そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

Audibleで落語「代書屋」を聞いたこと。

今さらですが、Audibleです。
amazonのサービスで「本を音読したものを配信する」みたいなサービスでして、『目を疲れさせたくない』みたいな人にはうってつけのサービスです。

そんな中に落語があります。
といっても、落語の台本を声優さんが音読といったトンチンカンなものではなく、落語CDをそのまま配信してるんです。

これが結構ありがたい。

「本を音読」というサービスコンセプトに近いこともあって、配信数も結構多いです。
どのぐらいあるかっていうと、今「落語・講談」で絞り込んでみたところ、1ページに24作品紹介されてまして、それが14ページまであるようです。
だから、計算するってーと、、、まあ、配信数も結構多いです。

私が聞いた「代書屋」は、立川談志さんが演じたものでした。
といっても、立川談志さんは、すでに亡くなっておりますので、昔の講演を収録したものです。最近流行りの初音ミクみたいなシロモノではありませんので、そこはご安心を。
あのべらんめぇ口調を機械音声で調整する、となると、墓から本人引っ張り出してきた方が簡単でしょうねえ。

そういや、数年前に『鬼武者』というテレビゲームがありまして、その作中で、若かりし頃の松田優作さんをそっくり再現してみせた、ってのがありましたが、未だに、あれで誰が喜んだのかナゾのままです。だって、買う客の大半は若者ですから、松田優作さんなんて知りもしないんですよ。
若い人には「松田龍平さんのお父さん」と言った方が馴染みがあるでしょうね。馴染みがあるったって松田龍平ファンでも「そりゃいいや。買おう」と言う人は、なかなかいないと思いますが。

さて、代書屋の話です。
有名な話ですので、知ってる方もいるでしょうけど、代書屋というのは、今でいう行政書士みたいなもんです。
とはいえ、昔の話ですんで、今ほど役所書類が多かったわけじゃございません。
役所書類ばかりでなく、個人的な手紙や、中には遺言書なんてのも依頼する方がいたそうです。その遺言書を書いてもらった方は、中身をどうやって確認するんでしょうね。

「頼んでんだから、間違いのねえようにしてくれるに違いない」という信頼の絆なんて言うと良く聞こえますが、要するに、投げっぱなしのヤケッパチで頼むしかなかった。そういう時代だったんでしょう。

落語の代書屋は、そんな代書屋の元に「仕事見つけてえから履歴書をくれ。ひとつでいい」と男がやってくる所から話が始まります。

履歴書を「ひとつ」と数えるぐらいなもんで、この男は履歴書がどういうものか知らない。

「三丁目んとこの親方に言ったらリレキショもってこい、って言うもんで。ここで売ってるんだろ?」
溜息をつきながら代書屋が「じゃあ、まず名前は?」と尋ねると「親方の?」と返される。

といったトンチンカンなやり取りが面白い話です。

よろしければ、聞いてみてください。
当時の講演も、今となっては、ずいぶん古い話ですんで、枕話からして興味深いかと思います。

 

代書屋

代書屋

 

 

髪の短い女の子。

とある村の写真を見ていたら、えらく髪が短い子ばかりなことに気づいた。

男だけでなく女もだ。

無精した野球部みたいな短さ、丸坊主を3か月ほっといた、みたいな。

 

なんでだろう、と考えてみて気が付いた。

 

長い髪を衛生的に手入れできないんだ。

 

同い年の子がオシャレして売春宿に入り、ステロイドを飲まされて客をとってる中で、NGOの保護を受けたこの子たちは、ラッキーだったのだろう。

 

それでもラクをしてるわけではないんだな、としみじみ思った。

頑張って生きてほしいもんだ。

 

近所を広げる

昔、自転車で200kmほど走ったことがある。

実家-大阪間だ。

死にそうな思いもしたけど、終わってみれば「あ、近い」と感じるようになった。

 

最近は都内近郊の自宅から、兵庫の実家まで車でバーッと走って帰ってしまえるのだから、人は成長するものだな、としみじみ感じる。

んで、やっぱりこれももう「近い」と感じる距離になってしまった。

 

でも、昔、飛行機で東京に来た時や、沖縄に行った時には、そうは思わなかった。

飛び地のような感覚で「慣れた土地だけど、つながってない」。

 

自分の中で、それをつなげるのは、自分の自由が利く方法で移動できた時だと思う。

徒歩、自転車、車などなど。

電車だと何度通ってても、やっぱりつながった気にならない。

 

