした」は、関係各所にむやみに問い合わせ無いように、という意味だから、イエモンが歌うような悪い意味じゃない』
みたいな話が、Twitterで回ってきた。
 
その建前は働きマンで読んだから知ってる。
働きマンは4巻までで累計400万部(今はもっと行ってるかな)だから、単純計算で1巻あたり100万部。
だから100万人は、その建前を知ってるはずだ。
「漫画の内容なんてそんなに覚えてないよ」という人もいるかもしんないけどさ。
 
ただ、実感としてどうなんだろう。
 
自分は恥ずかしながら「日本人の乗客はいませんでした」と言われたら、興味が失せる。どこか遠くのニュースとして処理する。
 
アメリカにビルに飛行機が二機つっこんだ時、自分はまだゲーム制作を学ぶ学生だった。
号外新聞が配られる中、授業にやってきた先生(現役ゲーム制作者)は、頭を抱えながらそのニュースの感想を述べた。
 
「ものすごく自分がダメな人間だと思うし、最悪で最低だと思うけど、あの映像を見つけた瞬間、興奮して録画した。録画ミスの無いように違う番組のやつも録画した。すごい素材を見つけたと思った。これからの『ビルの爆破シーン』が変わる」
 
熱のこもった口調でそう言った。
 
確かに自分も「どえらいことが起きた」と思うと同時に「すごいコンテンツがきた」と感じた。
そして、現役ゲーム制作者と同じ見方をしたのだという事実に喜んだ。
 
昨年の311の時に、たくさんの津波の映像を見た。
テレビじゃ放映されないようなやつも見た。黙って静かに見た。
 
けど、そこにコンテンツとしての面白さは感じなかった。
ただ、ただ、そこに映る人、映す人が、今日も生きていて、なにかくだらないことで笑ってくれたら、と心から願った。
 
それとは同時に、もう一人の自分が「これを覚えておけ」とつぶやいた。
「この感情を覚えておけば、いつかきっと物語を作る役に立つ。今は書くな。今書けば陳腐なお涙頂戴になる。いつか風化して、全てを笑って話せるようになった時にこそ、笑って『ああ、終わった話で良かった』と読める話を書け。そうすればウケる」
 
ひどく冷静な自分もいた。
 
日本で起きたことと、アメリカで起きたこと。
片方は天災で、片方は人災だ。
けれど、たくさんの人が、何の罪の意識もないまま死んだことに変わりはない。
 
自分は差別主義者だと心から思う。
 
イエモンのあの歌は「乗客に日本人はいませんでした」と言うキャスターを責める歌じゃない。
そこにホッとする自分を見つけて絶望する歌だ。
 
そう思う。そう思います。
 
■今日の猫。
 
引き戸なら、爪でガリガリひっかいて開けるようになったので、つっかえ棒を用意した。
これでこそ安眠できるというものだ。
 
それにしても知恵のある動物だなあ。