そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

五体満足でいられること。

 
「いつ死んだっていいんだ」
 
それはそれで死生観というか生き様なので、良いと思うのだけれど、どうにも話を聞くにそこまで考えてないというか、単に思いつきで物言ってるだけだなあ、という気がする。
 
いつ死んだっていい。
 
そう言われても、人は基本的に死ぬ時を選べない。
もちろん銃で頭ぶっとばしたり、天然トラフグにかぶりついたりすれば、いつでもどこでも死ぬことができるけれど、そういう意味ではなく。
 
例えば、心臓が停止したとする。今この瞬間、たった今。
そのまま止まり続けてくれればもちろん死ぬ。ぽっくりと。
 
でも、再び目を覚ますこと、ってのがある。
突然止まったんだから、突然動き出すことだってある。そりゃそうだ。
 
では、目が覚めた時、心臓が止まる前と同じように五体満足でいられるか、というとこれは誰も保証してくれない。
 
半身不随になることもあるだろうし、頭しか動かせないとか、乙一の小説のように五感全てをゆっくりと失っていく、ということもあるだろう。
 
「203号室の患者さん、漫画がお好きみたいだから、読み聞かせしてあげると目だけで笑うのよ」
なんて看護師の会話をお礼も言えない体で聞くことになる日がくるかもしれない。
 
いつ五体を失ってもいい。
 
そう言える人だけが「いつ死んでもいい」と言えるんじゃないのかな。
自分は嫌だ。五体満足であと3世紀ぐらいは生きたい。というわけで、はやくサイボーグ技術をだな。
 
■また、ナントカの法則ではないけれども。
 
得てして、世の中、一番やってきてほしくないタイミングで、一番やってきてほしくないものがやってくるものなので。
 
中二病だか、仕事病だかしんないけど、あまりうかつなことを言うとホントにそうなった時に、とても後悔することになりますよ。
 
と、言いたい。