車を手に入れた時は、これで首都圏もばっちりだ!と思ったけど、都内は車だと渋滞で死ねる。

というわけで、これからは自転車で開拓せねばなー。

どうやって自己肯定感をアゲアゲするのか。

自己肯定感について解説してる記事を見かけました。
コメントに「だから、どうやってあげるんだよ」とついてたので、自分なりのやり方をつらつらと書いてみます。


■自分をほめる、って難しい。

「さあ、自分を褒めましょう! 生きてておめでとう、自分! ハッピーバースエブリデイ自分!」

なんかのコントか?ってなりませんか。
私はなります。

「一生懸命頑張った私にご褒美を」というキャッチコピーがそこら中にあふれてますが、それですら「で、結果だしてんの?」と冷笑で迎えられる世間様です。

謙遜が美徳とされる日本で、自分を褒めるの、って『世間の波に逆らうこと』なので、かなり難しいんです。


■なので、他人を褒めよう。

「今日は残業をがんばったんですね。投げ出さない姿勢、私はすごいと思います」
「上司に嫌なことを言われても、言い返さずに我慢されたんですね。私はすごいと思います」
「恋人に理不尽に怒られても、優しく振舞った許したんですね。私はすごいと思います」
「友だちに裏切られたのに、許そうとして悩まれてるんですね。私はすごいと思います」
「そんなに辛い体験に耐えて、今日まで生きてこられたんですね。私はすごいと思います」

他人を褒めるポイントはたくさんあります。


■褒められない、という人もいる。

「いやいや、その程度のこと、○○の方がきついし、大したことじゃないよ」という意見もあると思います。

ところで例えばですけど、野口英世石田三成。どっちが苦労したんでしょうか。

数々の差別を受けて心労からアル中になりながらも医療を続けた野口英世と、忠義を尽くして奔走したのに周りに理解されず罪人として処刑された石田三成

どっちも苦労してますよね。

私とウサインボルトさんが、絵を描いたらどっちが多く疲れるでしょうか。
比べられないですよね。

苦労はその人のものなので、誰かと比べる必要はないんです。


■他人褒めたらどうなんの?

他人の文句を言ってしまった後で「あー、これ、自分にも当てはまるな」と自己嫌悪に陥ったことないでしょうか。

ちょっと抽象的な表現をしますが『意思』は『言葉』になった時点で、意思から切り離された存在になるので、客観的にそれを見ることが出来ます。

寝る前に書いたポエムを朝になって見ると破り捨てたくなるアレです。
書いてる間は『意思』なんです。
書き終わってしばらく経つと『言葉』として客観的に映るようになります。

なので、他人を褒めることは「○○をするのはすごいことだ」と自分で基準を定めることになります。
ということは、自分も「○○」をすれば、自分自身をすごいと認めることになります。


■ただし、誉め言葉は本心から。

うわっつらだけ撫でたような褒め方はダメです。
「部長、ナイスショット!」みたいなのはやめましょう。

エヴァの話をするとですね。
最初の方で、操縦がうまくできなくて、結果的にエヴァが暴走して敵を倒して、何の達成感も得られず、しょんぼりしてたシンジ君に、ミサトさんが高台から街を見せて「あなたが守った街よ。誇りを持ちなさい」って言うシーンがあるじゃないですか。

人は、何かを守りながら生きている生き物です。

それは家族かもしれないし、会社かもしれないし、友人かもしれないです。
本人は「自分の生活を守っているだけ」と思っているかもしれませんが、それは同時に、他人の社会生活を守ることにも繋がっています。

誰かが一日生きることは、他の誰かを一日守っているのです。

「あなたが守った社会よ。誇りを持ちなさい」と言ってみませんか。



■それでも難しいと言う方へ。

この記事をここまで読んだのは、あなた自身のためでしょうか。
それとも誰かのためでしょうか。
なんとなく好奇心でしょうか。

誰かのため、と答えたあなたは、思いやりのある方です。
自分のため、と答えたあなたは、向上心のある方です。
好奇心を答えたあなたは、勉強意欲のある方です。

みなさん、素晴らしい!


といったオチをつけた私もまた、素晴らしい。てへへ。

人は人!

