そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

無遅刻運動。

中学校の頃、「無遅刻運動」というものがあった。

「全校生徒で一致団結して、遅刻をなくそう。連続無遅刻記録を延ばそう」という活動で、今でもググれば、いくつか中学校の名前が出てくるので、その界隈では、よくある話なのだろう。

 

ちなみに、自分の頃は、遅刻をした場合は、全校集会で壇上に上がり、全員に向かって「遅刻をしてごめんなさい」と謝らねばならない、という強烈な罰則付きだった。

 

最初は順調に連続無遅刻記録は延びた。

100日が過ぎ、200日が過ぎた頃、学校にクレームが入った。

「中学生が踏切の遮断機をくぐっていく。それも大勢が!」

 

全校集会が開かれて校長が説教を始めた。

「遮断機をくぐるのは危険なので絶対にやらないように」

その後、ホームルームで生徒から文句が出た。

「だって、間に合わないし」

その文句は、教師が「五分早く家を出れば済む話だ」と封殺した。

 

30分に1本しかこない朝の電車に乗って通学している生徒も混じっていたが、誰も反論しなかった。できなかった。

 

それからは踏切の遮断機をくぐる者は現れず、落ち着いたかに見えた。

 

ところが、雪が積もったある日、40人クラスの内、10人ぐらいが『体調不良』といって休んだ。それがどの教室でも起きた。

雪が降ればバスなり電車なりは遅れる、それは当たり前だ。

雪国において「雪が降って遅刻」なんて大人だって早々叱られる話ではない。

でも、雪深い地域に住んでた全員が『体調不良』で休んだ。

学校中が騒然としたけれど、教師達から特に説明はなかった。

 

それから数日して無遅刻運動は「みんな遅刻をしなくなったので、この運動の目標は達成しました」として、あっさりなくなった。

 

■というお話。

裏話はないし、「その後聞いた話ではー」という追記もない。

 

■人を車ではねてしまったら。

「文句が言えないようにとどめを刺せ」という話がある。

 

失敗は罪ではないけれど。

ルールにおける罪と罰のバランスを間違えると、本当にそれが『一番お得』になってしまう。

 

ルールは、構造上の問題が解決できない期間限定で取り決めて、

構造上の問題が解決できたと同時に、ルールも無くす。

そういう風に慎重に作るものだと思ってる。

 

日本の製品はとても精密に作られているので、数万個に一個とか、数十万個に一個みたいな割合でしか不良品が出ない、と言う。

でも、それでも不良品は発生するのだ。

「不良品を無くそう」とした時、発生した不良品はどこに行くのだろうか。

 

■人の良心は。

無限のエネルギーを持っている。

「私がやらねば」「良かれと思って」「みんなのために」

その為に、命まで削る人々が世の中にはたくさんいる。

 

だからこそ、怖いのだ。

良心は良い心であるが、エネルギーはただのエネルギーだ。

強大であればあるほど、そのコントロールは慎重に行わねばならない。