「何が嫌いかじゃなくて、何が好きかで語れよ」的な話はさておき。
『嫌いなものへの悪口』って共感をすげー刺激する。
例えば「とんかつ美味いよね、大好き」って話よりも「とんかつマズくない?無理なんだけど」って話の方が、引きがある。
とんかつ嫌いな人にとっては「分かる!なんで皆あんな豚肉揚げただけのものを喜んでるか分かんない。胸焼けするし、豚かわいそうじゃん」と共感を生む。
好きな人にとっては「は?とんかつ美味いじゃん。何いってんの、とんかつの旨さを分からせてやるよ」と反発(≒共感を強いる気持ち)が生まれる。
んで、対立してヤンヤヤンヤとやるのは、興奮するし、興奮するとハイになれるので、楽しかったり充実してる気分になれる。
もちろん、とんかつの好き嫌いでバトルした所で、生産性はカケラもないんだけど、ほら、人間って生産性の無い行為が大好きじゃないですか。
だから、悪口を言って回るんだと思うんですよ。仲間と敵がほしくて。
もちろん、好きなものの話をしても、対立を生むんだけど、よほどじゃない限りは「まあ、人それぞれですからね」で流される。
■なんでだろう。
もしかすると、悪口というのは敵意に近くて、警戒しちゃうんですかね。
「〇〇が嫌いなら、もしかすると私の好きな□□を嫌いである可能性もある。自分も悪口を言われる可能性がある」
と思って、身構えてしまう。
身構えると、相手も「お、やんのか」って身構える。
お互いに身構えるから、対立する。
てことなのかしら。
と、ふと思いました。