そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

例えばの一例。

例えば。

サラリーマンで、忙しく働いていて、毎晩残業を二時間ぐらいするのが日課になっていて。

家に帰れば、慣れないパート仕事に疲れながらも家事をこなしてくれる妻がいて、順調な成長過程として反抗期にさしかかった子どもがいて。

「ああ、俺がしっかり稼いで、家のことも手伝わなきゃな」と思ったりするそんな今日。

 

その翌日に、会社から転職を勧められるわけです。

会議室に集められて「こちらが転職を支援してくれる」と紹介された先が、イオンで7千円で売ってそうなスーツ着た若い人で「精一杯支援いたします」とか言われるわけですよ。

「みなさん、それぞれの希望もあると思いますので、お一人三十分間ずつ、しっかり話を聞きますから!」

と真顔で冗談みたいなことを言うわけです。

 

色んなことを思うわけです。

これがリストラか?三十分ってなんだよ。去年の昇進試験受けなかったのがまずかったのか。でも、今仕事が忙しくなったら家が大変になるし。俺、今年で入社二十年目だぞ、三十分ってなんだよ。ここにいるのがリストラ対象か。あ、アイツがいない。俺、アイツよりは働いてるつもりだったけど。やっぱり部長の肩持ったのが良かったのかな。それとも関係無かったのか。いや、反省はあとだ、前向きにいかないと。でも、先月、中途入社の面接で同い年の人、断ったんだよな。大してスキルもないのに、経歴ばっかり偉そうで、全然即戦力にならなそうなやつ。ああ、アレ、俺だ。俺だったんだ。俺は俺を見て、使えないって思ってたんだな。あ、面談から一人戻ってきた、やっぱ暗い顔してるな。俺はどうなるんだろう。妻はどうなるんだろう。子どもは。家は。来年から、親父に介護師をつける話にだってなってるのに。俺が稼がないといけないのに。働かないといけないのに。

 

そういう精神状態で、会社を出て、駅の改札を通り、いつものように階段をあがって、ホームにあがりかけて気付く。

甘い匂いが、その先から漂ってくることに気付く。なんとも言えない。

出会った頃の妻よりも甘い匂いが、その先の無機質な空間から漂ってきて、鼻を通り抜け、心をくすぐる。

 

「俺、今、ホームにあがったらダメだ。線路見ちゃ駄目だ。アレに誘われてしまう」

 

しばらくして、ホームに電車が入ってくる。

車両が止まったのを見計らって、階段を駆け上がり、ホームを横切って、電車に飛び込むように乗る。息も切れ切れで、汗びっしょり。だけど、熱くはなく、むしろ背中は冷たい。

 

「よかった。今、死ぬ所だった」

 

 

終電間際のホームで、殴り合いのケンカを始めるサラリーマンは、殴りたいを始めたかったのだろうか。

 

学生つづけてます。

昨年の夏ぐらいから、思い立って、勉強を始めて、こないだとりあえずの半分が終わりました。

その勉強とは、キャリアカウンセリングです。

ホランドの職業タイプで言えば、IT系とは最も縁遠い分野の一つです。

 

もともと「他人の話を聞く」のが好きだったこともあって、勉強もそれほど苦ではなく、普段やってたことを体系立てて学び直せて良かったです。

ただ、自分の外見の特性上、「絶対一発で受かるでしょ」という周りのプレッシャーがものすごくて、その点では緊張しました。

 

ただ、カウンセラーって心の専門家ですから、何より自分の心をコントロールできないと、やっていけないんですよね。

緊張するなら「なぜ緊張するのか」「なにが不安なのか」「どうなることを恐れているのか」などなど自身に問いかけて、緊張の元を分析していけば「だから今緊張してるのか」とか腑に落ちるようになります。

 

毒蛇を見れば人は驚いて、恐怖します。それは当たり前です。

でも、恐怖をふくらませる必要はありません。

「噛まれたら毒が入ってくる」「噛んでくることがある」以上の恐怖は不要です。

というわけで、自分も試験の緊張を分析して、ほどよく緊張した状態で臨み、受かりました。

 

■キャリアカウンセリングの試験に受かったので、次は、メンタルヘルスのカウンセリングの試験を受ける予定です。

まだ試験内容はよくわかってないですが、まあ、なんとかなるでしょう多分。

 

■それとは別に、放送大学の受講も始めました。

前々からラジオやテレビで見かける度に面白い話が流れてるので、気になってはいたのですが、ついに、です。

今は、基礎教養ということで、海外の宗教の成り立ちや民族主義などについて教科書を読み進めています。

 

