そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

好きだから、と好きなものを選ぶ眩しさ。

どうもどうも、インフルも風邪も治って、昨日は三週間ぶりぐらいにナマ肉である寿司を食いました。うまかったです。

今日も調子こいて牛肉買って焼き肉したら、安い肉だったせいかちっともおいしくなかったので、芋を食べ飽きた火星の人のモノマネしながら食べてました。

 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

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■映画の話。

マッサージの人と、趣味の話になりまして。

「オデッセイ見たいんですよ」と言われたので「あ、見ましたよ」と返したら「羨ましい。早く見たいんですけどね。私は明日、あぶない刑事を見に行きます」と打ち返されて、なんか負けた気がした。

あぶない刑事 [Blu-ray]

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いや、別にそんなにあぶない刑事を見たい気持ちはないんですけどね。

「本当に好きなものを選んでる」感が眩しい。

 

■そういえば、以前も。

ゲーム原作の映画を見に行って、自分は「ゲーム原作だけど、どのぐらい再現してるのか。どのぐらいゲーム知らない人向けになってるのか」と穿った見方をしてしまったのですが、一緒に見に行った人は素直に「あのシーンすごかった。ゲームはやらないですけど、面白かったですね」と感想を述べていて、その時も眩しく思った。

 

ゲーム原作でも、例えば、バイオハザードに対して、そんな穿った見方はしなかったんですよね。普通に楽しみにして見たし、楽しんで見た。

バイオハザード [DVD]

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別にハリウッドだから、ってワケじゃない、とその時は思ったんですけどね。

改めて「もし、邦画だったら同じ見方をしただろうか」って思うとちょっと苦しいです。

 

邦画=予算少ない=しょっぱい脚本=格下。

みたいな先入観が自分の中に出来上がってしまっているんですよ。

これはね、映画好きとしてはダメですよ。

良くない、とか、褒められない、とかじゃなく、ダメ。ホントにダメ。

 

先入観はもちろんある。あるけど、映画を見る時は、それは脇に置いといて、見ないと作品に対して失礼だと思う。

 

■もちろん、そうできないこともある。

例えば、10本映画を見て、10本とも「作った奴は地獄に落ちろ!」ってぐらい趣味に合わない内容だったとする。

そんで、その10本が全部同じ監督が作ってました、みたいな状態だった時には、「あ、この監督と合わんのだな」と思ってしまいますよね。

それは、別にいいと思うんですよ。

 

■自分の場合は「邦画」ですからね。

これは良くない。だって、邦画って幅広いですからね。

TSUTAYAを店舗まるごと制覇とかしない限り、「邦画はさー」って語る資格はないと思う。いや、資格が必要なのかどうかは分かんないけど。

 

■そういえば、今日の焼き肉も。

今日食った焼き肉も、安い牛肉を買ったんですけどね。

いつもは、牛肉なんて買わないんですよ、あんまり好みじゃないので。いつもは豚肉や鶏肉で焼き肉してるんです、その方が好きなんでね。

でも、今日はせっかくだし、と牛肉を選んでしまって、失敗ですよ。

最初から、好きなものをちゃんと選んでおけばよかったのにね。

誰に対して見栄を張ってるのか。

 

そう、映画にしても、肉にしても、よくわかんない見栄なんですよね。

「俺は分かってるんだぜ」みたいな。

分かってないんですけどね!

分かってるアピールはしていきたい!

誰に!?

誰かに!

「かまやん素敵!」って言ってくれる女子が現れるまで!

 

「そんなこと言ってるから、無理なんじゃね?」

 

知ってる!

半径30mの幸福。

世界がどうとか、社会がどうとか、というのはピンとこない。

 

先日、年配の男性に「世の中変えてよ」と冗談めかして言われた時に思った。

 

半径30mという数値にはあまり根拠はない。

ただ、そのぐらいなら、幸福に出来るのではないか、と思ってる。

 

職場で言えば、自分がいる部署。

取引先の窓口の人、ぐらいまでかな。取引先の会ったこともないエライ人とかのことは知らん。

 

住んでる場所でいえばお隣のお隣さんぐらいまで。

(一軒あたりが広いのでね)

そのぐらいであれば、会った時に挨拶ぐらいはするし、軽い愛想も使う。

 

もちろん、自分が移動すれば、その移動した先でも半径30mなので、周りに誰かがいるなら、その誰かが幸福であれば、と思っている。

 

お店で食事をすれば、お店のスタッフや周りのテーブルの人も幸福であってくれたら、と思う。

歩いていて、荷物に潰されそうな人を見つければ、声をかけて手伝うこともある。

 

