そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

支援とはワトソンに徹すること。

ブックマークコメントに「学校外に場所を探そう・作ろう」というのが並んでいて、ちょっと思い出したので書く。

■「学校の外に居場所を作る」というのは一般的なアドバイスとして不適切だと思う。

まず自分のことを書く。

自分の育った町は、海と山に囲まれていて、潮の香りが漂う町だった。
少し栄えてる隣の町までは、電車で一時間、自転車で山道3時間かかる感じの漁師町だった。

その町で、自分は十代の頃に居場所のなさを感じていた。
大人が話す娯楽の話題は車と恋愛とパチンコで、子どもが話す娯楽の話題は恋愛と部活とバラエティ番組だった。

自分はそのどれにも興味がなかった。

だから、という書き方は少し失礼だけど、結果的にゲームや漫画、アニメ、小説といった物語にどっぷりとはまった。
学校の勉強もそっちのけで、ひたすらはまりつづけた。

多感な時期に孤独感や無力感に打ちのめされないように、心が逃げ場を求めた先が空想の物語だった、と今なら思う。

当時の自分が「逃げてばかりではダメじゃないのか」と思ったのかどうか。
一、二回、集団になじもうと足を踏み出したことがある。動機はもう思い出せない。
ただ、結果としては、失敗した。

「やらなきゃよかった」と当時は思った。
今は「向き不向きがある」と分かってよかったと思ってる。

■学校以外の場所。

先日、鎌倉の図書館の人が「学校がつらかったら図書館にいらっしゃい」とツイートして物議をかもし出した。

もし図書館側が場所を提供してくれるなら、心強いことだろうと思う。

当時の自分も町の公民館にある唯一の図書室を逃げ場に選ぼうとした。

でも、そこではクラスメイトの親が働いていて、自分の親と仲がよかったので、自分が図書室を利用すると、もれなく親に連絡がいき、親から「図書室で何をしているのか?」「何を読んでいるのか?」と聞かれた。

だから、あまり利用することはなくなったし、学校さぼった時に行くときは、泥棒のようにコソコソと様子を伺いながら利用していた。とても惨めな気持ちになったことを覚えている。

図書室だけでなく、町では大人の目が常に光っていて、どこに行っても誰かに見つかり、少しでも変わった行動をとれば、すぐに親に連絡がいった。

■物語以外に場所はあったのか。

よく言われることだけど、空想にふける物語好きと、現実から目をそらす不良は、似ていると自分も思う。

そう、居場所がないことに腹を立てて、目障りなやつを片っ端から殴っていけば、そこには居場所が出来上がる。
それは不良の居場所だ。大人だって近寄らないし、報復が怖いから連絡もされない。

それが自分の頃に見えていた「学校以外の場所」だ。おそらく唯一の。
でも、そっち側にいっても破滅しかないのは分かってたから、行かなかった。

 

■「学校以外の場所」が安全とは限らない。


緊急事態で通報してきた人に「そこから逃げて!」と助言するのは適切だろうか。

今いるその場所が唯一の安全な場所かもしれない。
だとしたら、周りに恐ろしい何かがあったとしても、我慢して、そこにい続けるしかない。

もし、ほかに逃げる場所があるならば、まず確認をする必要があるのだ。

「そこは安全ですか?話を続けても平気ですか?」
「どこかほかに安全な場所は思い当たりますか?」
「そこはどういった理由で安全だと思いますか?」
「そこへ向かうルートは安全だと思いますか?」

などなど。

細かな確認が必須となるし、確認をせずに指示するのは、危険を増加させる結果につながりかねない。


■少年少女が苦しんでるのを見たり聞いたりすると「早く助けなきゃ!」と思う。

でも、心の苦しみの場合、助かる方法を知ってるのは、その少年少女だけなのだ。

あなたは名探偵ホームズではない。
ホームズのひらめきをひとつひとつ「君はこんなことも分からないのか」と馬鹿にされながらも、愚直に確認していくワトソンなのだ。

そんなワトソンがいてこそ、ホームズは輝くことができる。

そんな風に自分は思ってます。