■将来的にやりたいこと。

自分自身、まっとうな職歴をしてきた感覚がないですし、世間的な評価もかなり低いです。

(以前、転職活動した時に散々思い知らされました)

 

だから、あまり「まっとうでない」と思い込んで、気持ちが塞いでる人の支援ができたらなー、と思ってます。

その支援も「軽作業のバイトにつけました。めでたしめでたし」じゃなくて、その次のステップに行くための学力をつけて、誰かに背中を押されなくても、自分から「世界をもっと広げたい」と思ってもらえるような支援が出来たらなー、と思ってます。

 

そのために、まず自分で「一番安く学歴が手に入る」放送大学を受講してるわけです。

 

■今やってること。

とりあえず、キャリアカウンセリングには、もっと一般的になってもらわねば困るので、それ用のサービスを準備中です。

女房子どももなく、何の責任もない独身35歳で、時間が余るかと思いましたが、案外忙しくやってます。

 

「料理上手」はフィニッシュブロー。

先日、自宅で焼き肉をした。
むろん、一人である。
一人の焼き肉はいい。焼く量もタイミングも思うがままだ。
肉は少し思うところがあって、あまり美味しくないやつを買った。前回買って失敗したと思ってたやつだ。
その肉を買ってきて、胡麻油とにんにくでも揉みこんで30分ほど置いてから焼いて食ってみた。
うまかった。
失敗したのは、肉の料理法を間違えたからだ。
ひとつ勉強になったと思った。

さて、「料理のできる人はもてる」という説がある。
本当だろうか。

自分は、半分嘘で半分当たっていると考えています。

恋愛をボクシングに例えるとする。
ボクシングは、殴りあうスポーツで倒されたら負けだ。
構えている人を殴って倒す、というのは、実はけっこう難しい。「せーの」で突き飛ばしても、踏ん張ったり力を受け流して倒れるのを防ぐ反射行動が有るからだ。
だから、殴る側は力一杯振りかぶって殴りかかる。
そして、かわされる。

最初に必要なのは、力一杯殴ることではなく、「力一杯殴れる状況を作ること」だ。
じゃあ、その状況はどうやって作るのか。
軽いジャブやフットワーク、相手の空振りを誘うことも必要になる。どれも練習が必要なテクニックだ。
恋愛でいえば、オシャレしたり、会話を学んだり、相手の意表をつくようなことが必要になる。

そして、ここぞという場面でフィニッシュブローだ。一撃必殺!
これが理想的な試合展開。

ただ、フィニッシュブローがなくとも、それらのテクニックを駆使して相手を追い詰め続ければ時間切れで判定勝ちすることもあるかもしれない。

でも、それらのテクニックがなければ、時間一杯逃げられて終わるか、反対に倒されるだけだ。

「料理上手」は、力一杯殴るフィニッシュブローだ。
威力は絶大だけど、当たらなきゃ意味がない。

最近そんなことに、気づきました。

好きだから、と好きなものを選ぶ眩しさ。

どうもどうも、インフルも風邪も治って、昨日は三週間ぶりぐらいにナマ肉である寿司を食いました。うまかったです。

今日も調子こいて牛肉買って焼き肉したら、安い肉だったせいかちっともおいしくなかったので、芋を食べ飽きた火星の人のモノマネしながら食べてました。

 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

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■映画の話。

マッサージの人と、趣味の話になりまして。

「オデッセイ見たいんですよ」と言われたので「あ、見ましたよ」と返したら「羨ましい。早く見たいんですけどね。私は明日、あぶない刑事を見に行きます」と打ち返されて、なんか負けた気がした。

あぶない刑事 [Blu-ray]

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いや、別にそんなにあぶない刑事を見たい気持ちはないんですけどね。

「本当に好きなものを選んでる」感が眩しい。

 

■そういえば、以前も。

ゲーム原作の映画を見に行って、自分は「ゲーム原作だけど、どのぐらい再現してるのか。どのぐらいゲーム知らない人向けになってるのか」と穿った見方をしてしまったのですが、一緒に見に行った人は素直に「あのシーンすごかった。ゲームはやらないですけど、面白かったですね」と感想を述べていて、その時も眩しく思った。

 

ゲーム原作でも、例えば、バイオハザードに対して、そんな穿った見方はしなかったんですよね。普通に楽しみにして見たし、楽しんで見た。

バイオハザード [DVD]

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別にハリウッドだから、ってワケじゃない、とその時は思ったんですけどね。

改めて「もし、邦画だったら同じ見方をしただろうか」って思うとちょっと苦しいです。

 