でも、例えば、北海道で支援を求めてる人がいる、と言われてもピンとこない。

同情はするけど、何か行動をしよう、とまでは思わない。

よくやっても、せいぜい寄付金を送る、とかその程度だろう。

だから、遠くで災害が起きた時にボランティアで駆けつけるー、みたいなのはあまりピンとこない。

 

半径30m。

このぐらいなら幸福に出来そうだと思うけど、現在できてるか、と言われれば答えはNOだ。

だから、がんばろう、と思う。

 

社会とか世の中とか、そういうのは、なんかもっとスケールの大きい人に任せる。

 

オデッセイを見て勇気づけられた話。

 ネタバレしまくりなので、見たくない人は回れ右推奨。

 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

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 画像ほしくてamazon調べたら原作小説を発見したので、今度買って読みます。

っていうか、なんで映画公開されてるぐらいなのにKindle版がないの?

 

火星の人

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 嘘。ありました。早速ポチったー。

 

■あらすじ。

火星探査チームが想定外の嵐に巻き込まれて緊急脱出をする途中で、隊員のマークが破片にあたって嵐の中に消えていっちゃって、生存信号も拾えなくなったので置いていったら、実は生きてて、マークは救助が来るまでの長い期間を火星で生き残ることを決意するよ。

 

■徹頭徹尾、科学サバイバル。

文学的なセンチメンタリズムとかは、ほとんどない。

問題を見つけては、科学的に取り組んで解決法を探して挑戦して失敗して、計画を練りなおして再度挑戦する。

「家族の絆」とか「愛」とか「思いやり」なんてのはカケラもない。

ひたすら生きるために生きる。

火星でフリーズドライになって死にたくないから生きるしかない。

 

それが個人的には良かった。

 

■マークは孤独だ。火星だけでなく、おそらく地球でも。

脱出した火星探査チームのメンバーもマークの生存を知ったあとで「命をかけてマークを助けよう」ってなるんですけど、それぞれ家族とビデオ電話とかしてるんですよ。

「パパだよー」「ママだよー」みたいなやつ。

でも、マークの家族は劇中、一度も出てきてない。

マークも家族の名を口にしないし、友人、知人の名前すら口にしない。

探査チームが残した生活用品をサバイバルで消費する時にはメンバーの名を口にして「悪く思うなよ」みたいなことを言ったりするけど、プライベートで親しそうな感じがあまりしない。

あくまでチーム仲間。職場の同僚。

 

唯一、マークが死を覚悟した時に「両親には」という話をするけど、肝心の両親との関係が分かる話は一切なし。

ただ、「この仕事が好きだし、生涯をかけられて幸せだった、と伝えてほしい」とだけ続ける。

その内容は、両親に伝える役目であるリーダーをかばっていた。

両親ではなく。

 

■最後、地球に戻ってきたマークは、やはり一人だ。

過酷なサバイバルを生き抜いた人として、宇宙飛行士候補生からは憧れの眼差しを送られている。

けれど、隣には誰もおらず、一人でコーヒーを飲み、地面から出た双葉を愛でる。

彼は地球でも一人だ。

 

そして、最後に候補生に講習をするシーンがある。

「生きるために生きろ。死にたくないならそうするしかない」と。

 

■おそらくマークだからこそ生き延びられた。

彼は最初から孤独だ。だから孤独が苦にならない。

火星に一人ぼっちで、宇宙服を着て外に出て、生き残るための活動をして、たまに失敗して、宇宙服が壊れたりして、「酸素残量が5%以下です」みたいな状況になったとしても慌てず冷静に対処をする。

淡々と毎日いきるための作業をして、いきるために食事をし、いきるために歌い、いきるために踊る。

 

おそらく地球でも同じ生活だったのだろう。

 

もしマークの宇宙服の酸素が0%になったとして、死ぬことが確定した時、マークは後悔するだろうか。

失敗したことは後悔するかもしれないけれど、挑戦し続けたことには満足して死ぬ気がする。

 

それはマークの生き物としての強さだ。

孤独の強さだ。

 

■オデッセイを見て、勇気づけられた。

一人でいることは弱いことではないのだ、と。

まあ、社会的には良くないことかもしれないけれど、そんなことは知ったことではない。

 

明日から自分も地球一日目の気分でがんばろうと思った。

 

インフルエンザでダウンしてた。

7日間の隔離。

明日から外出オッケーになるけど、治ってる気が微妙にしない。

咳は出るし、喉は痛い。

 

