そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

あらすじの話。


ハウツー本によれば「切実さがあればどんな内容でも読ませる物語になる」のだそうな。
(夜行列車で駅弁食うだけの話が面白かったりするもんなあ)


これを地で行くのが少女漫画だよなあ、と「君に届け」を読み返していて思った。
あらすじをさっくりまとめると「ぼっちのピュア少女が友達のアドバイスを受けながら、みんな大好きイケメン爽やか少年とくっつく話」でして。
あらすじだけ書くと、なんか書き尽くされた感のある内容なんですが。
でも、こんな単純な話が面白い。
タイトルの「君に届け」の文言通り、すごい切実なんですよね。


ぼっちの状態から友達ができて、その環境を失いたくない、と思いながらも、全部失うリスクを背負って「君に届け」と放つので、ああ、こりゃすげえ。すげえよあんた、と物語の中の女子高生に敬意すら抱けてしまう。
いやはや、描写がすごいとそれだけで作品になってしまうのだなあ。
自分も頑張らねば。


ラノベは(技術的に)書けないから関係ないと言えば関係ないんだけれども。

盗作騒ぎが相次いでいるようなので、思うことをちょっとだけ書く。ちょっとだけ。


基本的に泥棒はよくない。
腹を減らした弟の為にパンを盗んだ兄は法によって厳罰に処されるべきか否かという話はさておき、良くはない。
『リスクを冒さずに益を得る』というのは、大なり小なり旨い蜜なのでエスカレートするんですな。


おそらく盗作した人間も同じく、最初は「ちょっとだけ」だったのだろうと思う。
特にハウツー本などを読めば「良い漫画を読めば良い漫画が描ける」や「良い小説を読めば良い文章が書ける」といった話が大体出てくる。
否定はしない。技術を盗むには効率の良い方法だと思う。


けれど、やはり泥棒は泥棒。
一つ盗めば、二つ盗みたくなり、三つ盗めば、全て盗みたくなる。
それが技術であろうと表現方法であろうと、良くは無い。
盗みの技術は陰の中でひっそりと用いられるべきで、大手を振って陽のもとを歩いて良いものではない。
大立ち回りを繰り広げるルパンがどれだけカッコよくても、泥棒は泥棒、なのだと思う。