自分が若いころってどうだったかなー、と思いだしてみた。

 

高校ぐらいの頃に、初めて大阪に一人で行って、大阪駅から降りて、地図を見ながら堂島あたりのイベント会場まで歩いて行った。

たったそれだけで「都会、ちょろいな!」と思った。

 

大学行く意味なんて最初から分からんかったし、カプコンでゲーム作って秘書連れて大阪で高級車乗り回して、ファミ通の巻頭でロクロを回してる未来像しかなかった。

だから専門学校行って「ゲーム性っていうのは」とか毎日語ってた。

 

ほんと、あの頃、SNSが無くてよかった。本当によかった。

 

専門学校で運よく優秀な先輩を捕まえることが出来て、学校の中を世界のすべてにして、毎日楽しめたのは、本当に運が良かった。

教師から体よく頼まれた雑用をこなす待ち時間に、友だちと一緒に缶コーヒーを飲んでる毎日の時間が、高校まででちっとも育たなかった自分の自尊心を育んでくれたと、今なら分かる。

 

ただ、専門学校には居場所がない人もいた。

そういう人は、同じクラスにもいて、遅刻の常習犯で、学校に来てもつまらなさそうにしていた。

周りの人たちから「学費がもったいない」と怒られてたし、自分も同感だった。

今なら、そのアプローチは違うとわかる。

 

かけるべき声は、「何もない」だ。

ただ、隣にいて、話し始めるのを待つ。話し始めたらじっと聞く。

うんうん頷いて、具体的なことを深掘りして「それいいね」と心から同意すること。

それが自分の世界を深掘りしてくれると今は分かる。

 

もったいなかったな、と思う。

話したところで友だちになれなかったかもしれないけど、分かろうともしなかったことが、本当にもったいないと思う。

 

そんな風に、できなかったことの記憶が自分にはたくさんある。

少しだけ、できたこともあるので、毎朝、太陽向いて歩いていけてるけど。

 

自分はあまり自分からあれやるこれやると始めるタイプではない。

なので、他人の話を聞きたい。他人の話を通じて、自分の世界を深くしたい。

 

まあ、酒入ってると説教おじさんになるけど、年のせいなので、勘弁してほしい。

最近はシラフでいるようにしてます。

人というシステム

詳細な説明はこちら。

精神療法3 (家族療法とシステムズ・アプローチ)


平たくいえば「人が病んだ行動をするとき、疑うべきは当人ではなく環境である」という考え方です。

例えば「入社後、半年以内の離職率」が7割を超える企業があったとすれば、たいてい「その会社がおかしいのでは?」と疑いますよね。

けれど、家族や職場で、たった一人だけが何か病んだ行動をとった場合、なぜか「あの人に原因があるのでは」と考えられてしまう。
そういうケースが多いように思います。

「上司AがBさんを叱責しているのを聞いていたCさんが貧血で倒れた」となると、「Cさんちょっと気弱すぎるのでは」と判断されやすい。
なので、助言が「気にするな」「心を強く持て」「貧血予防にほうれん草を」「イヤホンしたらどうだろう」などなどが並びます。

でも「メシ食いに入ったラーメン屋で、店長がバイトを怒鳴ってた」とかだと、メシまずくなりますよね。「気にしなきゃいいのに」と言われても、私は無理です。
気になるもんは気になるし、それを「気にしない性格になればいい」と言われても、なりたくありません。

この性格のままで生きていきたいのです、私も、そして誰しも。


巷のビジネス本には「周りを変えようと思うな、自分が変われ」なんて言葉が並んでいます。それはそれで、当人の心構えとしては立派だと思います。
けれど、一つの面だけ見て、個人の特性を「これはいる」「不要」と取捨選択してしまうのは、生き方として雑です。

では、ありのままに生きるにはどうすればいいのか。
自分自身がシステムの一部となって、システム全体を変えていくのです。

具体的には「怒鳴るのやめてもらえませんか?」とお願いするとかね。これなら性格を変えなくても、お願いの仕方(スキル)を覚えればいいだけです。


山にこもって滝に打たれて修行しなくたって『楽しい毎日』は作れるはずなんです。

たぶんね。

知らんけど。

保護と略奪の違いについて。

ナコルルが強すぎてムカつく人たちによるアイヌヘイトスピーチ - はてこはときどき外に出る

アイヌと差別」がいつ頃の話なのか知らん人は多い気がする。ちなみに『北海道旧土人保護法』が廃止されたのは1997年。ほんの20年ほど前まで民族侮辱としか思えないこの法律が存在してました。

