そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

串揚げを食べた話

■死んだ目をして仕事するおじさん

ちょっと毎日に飽きていた。

今やってる仕事は、運用フォローや改善なのだけど、技術的負債やノウハウ負債が多くて、平たく言えば「マイナスをゼロにする仕事」が多くて、あまりカタルシスが感じられなかった。

休日も、昨今の自粛ムードで、あまり外出は出来ず、大きなスーパーに行ったりショッピングモールに行ったりということも避けていて、げんなりモード。

それなら映画館でも、と思うも、近場の映画館では絶賛ジブリシリーズ放映中。実はそんなにジブリ好きちゃうねん。

つまり、毎日に飽きていた。

 

■そこで串揚げである。

奥さんが「なんかこういう食べ物系の変わったやつ好きやん?」とオススメしてくれた。良い奥さんである。

とはいえ、自分の中の『串揚げ』のイメージは、学生時代に行った「串家物語」で止まっており、そんなに美味しくないんだよなあ(自分で揚げるので自分の調理スキルが味に反映される)、としょんもりしていた。

強く否定することも出来ず、とりあえず行くことになった。

 

■串揚げ、楽しくておいしい。

繁華街のメインストリートから一本外れた通りにあるちょっと上品なお店で、店内も清掃が行き届いていてきれいだった。

「おまかせ」で、全33品を順番に持ってきてもらった。(奥さんは途中でストップ)

野菜や魚介が意外ある組み合わせや、変わった揚げ方をしていて、珍しい上においしかった。

「一本食べるごとに目に生気が戻ってきている」とは奥さんのコメント。

そんなに死んでいたか、目。

 

■次回は、牡蠣小屋か。

「次は何をしたいか」と尋ねられたので、牡蠣小屋と答えた。

網焼きで、牡蠣を並べて焼いて食うのである。ワイルド。

はまぐりやサザエも焼けるそうで、楽しそうだ。

 

自分は変わったものを食べることが好きなんだなあ、と改めて感じた最近の出来事です。

SNS運用のノルマに『フォロワー数』は必要か

ちょっと気になったので、書く。

内容については、どっちが良い悪いってのは、外野からはわかんないので、さておく。

 

自分が気になったのは「フォロワー数のノルマ」という点。

 

・フォロワー数って、野次馬とファンと信者の合計数だから当てにならんよ。

・信者の数は、イイネやRT数やリプなどのリアクションの数で分かるよ。

・ノルマを設定するなら「週あたりの投稿数」だけにして、その上で、品質評価を「リアクションの数」で図るのが妥当だと思うよ。

・投稿を続けて、品質をあげていった結果としてフォロワー数が増えていくのが理想であって、フォロワー数だけをノルマにすると「フォロワーを金で買う」が最適解になるよ。

・フォロワー数は10万だけど、ツイートにイイネが毎回50しかつかない。そして関係スタッフも50人だ。不思議な偶然ってあるんだね、みたいな運用状況になりたいですか。

 

言いたいことは以上です。

 

あとは蛇足。

 

インフルエンサーがテレビに出演する際「TwitterInstagramFacebookのフォロワー合計1千万人!」みたいなキャッチがつく。

んなもん、同じ人が3媒体をフォローしてんだから実質3分の1やろ、と思うけど、アレがまかり通る程度には『フォロワー』という数字は世間への説得力を持っているのだと思う。

彼らに宣伝を依頼する時の広告料だって、フォロワー数を加味して計算される。

 

だから、SNSを運用する際に「フォロワー数を増やすことを目的としましょう」とするのは正しい、、、だろうか。

自分は正しくないと思う。

 

SNSでアカウントを作って日々、ちょこちょこと投稿して増やしたいのは、ファンだけではない。どちらかといえば信者を増やしたい。

 

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イメージとしてはこんな感じ。

中央を投稿する本人として。

ファンはすぐ増えるけど、すぐ離れる。

信者はなかなか増えないけど、なかなか離れない。

(ホントは、ファンは、『野次馬』と『ファン』に分けられるけど、分けると『野次馬』はめっちゃ怒るので、ひとまとまりで『ファン』と呼称する)

