そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

恥じると弱くなる。


という気がするんですよね。


例えば、自分は一人だけの状態なら、大阪から兵庫の北の端まで自転車で帰れる。
(このコース、自転車青年も避けるほどの難所だそうです)
実際に無職でどうしようもない時にやった事あるし。
時間にして休憩入れて24時間ほどの強行軍。
もちろん、二度とやりたくはないけど、12月30日に決行したそれはほとんど自殺だった。
「これで野垂れ死にするなら、それまで」と思って歩き出した。


結果は、まあ、ここでこうして駄文を書いてる通り。
歩き続けて、一番最初にやばくなるのは腎臓。よく分かんないけど。
なんかトイレの回数だけはやたら増えた。
水分が出て行くと、喉が渇く。しょうがないので、コンビニで飲み物と簡単な食べ物を買う。
最初こそ「肉食いたい」とか思ってたけど、急激に食が細くなっていって「飲み物だけでいい」と思うようになった。


それでも、自分の脳は「それじゃいけない」と知っているので、無理やりにでも炭水化物を体に摂取させる。
自分の知識を初めて、生き残る事に使えた、という実感があった。


それ以来、あまり物事に動じなくなった。
最終的に生き残ればいいし、女も最終的に嫁に出来ればいい。
結局、大事なのは結果で、過程は良い結果を出す為に楽しむものなのだ、と気づいた。


だから今が楽しくない、というのも、実は些細な問題でしかない。
今が楽しくないなら、先を楽しめばいい。


この単純明快な理屈を、理解しようとしないのは、世間体、つまり恥がついてまわるからだ。
今を楽しんでいないと恥ずかしい。情け無い。カッコワルイ。
そんな事を思ってるのは、当の本人だけで、他の誰もそんな事は気にしてはいない。
それよりも、先をどう楽しむつもりなのか、そこに他の人は注目する。


大勢で何かを作るとする。
自分には、何も手伝えないからと言って恥じてる暇があるなら、何かを手伝えばいい。
出来なくたっていい。
真剣に真摯に。
マヌケな失敗は1年後には笑い話に変わる。
2年後にやってくる新人をリラックスさせる為の持ちネタになるかもしれない。


真剣に真摯に。集中して。もっと集中して。
目の前と自分だけを残して、世界の全てを置き去りにする。
その集中力こそが未来を明るくする。


恥なんて感じている暇はない。
自分で作って自分で「これはダメだ」なんて思ってる暇もない。
作り上げる。完成させる。
それまでは、立ち止まってもいいけど、下がっちゃダメなんだろうな、と思う。


これ、マッチョなのかな。