2016/09/07 16:05


「北海道旧土人保護法」が出来たのは明治32年。

大日本帝国憲法が発布されたのが明治22年なので、日本が欧米列強と並ぶべくモリモリと富国強兵に勤しんでいた頃だ。

そんな頃に、この保護法は出来た。

なぜできたのか。

本州からの北海道移民が急増したので「和人(本州の人間)がアイヌ民を騙して土地や資産を奪い取らぬように、日本国が保護する」という名目だそうだ。

 

ちなみに『土人』という言葉は、現在でこそ差別用語であるが、当時は「地元民」ぐらいの軽い感覚で使われていた。つまり、「本州から来た新土人」と「元からいた旧土人」という意味なので、差別的な意味は当時はなかった、という説がある。

ただ、人を指して『旧』って呼ぶのは、どうなんですかね。

『原土人』じゃダメだったんでしょうか。教えて漱石先生!

 

本題に戻る。

 

保護法前のアイヌ民族には日本戸籍がなかった。

そして、北海道の土地は日本のものであった。つまり、アイヌ人が何を言おうと、日本国が「この土地は誰々のものである」と権利書を発行して権利所有者が銃をぶっぱなせば、アイヌの人たちは追い出されたのだ。

ここまでむちゃくちゃなやり口は少なかったと思う(信じたい)けれど、アイヌの漁場だった場所にニシン御殿がどかどか建ってるのを見ると、色々考えさせられます。

 

ちなみに条文については、北海道の公式サイトに載ってます。 

北海道旧土人保護法 | 環境生活部アイヌ政策推進室

 

見出しだけ拾ってみます。

[土地の無償交付]

[所有権の制限]

[没収]

[保護施設]

[費用の負担]

[共有財産の管理]

 

この法律が一部で「アイヌ利権だ」と言われているのは、主に「土地の無償交付」と「保護施設」の条文があるからです。

タダで土地と家が入るんだから、ええ思いしとるやないか、と。

 

ただ、上記サイトにもある通り、価値の高い土地は和人が所有し、価値のない土地、あるいは開拓の難しい土地をアイヌ民族に与えられました。

その規模、最大で15000坪です。ピンとこない方には東京ドーム(建築面積14000坪)一つ分ぐらいだと思ってください。直径約250m。

その規模の土地が、1世帯に与えられました。わー、広い広いー。

ただし、15年間で「開拓できてない」とみなされた場合は没収されます。うわぁ、広い広い!

さらに、それを開拓するアイヌ民族のモットーは『森と共に生きる』です。

 

まあ、アイヌの自然崇拝の象徴である森を自分たちで破壊せよ、という踏み絵だったんでしょうなあ。モチベーションも上がらず、開拓技術もないので、大半は二束三文で和民に貸し付けたそうです。

そして、「保護施設」は単なるアパルトヘイト

所有権や財産は、必要だったら北海道知事に相談してね、という内容です。

そんなに暇なのか、北海道知事!(暇じゃないので無視された)

 

だから、物を持ちたくても、子に財産を残したくても残せなかったんです。

ただ暮らし、ただ子を産んで、ただ生きて、ただ死ぬ。

違う民族同士、一緒に暮らすための政策とされてきましたが、実際はただ、自由に生きる権利と自由に死ぬ権利を奪っただけです。

 

この手の「保護」と名乗る「略奪」が自分は大嫌いです。

 

最後に。

今回の話題となったナコルルが初めて登場したサムライスピリッツがゲームセンターに登場したのは1993年です。

キャラクターデザイナーが「ぜひアイヌの女性を!」と込めた情熱がプレイヤーにも通じたのか、人気キャラクターとなり、一時は、三鷹市の水道部および年金課のポスターにも採用されて、ポスターの盗難事件なども起こりました。

 

ナコルルに現実のアイヌ民族の方々が抗議したかどうかは分かりません。

でも、当時のSNKアイヌ民族の方が抗議すれば、ナコルルはとっくにいなくなってると思うんですよね。清楚なイメージの民族衣装なんて、アジア一円だけでも山ほどありますので。

今でもゲームのキャラクターとしてナコルルがファンから愛されている、ということは、アイヌの人たちも認めてくれてるんじゃないかなー、そうであったら嬉しいなあ、とゲームファンの一人として思います。

 

そして、ナコルルも異世界チームとして登場する『SNKのお祭りゲーム!』ことキングオブファイターズの最新作はこちらです!


こないだちょっと触りましたけど、かなり楽しかったです。 

THE KING OF FIGHTERS XIV

THE KING OF FIGHTERS XIV