 

SNS運用で増やしたいのは信者です。

信者は本人が「怪しいツボ買って」といえば買ってくれるし、「信じて」といえば信じてくれます。ドキンちゃんを前にしたバイキンマン並の理性です。

ファンは「そんなこと言う人とは思いませんでした。ファンやめます」と去っていきます。

 

信者は『本人』に好意を持っているので、本人に認知されたいし、本人からの反応を欲しがります。(「認知されたくない」というタイプもいるけど、そのタイプはデータ上ではファンと区別つかないのでスルーすることが多いです)

だから、RTやイイネをしてくれたり、リプライをくれます。何かしらのリアクションをくれます。

 

そのリアクションこそが「愛されているアカウント」の証明ではなかろうか。

食える野草図鑑の前向きさ

「食える野草図鑑」みたいな本を子どもの頃に読んだんですよ。

『サバイバルでも生き残れるやつ』みたいなのに憧れてて、だったらそのへんの草を食うのは基本だろう、と思いまして。

結論からいうと、無理でした。

『食える』と『おいしい』の間には、大きな超えられない壁があって、自分がいかに贅沢なおいしさに囲まれてぬくぬくと育ってきたのかを思い知らされただけでした。

大自然コワイ。

 

ちなみに、図鑑の野草は、大半が「食べ方:天ぷらにすれば美味」とだけ書いてありました。

生はダメなんだ、加熱しただけでもダメ、天ぷらにしてようやく美味。そして、きっとここで言う『美味』は、一般的評価の美味とは違うんだろうな、と察するわけです。学者然としたヒゲモジャのおじさんはうまいうまいと食うんだけど、周りの人は閉口してる、みたいな光景が容易に想像できる。いや、著者がヒゲモジャのおじさんなのかは知らないですけども。

 

うまいの反対はマズいですけど、そこを「食える」と拾い上げるのは前向きだと思います。しかも拾うために天ぷらという手間を加えてる。

 

好きでないものを嫌わないための努力って、自分は好きなんですよね。

 

もちろん、努力なので、めんどくせえや、で投げちゃってもいいんですけどね。

テラスハウスを見て削られる時

メシ時にNetflixテラスハウスを見てます。

 

もともと他人の恋愛は「うまいこといくといいねー、しらんけど」ぐらいの温度感で見るようにしてます。特にテラスハウスなんて基本、若い人たちが参加してワイワイしてるので、親近感わかない。

ただ、テラスハウスは仕事してたり、生活してたりする面も見れるので、キャラクターとストーリーとして楽しんでいます。

 

ただ、見ていて削られる瞬間というのがある。

それは喧嘩してたり、デートに失敗したり、っていうのも多少はあるんだけど、圧倒的にキツイのは6人で暮らしてるのに孤独を味わっているであろう瞬間のシーン。ほかのメンバーとうまくいかない、5対1の構図になってるみたいな時。

 

そういう時は、その人というより、孤独に共感してしまってかなり削られる。

他人が恥をかくシーンを見て恥ずかしくなる、みたいな感じで、孤独を感じるシーンを見て孤独を感じる。

 

本人的には精一杯やってるんだけど、周りが壁で覆われてどこへも行けなくなってしまう感覚。しかも、それが自業自得だったりすると、その孤独を客観視して「それは君、しゃあないで」とバッサリ斬る自分もいたりして。一人で孤独を感じて、一人で斬って斬られて、なんなのラストサムライなの。

 

あと、全然関係ないけど、「外出時はマスク必須」って言われて、思いだしたのがコレです。

 

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ひめさまー!!!

マスクを!マスクをしてくだされー!!

