未来をいくつか潰した話
http://kinutoido.tumblr.com/post/77366367684
「女の子が虫なんてやめてよ。本当にセンスないわね。」
わたしはこの瞬間、いくつかの可能性が消えてしまったことを悟った。
母親が娘の感性を否定した、という話。
こういう話に対して「ひどい母親だ」とか「自分もされたことがある」とか、そういうコメントもあるだろう。言った方は忘れるが、言われた方は忘れない。そういうものなので、そういうコメントも出やすい。
さて、この話は、本当にこの女の子の未来を潰したのだろうか。
「子どもの頃から○○が好きで、親にも褒められて、○○を楽しんでいたら、その専門家になることができました」というストーリーは分かりやすいし、素晴らしいと思う。
でも、「子どもの頃に親から否定されて、ずっとやりたいと思ってたことなので、その専門家になることにしました」というストーリーも素晴らしいと思う。
大切なのは、母親じゃない。その女の子自身が、その出来事をどう捉えたか、だ。
それに母親だって人なのだから、そういう気分の時もある。
女の子が母親を「弱い部分もある人間だ」と認識する年頃になるまで、何年かかるのだろうか。その間、母親が娘とはいえ、他人の感性をずっと守り続ける、というのは現実的に考えればかなり難しい。
中には「うちの親はしてくれた」とか「親として自分はやってる」という人もいるだろう。それはすごいと思う。でも、誰にでもできることではない。
世界の大半は誰かのものだ。肉体ですらいずれ土に帰るのだから、土からの借り物と言える。でも、感性は数少ない自分のものだと思う。
(今後、科学が進んで「実は感性も借り物でした!」という事実が判明するかもしれないけどね)
子どもの感性を守るのは、子ども自身しかいない。
親であろうと、友人であろうと、他人にはそれを守る手伝い程度しかできない。これはいくつになってもそうだ。
ちなみに、感性は鈍くなっても、また再び鋭くなることがある。
未来がいくつか潰されたなら、いくつか生み出せばいい。
それだけの話だと思う。
まあ、あまり一般的ではないかもしれないけれど。