色んな人から「働き過ぎじゃね?」と言われたけど、あんま自覚なし。

睡眠と食事はちゃんと取ってるからなあ。

仕事中に適度にメシ食って、家帰って風呂入って寝る。

家族持ちなら、ほかにもしなきゃいけないことがあるんだろうけど、独身なので問題なし。

明日からまたそんな生活に戻る。

ちょっと考えることもあるけど、でもまあ、もうしばらくはこの暮らしだろうな。

 

■映画を見た。

老人男性が生涯をかけて集めた財宝を美女と若造に騙されて全部奪われる映画を見た。

登場人物の内、老人男性以外、全員がグル。

老人男性が生涯で初めて愛した美女も当然ながら、老人男性が恋愛相談を持ちかけていた若造もグル、老人男性が長年一緒に仕事をしてきていた仲間もグル。

美女と相思相愛となり、老人男性が人間らしい気持ちを取り戻して「君たちはみんな私の家族だ」と言った相手全員がグル。

 

強烈な映画で、しばらくショックを受けていた。

今も少しある。

 

■どう抵抗しようにも。

自分が同じことをされたら、騙されると思う。

最初から一人なら悩まないけど、近づいてこられたり離れたりを繰り返されると悩む。

一人じゃない時があるから悩む。

そして、最後には全部奪われてしまう。

 

落ち着いて考えれば、自分にそんな良い話が舞い込むわけはない、と分かる。

悪いことをしなくても、悪いことはやってくる。

でも、良いことをしなければ、良いことはやってこない。

良いことなんてしていない。だから、悪いことしかやってこない。

 

忘れないようにしておかないと。

この先、悪いことしかないのだ。その上で生きていくしかない。

もう、それはそういうものなのだから。

 

とりあえず喉が痛いので、もう寝る。

相見積もりで値切るな。

「御社と、違う会社で、同じ要件だして相見積もり取ります」ってのは良い。

その結果、どっちが選ばれても恨みっこなしだ。

 

ただし、要件定義まで付き合わせておいて、定義書を他社に渡して「開発よろしく」ってのは、本当にNGなので、商慣習を知らない若い人は気をつけた方がいい。背中刺されるよ。

 

また、「御社では一千万の見積もりとなってますが、他社は900で出してきてますよ」みたいなのは、本当に最低だけど、これは若い人に限らず、オッサンでもやる。爺さん婆さんでもやる。シロガネーゼでもミラネーゼでもやる。

じゃあ、その『他社』にやってもらえや、と内心思われて流されるのがオチです。

 

あと、大手がよくいう「ベンダー(開発会社)なんて、御社じゃなくてもいくらだっているんだ(だから、奴隷同然でも我慢しろ)」というのは、嘘です。でも、嘘だってことに言ってる本人も気づいてなかったりする。

 

看板だけベンダーって掲げてる企業は多いけど、まっとうに役割と人員揃えて、開発やってる企業、となると、リピート客が多いので新規開拓に手が回らず、知名度はパッとしなかったりする。

 

なので「呼べば出てくる開発会社」ってのは、「呼べば出てくる」程度の技術力しかないし、ITの技術力って、『掛け算』なので、すごい所は同じ人数でとんでもなくすごいことをやってのけるし、ひどい所はいない方がマシ、というレベルだったりする。本当に。

 

自分がいま付き合ってる会社は、けっこういい所ではあるけれど。

偶然知り合わなかったら、ほんと、こんなとこどうやって探すんだよ、というぐらいマイナーです。

 

でも、たぶん、世の中そんなもんだと思う。

これから

「これからどうなるか分からない。分からないけれど、あなたが言っていたから行ってみよう。行ったとしても、その意味は分からないままかもしれないけれど」
という坂本真綾さんの歌があります。

 

年の割に若い、と病院ですら言われる自分ですが、それでも35ともなれば、皺は増えますし、小さな傷の治りにくさに年を感じることが増えました。

また、同世代、先輩方、それどころか後輩たちの中にも「お先に失礼」と鬼籍に入られる方がちらほらと現れ始めて、自分もそろそろ死に様を考えねばな、と思ったりしています。
とはいえ、財産なんてもんはありませんので、遺書を書くほどじゃありませんが。

 

あと、一期一会の解釈がちょっと変わりましたね。

以前は「これで最後」と思って、ちょっとしたことは我慢して笑顔で別れるようにしてたんですけどね。
これだと、しばらくしてから「やっぱりちょっとアレは一言いいたい」とモヤモヤするんですよねえ。

なので、腹が立ったら腹が立った時にサッと怒るようになりました。
さっさと晴らして笑顔で別れるようにした所、素直に「また会える時があればいいな」と思えるようになりました。

 

ただ、怒るというのも、不慣れな方にはずいぶん難しいことで、ちょっと練習しました。癇癪起こすのとは違いますからねえ。

 