自宅でつかってる机

自分は、リモート作業環境を良い感じにしたいので、こういうのを買ってます。 

 

机の高さを変えられるので、立ってよし、座ってよし、です。

 

ただし、めちゃくちゃ重たいので、配置場所には注意です。

自分は、部屋の奥の机いっこぶんのスペースの中で組み立てたので、けっこうキツかったです。

 

机の足いっぽんが、道路工事用ハンマーみたいな重さしてます。

 

でもその分、安定感あって快適です。お薦め。

我が家のねこたちの場合

globe.asahi.com

 

うちの猫たちは元保護猫です。

猫シェルター施設で、数多く並ぶケージの中で、姉妹そろって鳴きもせず、愛想も振りまかず、施設の方に「この子たちは最後まで人になつかないかもしれないですが」と言われた二人をもらいました。

 

自分は、もともと猫好きではありません。もっと言えば動物好きでもない。

田舎育ちだったので、動物とは比較的近い距離感で育ちましたが「害獣」として認識するように育てられましたし、それで困ったことも特にありませんでした。

それでも猫を飼ってみようと思ったのは、当時「愛を教育できるか」というテーマを自身に課していたからです。ひらたく言えば「もし、文化習慣が全く違う宇宙人が目の前に現れたとして、仲良くできるのか」です。

 

そんなテーマを掲げた我が家に猫たちがきて7年が経ちました。

「猫たちは好きですか」と尋ねられると答えに詰まります。

毎日、ごはんとトイレと部屋の掃除はしています。たまに撫でたりもします。抱っこは嫌うのでやりません。

 

でも、自分がソファに座ってると、猫たちもソファに登り、自分を見たり、寝ていたりします。特に何かを要求したりはしません。この時間が好きなんだと思います。

そして、自分もこの時間は好きです。

 

たぶん、猫たちは、日本人よりも空気でなにかを伝えるのが得意です。近寄ったり離れたり、鳴いたりすり寄ったりするのは、愛情を表現する表現でしかない。

愛情があるかどうかは、もっと幅広い方法で探れるのではないかなあ。

FF7リメイクの出来がよい

 

体験版は戦闘メインだったので 「ふーん、FF15をベースにして作り直したのね」ぐらいの感想だったんですよ。なんなら「FF15よりストレス溜まりそうな戦闘だな」ぐらいの温度感低めの感想でした。(FF15は敵に囲まれてもワープで逃げれたからね)

 

ところが、どっこい。

 

本編を、奥さんが遊ぶのを隣で見てたんですけど、街の景色や作りがとても良い。

かつて、プレイステーションのポリゴンかくかくの世界を、想像で補っていたあの世界を、映画のような実写感覚で作り直されてました。

例えば、主人公が味方するテロリスト集団アバランチは、メンバーがスラム街の一角に住んでるんですけど、プレイステーションの頃は「なんか暗い街」という表現しかされてなかったんですよ。『暗い街』を見て、きっと汚いんだろうな、みたいな想像をするしかなかったわけです。

その『暗い街』が、ちゃんと汚い街として描かれている。ポイ捨てされてるタバコもあるし、駅前に屋台が出てるんだけど、その屋台もちゃんと汚い。「ここで食べるのはとっとな」と思ってしまう屋台がきちんと描かれていて、そのそばに「やっぱここの唐揚げは最高!」みたいなことを叫んでる客がいる。(通り過ぎるだけで声が聞こえる)

高田馬場を治安悪くしたような街が描かれていて、その街でこの人達は当たり前に暮らしてるんだな、と思える。

 

これは、すごいリメイクだ!!と感じました。

 

一時期、スクウェアが映画だ映画だと映画化に乗り出して、大ゴケしたことがあったんですけどね。

 

FF7リメイクは、映画を超えたゲーム化なんじゃないかな、とちょっと思いました。

 

だって映画だと「ここの唐揚げ最高!」って叫び声が聞こえても、誰が叫んでるかまでは分かんないんですよ。

でもゲームだと、なんか叫んでる人がいる、なんて叫んでるんだろう、聞いてみよう、て近づいていけるわけですよ。

 

ほんと、うろうろしてるだけで楽しいゲームです。