そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

自分がブログをする理由として、思いつくもの。

 
振り返ってみる。
 
■よく言われるのが「承認欲求」です。
 
ブログに限らず情報を発信する側になりたがる理由。
 
「認めてよ! 僕の考えを、僕の人格を認めてよ! 僕の辛さを知ってよ! ねえ、ミサトさん! アスカ! アヤナミぃ!」的なアレ。
※好きなもの順。
 
90年代に全力で置いていきたいのだけれど、悲しいけどコレ、娑婆なのよね。
狩りの下手な男が「僕だってやればできるんだ」と壺に縄模様をつけた縄文時代から現代まで続くように、多分、千年後も二千年後も「誰か僕を!」という声はあるんでしょうなあ。
※非常に偏った歴史観です。
 
■とはいえ、そればかりでも無い気が。
 
自分の場合は、承認というよりは許可が欲しい感じです。
「認可欲求」とでも言うのかな。
 
こういうことを私めは考えておるのですが、いかがでしょうか。
社会的にまずくないでしょうか。
生きてて良いでしょうか。
 
といった懺悔の意味合いが強いです。
 
限りなくネガティブ。
そりゃ中国語の先生からも「もっと自信もってください」と言われるわけです。
卑屈にも程がある。
 
■もうこれは血筋なんだけれども。
 
ものすごく傲慢になりやすい。
 
平たくいえばオレサマ主義。
俺が正しくてお前らは全員正しくない。
だから、俺が導いてやらねば。
 
そんな近視眼状態に非常になりやすい性格ですので、
常々「今の自分はオレサマになってやしないか」と疑いつつ生きてくぐらいがちょうどいいわけです。
 
ほら、頭に血が上りやすいド短期の徳川家康が、大失敗した時の姿を絵にしたためて、教訓としたようなもんで。
 
視界が狭まれば、それだけでカモになりますし。
「銃なんか捨ててかかってこいよベネット」と言ってるマッチョなんて、スナイパーからすれば的以外の何者でもない。
 
常に神の御前にいる気持ちで、正直に真面目に生きていきたいとか書くと途端に新興宗教くさくなります。
が、まあ、内心思ってるぐらいなら害はなかろう、と周りの反応などを伺いつつ、日々過ごしてます。
 
懺悔するぐらいなら、懺悔しなくて済む生き方をしたいものです。
 
■でも、たまにはやっぱり傲慢したい。
 
いやあ、ネットって本当に便利ですね。
ちょっとググれば、自分より数段上のステージで過ごす人達が見えるわけですよ。
 
諸外国との外交問題も、老人介護も、男女間の性差別も、政治政党も、病児保育も、フェアトレードも、今日のお料理も、自分よりもはるかに詳しくて、勉強して暮らしてる方々が普通の顔して「おっぱいより尻派。尻最高」とか呟いてるわけでして。
 
自分などまだまだ精進が足りないなあ、と冷水をピシャっと浴びせられた気になります。
 
■なので、このブログはあまり刺激的な内容ではないです。
 
また、刺激的にするつもりもないです。
基本、懺悔ですので。
 
そらを自由に飛びたいな、と常に上を向いて歩いていければ、猫背も直りますし、猫背が治れば肋骨が開いて肺呼吸が容易になりますから病気にもなりにくいし、酸素が脳に行き渡って気分爽快。
 
だいたいそんな感じです。
 
あ、すいません。
「常に上を向いて云々」の箇所は今思いついただけです。そんなイケメンなことを考えてタイトルにしたわけじゃないです。
 
タイトルは、同じセリフでも子どもが言えば夢いっぱいに聞こえますけど、オッサンが言うとただのダメな現実逃避にしか聞こえない、というギャップが面白くて採用しました。
 
■そして、今日の猫。
 
相変わらず自分とは80cmの距離を保って、寝てます。