そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

川の流れのように。

 
ちょっと前の話になるけれど、Twitterでナンパ自慢をして「もうすぐ300人斬りだぜ」とか言ってた人が、強姦未遂で逮捕された件で。
 
強姦と和姦の境目って難しいよね、という話を見かけた。
というのも、女性(というか人類全般)は、すでに起きたことを都合よく解釈しようとする心の動きがあるからだ。
 
最初はすごく嫌だったのに、終わってみれば「まあ、大げさに騒ぐほどじゃないか」とか「流された自分も悪いし」とか思ってしまった経験は、誰にでもあることだと思う。
(書いてる自分にも、心当たりがある)
 
別の話では、悪夢のような労働条件で20代を使い潰した挙句、30になって体を壊して会社を辞めて、それでも「働けて良かった」と病院に通いながらブログに書く人も見た。
 
もちろん、どんな経験だろうと、それを糧にして次のステップへ進むのは悪いことではない。
でも「だから、どんな目に合おうと、続けることが大事」なんてのは思わない。それは『続けてほしい人』の都合だ。
 
自分の為にならない、そう思ったのなら、すぐにでも拒否の姿勢を取った方が良い。
自分のことは、自分にしか守れない。
他の誰も、自分を守ってくれやしないのだ。
 
日本語には「〜〜になります」という敬語表現がある。
この「なります」は「成る」のことで、達成や成長を意味することでもあるけれど、古くは、自然現象を指した言葉だったそうだ。
 
細い川が集まって、大きな川になる。
大きな川の運ぶ砂が、川下で小さな中洲になる。
栄養豊富な中洲で、生き物や植物が育ち、小さな島となる。
大雨が降り、大水となって、島ごと流してしまい。
そして、大水によって、新たな水の流れが生まれ、細い川となる。
 
なる。
 
自然のなりゆきを尊いと思ってきたのが日本なので、いまさら論理的思考だとか「NOと言えるグローバル社会」なんてのは難しいのだろう。
 
けれど、自分を脅かすものに逆らうのも、また、自然のなりゆきだと思うんですよね。
それが例え、自分よりはるかに大きな流れであったとしても。
 
■迷いがあったもので。
 
自戒を込めて書き出した。
 
こういう時、文章に感情をつっこまないタイプだと便利だなあ、と我ながら思う。
 
■今日の猫。
 
amazonダンボール争奪戦は、いつも体が少し大きいララが勝つ。
そしてビビが布団の上で丸くなると、ララがやってきて「おう、いいとこで寝てんじゃねえかよ」とそのすぐ隣で丸くなる。
 
甘えん坊のガキ大将。。。小学校にいたなあ、こんなやつ。