そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

ネイティブ。

 
生まれ育った環境で得た知識や経験のことをネイティブという。
 
日本で育った人は日本語が喋れる。
これはネイティブの日本語だ。
海外で育った人が、日本にやってきて日本語を勉強して喋れるようになったとしても、細かなニュアンスを使い分けるのは難しい。
 
例えば「大きなモノ」と「大きいモノ」の使い分けとかね。
 
ネイティブの日本語を喋る人達ですら「どう使い分けているか」という認識が薄いんだから、それを改めて勉強する側にとってみれば、とてつもなく難しい話だ。
 
■じゃあ、自分には無理なのか。
 
『無理』の定義による。
もっと言えば『自分』の定義による。
 
あまり考えたくはないけど、例えば人間は片腕を一本失っても生きていける。
足を無くしても、車椅子や義足で生きていくことは不可能ではないだろう。
 
『自分』の定義を『家族』と呼んでいるもので上書きしてみよう。
家族全員が『自分』である、とする。
種じゃない。種のように大きな単位には現実味がないからだ。
 
兄や姉が死んだからという理由では『自分(家族)』は死なない。
親が死のうと、妻が死のうと、あるいは本人が死んだとしても『自分(家族)』は死なない。
 
『自分』の定義をそう定めれば、家族がネイティブではない技術や言語を学び、それを幼い家族へ教え込めば、それがネイティブになる。
 
つまり自分もネイティブになれる。
 
自我にこだわりすぎても、不幸になるだけという話。
 
■今日の猫。
 
寝てたら「餌をよこせ」と体当たりされた。