そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

好き嫌い。


食べ物の好き嫌いが多い人は仕事の好き嫌いも多いし、人間の好き嫌いも多い気がする。


ただ、漠然とした「嫌いなもの」も細かく分けると好きな部分と嫌いな部分に分かれて、その嫌いな部分を更に細かく好きな部分と嫌いな部分に分けて。。。と繰り返すと、嫌いなものを結構少なく生きられる。


嫌いなものが多いという人は、その細かく分けるという事をめんどくさがっていて、あるいは「そんな労力をかける価値すらない」と思い込んでたりして、まるっと全部を嫌うので、嫌いなものが多いままだ。自分も含めて。


細かく分ければ、細かく知れる。
自分が何故、それが好きなのか、そして嫌いなのか。
人間の感情回路も全ては電気信号オンオフの2極論に行き着くはずなので、そこまで行き着けば「嫌いである事を楽しむ」という事も出来るはず。


ちなみに自分の例でいうなれば。
ある程度の年齢になって以来、虫全般が苦手だったのだけれど、子供のトカゲに渡される餌のコウロギが生きながら足をもがれるのを見て「かわいそうだ」と思った。
(子供のトカゲに狩りを覚えさせる為に捕食しやすくしてから渡す)


何故、虫が嫌いなのかといえば、自分の場合は「感情が見えないから」だった。
表情筋が無い爬虫類や両生類でも水を浴びれば気持ち良さそうに目を細める。
でも、虫には表情がなく、何を考えているか分からない。
これが怖かった。


でも、今は虫には表情も感情も無いようだけれど「彼らも一生懸命なだけ」という事を知っている。
だから、コンビニの床に転がるカナブンやトンボを拾い上げる事も気にならなくなった。


ああ、でも、相変わらずgkbrと百足は苦手だ。見ただけで怖気がする。
あれはなんだろう。遺伝子レベルで刻まれた『自分の天敵を見た時の恐怖』なのかもしれない、と最近思ってます。


何はともあれ、好き嫌いを考えるのは結構好きです。