そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

「しょうがねえな」の力。


学生の頃、ゲーム制作の現場で現役で働いてる人から聞いた話。


「これ、この部分のアクションなんですけど」
「ああ、なに?」
「こうしたら、面白いと思いません?」
「・・・・・・あー・・・・・・くそ、面白いな」
「どうしましょう」
「しょうがねえなあ。仕様変更するぞ」


今でもそうなのかは知らないけれど。
当時のゲーム開発において、仕様書は『絶対』を意味しない。
いくらでも修正はかかるし、実装された後で作られる仕様書もある。
仕様書なんて恥の履歴は残しません!」と豪語する開発者もいた。


でも、なんというか、そういうのがゲームを面白くしてんだろうな、と当時、思った。


んで、今思う事。


死にたくないから生きてるって人が大半のような気がする。
「しんどいし、生きたいってわけじゃないけど、死にたくねえし、しょうがねえな」


任天堂の岩田社長が「社長になりたくなかったんですけど、社内を見て、効率を考えたら、自分がなるのが一番効率よかった」って話を聞いてみて。


人間を突き動かしてんのって「やりたい!」よりも「しょうがねえな」なんじゃないかな、と思う。


とまあ、ここまで考えて、何故、男が損と分かってる結婚をしてしまうのか、って理由が分かった気がする。
ガンダムトミノ監督がガンダム嫌いなのも、なんとなく分かった。
「しょうがねえな」と思っちゃったからなんだろうなあ。


考えてみれば「自分が楽しめる作品が無い」という理由だけで、自分は作品作ってる気がする。
だから、面白いゲームや本を手に入れると、作品作りがストップする。
「自分が楽しめる作品がある」からだ。
そして、それに飽きると、また作品の続きを作る。


そう考えると、某トガシ先生が連載をまともに続けないのは、もしかすると、とても良い状況なのかもしれない。


近代日本において、一番ろくでもない時代に漫画が生まれて、その時期の漫画がいまだにエネルギーむんむんで人気がある、ってのは、きっと描いた人がそんなに幸せじゃ無かったからなんだろうなあ。