邦画=予算少ない=しょっぱい脚本=格下。

みたいな先入観が自分の中に出来上がってしまっているんですよ。

これはね、映画好きとしてはダメですよ。

良くない、とか、褒められない、とかじゃなく、ダメ。ホントにダメ。

 

先入観はもちろんある。あるけど、映画を見る時は、それは脇に置いといて、見ないと作品に対して失礼だと思う。

 

■もちろん、そうできないこともある。

例えば、10本映画を見て、10本とも「作った奴は地獄に落ちろ!」ってぐらい趣味に合わない内容だったとする。

そんで、その10本が全部同じ監督が作ってました、みたいな状態だった時には、「あ、この監督と合わんのだな」と思ってしまいますよね。

それは、別にいいと思うんですよ。

 

■自分の場合は「邦画」ですからね。

これは良くない。だって、邦画って幅広いですからね。

TSUTAYAを店舗まるごと制覇とかしない限り、「邦画はさー」って語る資格はないと思う。いや、資格が必要なのかどうかは分かんないけど。

 

■そういえば、今日の焼き肉も。

今日食った焼き肉も、安い牛肉を買ったんですけどね。

いつもは、牛肉なんて買わないんですよ、あんまり好みじゃないので。いつもは豚肉や鶏肉で焼き肉してるんです、その方が好きなんでね。

でも、今日はせっかくだし、と牛肉を選んでしまって、失敗ですよ。

最初から、好きなものをちゃんと選んでおけばよかったのにね。

誰に対して見栄を張ってるのか。

 

そう、映画にしても、肉にしても、よくわかんない見栄なんですよね。

「俺は分かってるんだぜ」みたいな。

分かってないんですけどね!

分かってるアピールはしていきたい!

誰に!?

誰かに!

「かまやん素敵!」って言ってくれる女子が現れるまで!

 

「そんなこと言ってるから、無理なんじゃね?」

 

知ってる!

半径30mの幸福。

世界がどうとか、社会がどうとか、というのはピンとこない。

 

先日、年配の男性に「世の中変えてよ」と冗談めかして言われた時に思った。

 

半径30mという数値にはあまり根拠はない。

ただ、そのぐらいなら、幸福に出来るのではないか、と思ってる。

 

職場で言えば、自分がいる部署。

取引先の窓口の人、ぐらいまでかな。取引先の会ったこともないエライ人とかのことは知らん。

 

住んでる場所でいえばお隣のお隣さんぐらいまで。

(一軒あたりが広いのでね)

そのぐらいであれば、会った時に挨拶ぐらいはするし、軽い愛想も使う。

 

もちろん、自分が移動すれば、その移動した先でも半径30mなので、周りに誰かがいるなら、その誰かが幸福であれば、と思っている。

 

お店で食事をすれば、お店のスタッフや周りのテーブルの人も幸福であってくれたら、と思う。

歩いていて、荷物に潰されそうな人を見つければ、声をかけて手伝うこともある。

 

でも、例えば、北海道で支援を求めてる人がいる、と言われてもピンとこない。

同情はするけど、何か行動をしよう、とまでは思わない。

よくやっても、せいぜい寄付金を送る、とかその程度だろう。

だから、遠くで災害が起きた時にボランティアで駆けつけるー、みたいなのはあまりピンとこない。

 

半径30m。

このぐらいなら幸福に出来そうだと思うけど、現在できてるか、と言われれば答えはNOだ。

だから、がんばろう、と思う。

 

社会とか世の中とか、そういうのは、なんかもっとスケールの大きい人に任せる。

 

オデッセイを見て勇気づけられた話。

 ネタバレしまくりなので、見たくない人は回れ右推奨。

 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

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 画像ほしくてamazon調べたら原作小説を発見したので、今度買って読みます。

っていうか、なんで映画公開されてるぐらいなのにKindle版がないの?

 

火星の人

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 嘘。ありました。早速ポチったー。

 

■あらすじ。

火星探査チームが想定外の嵐に巻き込まれて緊急脱出をする途中で、隊員のマークが破片にあたって嵐の中に消えていっちゃって、生存信号も拾えなくなったので置いていったら、実は生きてて、マークは救助が来るまでの長い期間を火星で生き残ることを決意するよ。

 

■徹頭徹尾、科学サバイバル。

文学的なセンチメンタリズムとかは、ほとんどない。

問題を見つけては、科学的に取り組んで解決法を探して挑戦して失敗して、計画を練りなおして再度挑戦する。

「家族の絆」とか「愛」とか「思いやり」なんてのはカケラもない。

ひたすら生きるために生きる。

火星でフリーズドライになって死にたくないから生きるしかない。

 