35にして改めて思うのは、自分の体、自分の心のままならなさです。
怒りたい時に怒り、笑いたい時に笑い、走りたい時に走り、跳びたい時に跳ぶ。
ただ、それだけのことなんですけどね。これが難しい。


「長生きするぜ!」と決めた所で、長生きできるかどうか分からないようなもんで。
ままならないことを受け入れる、受け止める、というのも、なかなか難しい。

 

なにはともあれ。
2016年を生きて迎えることが出来て、おめでとうございます。
迎えられなかった人たちもおりますが、まあ、控え席から我々の活躍を見といてもらいましょう。

なんなら、投げ銭、おひねりのひとつでも投げてくれるとありがたいんですけどね。
今年も、そんなことを期待して、空を眺めながら歩いていきます。
ひとつ、どうぞよろしくお願いいたします。

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他人は期待値の斜め下をいく!

年末に珍しく帰省したので、のんびりと「やることねえな」と散歩したりして過ごしています。

テレビなどを見ていると「君の努力はきっと誰かが見ているから」みたいな言説がまことしやかに語られていて、害悪この上ない。


■見てませんから、他人の努力なんて、誰も。

んでね。
こういう話をすると「私見てます!」って人も出てくるんですよ。
「見たことありますよ、UFO!」みたいな勢いで。

それはね、「あなたが見たかった努力」なんですよ。
「自分が見てほしかった努力」ではないんですよ。


■例えばだ!

半年間英会話教室に通って、毎週毎週大量の英単語を覚えて、英文法をむかつく講師にいちいち指摘されながらTOEIC800点を取ったとするじゃないですか。
でも、誰もそんな所見てないんですよ。
せいぜい、講師のオッサンが「まあ、ここまでやれば800点とれるよね普通」みたいな表情で「oh almost!」って言うぐらいですよ!

それでも、まあ、良しとしましょう!
英会話しゃべれるようになったんだから。えらいえらい。たいしたもんだ。田舎のおっかさんも喜んでるよ。東京出身?ああそう、わりいわりい。

それで、会社に「800点とりました」つったら、「ああ、おめでとう。じゃこれよろしく」って通常業務に加えて、英文翻訳の仕事も任されちゃって、残業時間増えるわけですよ。
んで、残業姿を見た女子社員が言うわけ。
「なんか『会社大好き』って感じ? 今時ないわー」って。

ね? こんなのピエール瀧さん(『凶悪』ver.)じゃなくても「ぶち殺すぞオンドラァ!」ってなるじゃないですか。

だから、他人に「努力を見てもらえるかも」なんて期待は、しない方がいいんです。


■他人に見せるための努力ならやめとけ。

そんなの誰も見ないです。

んでも、労力かけたなら見返りほしいじゃないですか。
見返りほしいのに「見てもらえる」っていう見返りなかったら、勝手に「裏切られた!」とか「あいつら性格悪い!」とか思っちゃうでしょ。

でも、それを口にすると「あなたが勝手にやったこと」って更にたたかれるんだよ。
なんだこれ、馬鹿馬鹿しい。
自分の正義を信じてくれる人はいないのか、って思うじゃないですか。

俺がそういう状況になったら、そう思う。百パーそう思う。
そういう時は、誰でもいいから「そうか、つらいな」って酒おごってほしい。なんなら缶コーヒー1本でもいい。労ってもらいたい。

んで、落ち着いたら「結果出して見返そう」って気持ちになりたい。


■動機に純不純はない。

「見返す」なんて言うとマイナスイメージだからよくない、なんて言うけどさ。

そんなもん、結果出てから「あれはよくなかったかもなー」って理想の相手と名古屋コーチンの鍋でもつつきながら反省すればいいだけの話でさ。

まずは結果出さないことには、自分の人生が始まらんじゃないですか。

んで、結果出すには、今までよりもっと効率化する必要があるわけです。
無駄なことは省いて、目的に向かって邁進する。
じゃあ、無駄って何さ、っていうと「周りに見せる努力」だったりするわけです。

努力は自分のものです。他人に分け与える必要はカケラもないです。


■という話は、プラネテスに具体例があります。

 

プラネテス全4巻 完結セット (モーニングKC)

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全4巻です。

未読でしたら、年末年始の休みにどうぞ。

あと、アニメ版全26話もあります。個人的には、こっちの方がテーマが整理整頓されてて分かりやすいと思います。 

 

■それでは。

良いお年を。

嫌なニュースばかりを追いかけてしまう性分ですが、嫌なニュースを知る度に、みんな幸せになればいいのになあ、としみじみ思います。

あ、俺の隣で幸せになってくれる女性はまだ募集中です。