それが個人的には良かった。

 

■マークは孤独だ。火星だけでなく、おそらく地球でも。

脱出した火星探査チームのメンバーもマークの生存を知ったあとで「命をかけてマークを助けよう」ってなるんですけど、それぞれ家族とビデオ電話とかしてるんですよ。

「パパだよー」「ママだよー」みたいなやつ。

でも、マークの家族は劇中、一度も出てきてない。

マークも家族の名を口にしないし、友人、知人の名前すら口にしない。

探査チームが残した生活用品をサバイバルで消費する時にはメンバーの名を口にして「悪く思うなよ」みたいなことを言ったりするけど、プライベートで親しそうな感じがあまりしない。

あくまでチーム仲間。職場の同僚。

 

唯一、マークが死を覚悟した時に「両親には」という話をするけど、肝心の両親との関係が分かる話は一切なし。

ただ、「この仕事が好きだし、生涯をかけられて幸せだった、と伝えてほしい」とだけ続ける。

その内容は、両親に伝える役目であるリーダーをかばっていた。

両親ではなく。

 

■最後、地球に戻ってきたマークは、やはり一人だ。

過酷なサバイバルを生き抜いた人として、宇宙飛行士候補生からは憧れの眼差しを送られている。

けれど、隣には誰もおらず、一人でコーヒーを飲み、地面から出た双葉を愛でる。

彼は地球でも一人だ。

 

そして、最後に候補生に講習をするシーンがある。

「生きるために生きろ。死にたくないならそうするしかない」と。

 

■おそらくマークだからこそ生き延びられた。

彼は最初から孤独だ。だから孤独が苦にならない。

火星に一人ぼっちで、宇宙服を着て外に出て、生き残るための活動をして、たまに失敗して、宇宙服が壊れたりして、「酸素残量が5%以下です」みたいな状況になったとしても慌てず冷静に対処をする。

淡々と毎日いきるための作業をして、いきるために食事をし、いきるために歌い、いきるために踊る。

 

おそらく地球でも同じ生活だったのだろう。

 

もしマークの宇宙服の酸素が0%になったとして、死ぬことが確定した時、マークは後悔するだろうか。

失敗したことは後悔するかもしれないけれど、挑戦し続けたことには満足して死ぬ気がする。

 

それはマークの生き物としての強さだ。

孤独の強さだ。

 

■オデッセイを見て、勇気づけられた。

一人でいることは弱いことではないのだ、と。

まあ、社会的には良くないことかもしれないけれど、そんなことは知ったことではない。

 

明日から自分も地球一日目の気分でがんばろうと思った。

 

インフルエンザでダウンしてた。

7日間の隔離。

明日から外出オッケーになるけど、治ってる気が微妙にしない。

咳は出るし、喉は痛い。

 

色んな人から「働き過ぎじゃね?」と言われたけど、あんま自覚なし。

睡眠と食事はちゃんと取ってるからなあ。

仕事中に適度にメシ食って、家帰って風呂入って寝る。

家族持ちなら、ほかにもしなきゃいけないことがあるんだろうけど、独身なので問題なし。

明日からまたそんな生活に戻る。

ちょっと考えることもあるけど、でもまあ、もうしばらくはこの暮らしだろうな。

 

■映画を見た。

老人男性が生涯をかけて集めた財宝を美女と若造に騙されて全部奪われる映画を見た。

登場人物の内、老人男性以外、全員がグル。

老人男性が生涯で初めて愛した美女も当然ながら、老人男性が恋愛相談を持ちかけていた若造もグル、老人男性が長年一緒に仕事をしてきていた仲間もグル。

美女と相思相愛となり、老人男性が人間らしい気持ちを取り戻して「君たちはみんな私の家族だ」と言った相手全員がグル。

 

強烈な映画で、しばらくショックを受けていた。

今も少しある。

 

■どう抵抗しようにも。

自分が同じことをされたら、騙されると思う。

最初から一人なら悩まないけど、近づいてこられたり離れたりを繰り返されると悩む。

一人じゃない時があるから悩む。

そして、最後には全部奪われてしまう。

 

落ち着いて考えれば、自分にそんな良い話が舞い込むわけはない、と分かる。

悪いことをしなくても、悪いことはやってくる。

でも、良いことをしなければ、良いことはやってこない。

良いことなんてしていない。だから、悪いことしかやってこない。

 

忘れないようにしておかないと。

この先、悪いことしかないのだ。その上で生きていくしかない。

もう、それはそういうものなのだから。

 

とりあえず喉が痛いので、もう寝る。